荒野の出会い
平陽の戦が終わった翌日。
瑶月は小雪と二人、戦場となった土地を歩いていた。
あたり一面に、無数の兵士が倒れている。
生きている者。
すでに息絶えた者。
その区別さえつかないほど、死体が折り重なっていた。
戦から戻ってきた長淵の顔を見れば、此度の作戦がうまくいかなかったことくらい、瑶月にも分かった。
戦のことは、自分には分からない。
だから。
私は、自分にできることをする。
少しでも自軍の消耗を減らすために。
一人でも多くの命を拾うために。
それが、今の自分にできることだった。
「お嬢様、あちらに誰かいます」
「行きましょう」
二人で駆け寄る。
死体の下から、かすかな呼吸が聞こえた。
「まだ生きてる!」
瑶月と小雪は急いで兵士を引きずり出した。
瑶月はすぐに傷を確認し、処置を始める。
包帯を取り出し、出血している箇所を強く押さえた。
その時だった。
「お嬢様!」
小雪の緊迫した声が響く。
同時に――
低い唸り声が聞こえた。
「……野犬」
戦後の戦場には、血の匂いに引き寄せられた野犬が群がる。
飢えた獣たちは凶暴で、人間を恐れない。
いつもなら数人で行動していたが今日は、瑶月と小雪の二人だけだった。
「周りに……います」
小雪が刀を抜く。
気づけば、二人の周囲には何匹もの野犬が集まっていた。
背後には、先ほど助けた兵士。
まだ意識はない。
置いて逃げることなどできない。
瑶月は足元に落ちていた剣を拾った。
重い。
まともに扱える自信はない。
それでも――
「小雪」
「はい」
「この人を守るわよ」
「承知しました」
小雪が瑶月の前へ出る。
次の瞬間。
一匹の野犬が飛びかかってきた。
「――っ!」
小雪の刀が閃く。
野犬が地面へ転がった。
しかし、残った野犬たちは怯まない。
次々と牙を剥き、二人を取り囲む。
「お嬢様、下がってください!」
「駄目よ。この人を置いていけない!」
一匹が小雪へ飛びかかる。
小雪が斬り伏せた。
その隙を狙うように、別の一匹が瑶月へ向かって飛びかかる。
「お嬢様!」
小雪の叫び声が響いた。
瑶月が剣を構える。
だが、間に合わない。
野犬が目の前まで迫った、その瞬間――
ヒュッ。
一筋の矢が飛んだ。
野犬が、瑶月の目の前で地面へ落ちた。
「……え?」
瑶月が振り返る。
遠くから、二頭の馬がこちらへ駆けてきていた。
先頭を走る黒衣の男。
その後ろには、もう一人の男が続いている。
黒衣の男が短く叫んだ。
「急げ!」
二人は馬から飛び降りると、瑶月たちと野犬の間へ割って入った。
剣が閃く。
一匹。
また一匹。
野犬が次々と倒れていく。
黒衣の男も自ら剣を振るい、瑶月たちを守るように前へ出ていた。
だが――
一匹の野犬が男の腕へ飛びかかった。
「……っ」
男が身を翻す。
間一髪で牙は避けたものの、爪が腕を掠めた。
衣が裂け、血が滲む。
やがて最後の野犬が倒れた。
辺りが静まり返る。
瑶月はようやく息を吐いた。
そして黒衣の男へ向き直る。
「助けてくださり、ありがとうございます」
深く一礼する。
「大したことはない」
男はそう答えた。
そして瑶月を見る。
「怪我はないか」
「私は――」
そこで瑶月の目が止まった。
男の腕から、血が流れている。
「……怪我をされています」
「これくらい――」
「いけません」
瑶月は男の言葉を遮った。
「私に傷の手当てをさせてください」
「いや、本当に大した――」
「傷は放っておけば悪化します」
瑶月は男の怪我をしている右腕を取った。
そして袖を巻き上げる。
「少し失礼します」
瑶月は傷口を確認した。
幸い、それほど深くはない。
薬を取り出し、傷を洗う。
そして慣れた手つきで薬を塗り、針を取った。
「少し痛みます」
男は黙って腕を差し出した。
一針。
また一針。
瑶月の手は迷わない。
戦場で何度も繰り返してきた処置だった。
やがて縫合を終える。
「これで大丈夫です」
瑶月が顔を上げる。
男は自分の腕に残された縫い目を見つめていた。
その表情が、僅かに変わる。
目を見開いた。
「……まさか」
小さな呟き。
瑶月は聞き取れなかった。
「何か?」
「……いや」
男はすぐに表情を戻した。
その時だった。
遠くから、複数の馬蹄の音が響いた。
振り返る。
五頭、六頭ほどの馬が、こちらへ向かって駆けてくる。
その中央にいる男の姿を見て、瑶月が目を見開いた。
「……長淵さま」
蕭長淵だった。
長淵の左右には、側近と護衛の兵たちが数人ついている。
彼らは戦場の様子を確認しながら、長淵の後ろを一定の距離で追っていた。
やがて長淵が馬を止める。
「瑶月!」
普段より僅かに強い声だった。
「無事か?」
「はい。私は大丈夫です」
瑶月が答える。
長淵は瑶月の姿を頭から足元まで確認する。
怪我がないことを確かめると、ようやく僅かに表情を緩めた。
だが――
その視線が、瑶月の隣に立つ黒衣の男へ移る。
長淵の目が、わずかに細くなった。
男もまた、静かに長淵を見返している。
周囲にいた側近たちも、ただならぬ空気を感じ取ったのか、自然と身構えた。
瑶月だけが、その空気に気づいていない。
「こちらの方に助けていただいたのです」
瑶月が何気なく言った。
「野犬に襲われてしまって……」
長淵は答えない。
ただ、黒衣の男を見つめている。
黒衣の男も、長淵から視線を外さなかった。
――劉滄燼。
景国の若き将軍。
そして、瑶月が最も憎む男。
けれど今の瑶月は、その男の正体を知らない。
ただ、自分を助けてくれた男として。
その腕に、自分の手で傷を縫ったばかりだった。




