風鈴の導き
チリン――。
瑶月の部屋の窓辺で、先日の風鈴が揺れていた。
瑠璃の細工が朝日を受け、淡い光を散らしている。
仇からもらったもの。
そう思えば、捨ててしまいたくもなる。
けれど――
風鈴に罪はない。
そう思い直した瑶月は、それを窓辺に飾っていた。
チリン。
涼やかな音が、朝の静かな空気に響く。
まるで、今日という一日の始まりを告げるようだった。
瑶月は風鈴の飾られた窓から、外へ目を向けた。
朝早くから、庭では鍛錬が行われている。
その中心にいたのは――
劉晟だった。
劉晟は矛を手にしていた。
長い柄を握り、静かに構える。
次の瞬間。
矛が大きく振り払われた。
鋭い一閃。
続いて、身体を捻りながら矛を返す。
「……え?」
瑶月の目が止まった。
どこかで見たことがある。
あの動き。
あの足運び。
矛を返す時の身体の向き。
瑶月の脳裏に、一人の兄の姿が浮かんだ。
――滄瀾。
「……兄様?」
瑶月は窓辺へ近づいた。
劉晟の動きを、じっと見つめる。
もう一度。
矛が振られる。
その瞬間、瑶月の瞳が大きく見開かれた。
似ている。
あまりにも。
劉晟の矛の型と、
滄瀾が使っていた矛の型が――
酷似している。
足の運び。
矛を振り下ろす角度。
身体を返すタイミング。
どれも、瑶月が幼い頃から何度も見てきた兄の動きと重なっている。
しかも――
滄瀾が使っていたのは、沈家にしか伝わっていない独自の型だった。
易々と外へ教えることなどない。
沈家の武人だけが使う、特殊な矛の型。
「……どうして?」
瑶月の胸がざわめいた。
なぜ。
なぜ景国の将軍である劉晟が――
この型を使っている?
偶然?
そんなことがあるのだろうか。
沈家でしか使われない型が。
滄瀾と見間違えるほど、同じ動きをするなんて。
気づいた時には、瑶月は駆け出していた。
庭へ。
劉晟のもとへ。
けれど、劉晟の近くまで来ると、瑶月は足を止めた。
荒くなった息を整える。
そして何事もなかったかのように、ゆっくりと歩き始めた。
――動揺していることを、気づかれるわけにはいかない。
瑶月は何でもない顔を作り、劉晟の鍛錬を眺めた。
「その矛の型……珍しいわね」
できるだけ静かに尋ねる。
「そうだな」
劉晟はそう答えながらも、鍛錬の手を止めない。
「景国独自のもの?」
一呼吸。
劉晟の矛が止まる。
「違う」
「……そう」
瑶月は小さく頷いた。
――そうよね。
違うわよね。
心の中で呟く。
だって、それは――
我が沈家の型が基礎にあるもの。
沈家でしか使われない、独自の矛術。
それを、なぜ景国の将軍である劉晟が使っているのか。
聞きたい。
けれど、聞けない。
動揺を悟られるわけにはいかなかった。
「なら……独自の?」
代わりに、そう尋ねた。
その瞬間。
劉晟の鍛錬する手が止まった。
矛を下ろし、遠くへ目を向ける。
しばらく、何も言わなかった。
やがて――
「友から教わった」
淡々とした声だった。
瑶月の胸が、わずかに揺れる。
劉晟は続けた。
「其方の兄、滄瀾からな」
「……」
瑶月は言葉を失った。
滄瀾。
その名前を、この男の口から聞きたくなかった。
まして――
友。
そんな言葉で兄を語ってほしくなかった。
この男は、沈家を灰燼に帰した。
そして、その証のように――
自らを「滄燼」と名乗った男だ。
その男が、兄の名を口にする。
まるで昔から知っていたかのように。
まるで兄と肩を並べていたかのように。
瑶月の胸の奥に、嫌悪と困惑が入り混じる。
「……そう」
それだけを、どうにか口にした。
それ以上は、何も聞けなかった。
聞きたくなかった。
けれど――
ふと、瑶月は劉晟の横顔を見た。
そこに浮かんでいたのは、いつもの冷静な表情ではなかった。
ほんの一瞬。
兄の名を口にした劉晟の目が、どこか遠くを見ていた。
そして――
どこか寂しそうだった。
瑶月の知っている劉晟は、東州を屠った残忍な男。
沈家を滅ぼし、数え切れない命を奪った冷酷な敵将。
それが、瑶月の知る劉晟の姿だった。
なのに。
なぜ、この男は兄の名を口にした時だけ――
あんな顔をするのだろう。
分からない。
理解できない。
その寂しげな横顔を見ていると、瑶月の中に、また一つ小さな疑問が生まれた。
――この男は、本当に私が知っている「劉晟」なのだろうか。
チリン――。
窓辺の風鈴が鳴った。
その涼やかな音が、今はひどく遠く聞こえた。




