平陽の日々 1
数日後。
劉晟に呼ばれた瑶月は、屋敷の大広間へ向かった。
何の用なのかは聞かされていない。
ただ、呼ばれたから来ただけだった。
大広間の扉を開ける。
そこには――
一人の女性が立っていた。
美しい。
それだけではない。
整った顔立ちに、艶やかな仕草。
衣の着こなしにもどこか妖艶な雰囲気があり、立っているだけで人の視線を惹きつける女性だった。
瑶月は思わず、その姿に目を奪われた。
こんな女性がいるのか。
そんなことを考えていると、女性が瑶月を見るなり、楽しそうに口元を緩めた。
「殿下〜」
劉晟へ向かって、どこか親しげに声をかける。
「これが、今、噂になっている――」
そこで女性は瑶月を上から下まで眺めた。
「例のお嬢さん?」
「……」
瑶月は固まった。
何の話をしているのか分からない。
劉晟はそんな瑶月の様子を気にすることなく、女性へ告げた。
「徐佳」
「はい?」
「こやつに似合う衣を、いくつか見繕ってくれ」
「まあ」
徐佳の目が輝く。
「喜んで〜」
徐佳は瑶月へ近づき、その衣を眺める。
「ただ、殿下の黒衣とは違って、女性の衣は選択肢がたくさんありますの」
そう言いながら、右手で自分の髪をくるりと弄る。
「色も、布も、刺繍も……いろいろ選べますわ」
そして、瑶月へにっこりと笑った。
「今度、お店へいらっしゃい」
「……え?」
瑶月は瞬きをした。
何が起きているのか、まったく理解できない。
なぜ自分に衣を?
なぜこの女性は、こんなにも楽しそうなのか。
そして――
なぜ劉晟は、当然のように話を進めているのか。
瑶月は劉晟と徐佳を交互に見た。
けれど、二人とも説明してくれる気配はない。
結局。
瑶月はその場で、終始固まったままだった。
翌日。
瑶月は劉晟と共に、平陽の城下を歩いていた。
帷帽の下から、ちらりと隣を歩く劉晟を見る。
「……どこに連れていくの?」
「服屋。徐佳のところだ」
「服屋……?」
瑶月は首を傾げた。
なぜ、服屋などに。
服など、自分に必要なものではない。
そんなことを考えているうちに、二人は平陽の城下でもひときわ目立つ店の前へ辿り着いた。
大きな看板。
磨かれた扉。
外から見ても、明らかに貴族向けの店だと分かる。
劉晟が扉を開け、そのまま中へ入る。
店内には色とりどりの布や衣が並び、装飾品も上品に飾られていた。
煌びやかではある。
けれど、決して野暮ったくはない。
一つ一つの品に、確かな品格があった。
「まあ」
店の奥から、徐佳が姿を現した。
「殿下が直接いらっしゃるとは思いませんでしたわ」
口元には、どこか楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「早くしてくれ」
劉晟はいつも通り淡々としていた。
「はいよ〜」
徐佳は楽しそうに答えると、瑶月の手を取った。
「さあ、お嬢さんはこちらへ」
「え? あの……」
瑶月が戸惑っている間にも、徐佳はそのまま店の奥へ連れていく。
そこには、特別な客のために用意された部屋があった。
広い室内。
壁際には色とりどりの布。
机の上には簪や玉飾りなどの装飾品。
そして、様々な形の靴まで用意されている。
「……」
瑶月は言葉を失った。
「まずは、これを外しましょうか」
徐佳が瑶月の帷帽を外す。
その下から、瑶月の顔が現れた。
「やっぱり……綺麗ねぇ」
「……あの」
瑶月は戸惑いながら尋ねる。
「これは……?」
「あなたに用意したものよ」
「私に?」
「そう」
徐佳は答えながら、慣れた手つきで瑶月の肩幅や袖丈、腰回りなどを測っていく。
そして次々と布を当てていく。
「これも似合いそうね」
「こちらも悪くないわ」
瑶月は鏡越しに徐佳を見る。
「……私には、必要ないかと思うのですが」
すると徐佳は、ふふっと笑った。
「殿下からの申し出なのよ」
「……」
「必要なくてもいいじゃない」
徐佳は楽しそうに言う。
「ただで綺麗な衣が着られると思いなさいな」
「……そうですか」
瑶月は困惑したまま、小さく頷いた。
どうにも状況が理解できない。
なぜ劉晟が、自分のためにこんなことをするのか。
そんな瑶月を見て、徐佳は少しだけ表情を柔らかくした。
「何着か見繕うから、好きなのを着てね」
「好きな服……」
その言葉に、瑶月はふと黙り込んだ。
好きな衣。
好きな色。
好きな布。
そんなものを、自分で選ぶ。
いつ以来だろう。
こんな上質な布に包まれるのは。
瑶月の脳裏に、ふと沈家で過ごしていた日々が浮かんだ。
母に選んでもらった衣。
家族と過ごした食卓。
何不自由なく過ごしていた、あの日々。
――あの日以来だ。
こんな布に触れるのは。
瑶月は鏡の中の自分を見つめた。
そこに映っているのは、以前の自分とは違う少女だった。
けれど、ほんの一瞬だけ。
沈家にいた頃の自分に戻ったような気がした。
その後、瑶月は横にいる小雪へ目を向けた。
そして、徐佳へ小声で尋ねる。
「……この子にも、新しい衣をお願いできますか?」
徐佳は小雪を見ると、優しい笑みを浮かべた。
「もちろんよ」
「ありがとうございます」
瑶月は小さく頭を下げた。
自分だけが新しい衣を与えられることに、どこか落ち着かなかった。
小雪にも同じように用意されると知り、少しだけ安心する。
採寸などを終えると、徐佳に連れられて三人は店先へ戻った。
そこには劉晟が待っていた。
瑶月は手元にあった帷帽を見つめる。
そして、いつものように頭へ被せようとした。
その手を――
徐佳が止めた。
「なんで、それを被るの?」
「……?」
瑶月は不思議そうに徐佳を見る。
「幼い頃からの習慣で……」
瑶月にとって、それは当然のことだった。
幼い頃から母に厳しく言われてきた。
外へ出る時は必ず帷帽を被ること。
他人に素顔を見せないこと。
名家の娘として、軽々しく人目に晒されてはいけない。
だから瑶月は、帷帽を被ることに疑問を持ったことなど一度もなかった。
それが、自分を守るためのものだと信じていた。
けれど徐佳は、瑶月の顔をじっと見つめる。
「せっかく綺麗なお顔なのに」
ふっと笑った。
「隠す必要なんてないわ」
そして、劉晟へ視線を向ける。
「ねぇ? 殿下?」
突然話を振られた劉晟は、瑶月を見る。
そして、落ち着いた声で一言だけ答えた。
「そうだな」
「……」
瑶月は戸惑った。
「でも……母上が……」
すると徐佳が優しく言う。
「ここは景国よ」
「……」
「朔国ではいけなかったことでも、ここでは大丈夫よ」
そして、少しだけ笑みを深める。
「何より、あなたには殿下がついていますわ」
「……」
瑶月は固まった。
意味が分からなかった。
劉晟が、ついている?
この男が?
自分の――
仇なのに。
瑶月が何も言えずにいると、劉晟が静かに口を開いた。
「帷帽が好きなのか?」
「……え?」
「好きなら被ればいい」
劉晟は淡々と言う。
「嫌なら、被らなければいい」
「……」
あまりにも簡単な言葉だった。
命令でもない。
強制でもない。
ただ、自分で決めろと言っている。
瑶月は手の中の帷帽を見つめた。
そして――
被ろうとしていたそれを、ゆっくりと下ろした。
顔を隠すことなく。
瑶月は、そのまま劉晟の前に立っていた。




