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平陽攻略

 長淵は、平陽攻めを極秘に進めていた。


 一度に大軍を動かせば、必ず景国に察知される。


 東州に張り付いている劉滄燼の耳に入れば、すぐに兵を引き戻される可能性もある。


 だからこそ――


 急がなかった。


 二ヶ月。


 長淵は二ヶ月もの時間をかけて、少しずつ軍を動かした。


 夜間に部隊を移動させる。


 別の軍営へ兵を補充するように見せかける。


 物資の輸送先を分散させる。


 そうして最終的に、朔国軍の三分の一を平陽周辺へ集結させた。


 一見すれば、ただの軍備移動。


 だが、平陽近辺の山間や林の中では、密かに軍営が築かれていた。


 大きな軍旗は掲げない。


 夜間に大きな焚き火を焚くこともない。


 兵たちは声を潜め、足音さえも抑えながら動いた。


 すべては、景国に気づかれないためだった。


 その軍の中には、瑶月の姿もあった。


 今回の作戦について、瑶月に詳しいことは知らされていない。


 ただ軍医として命じられた場所へ移動し、必要な薬材を揃え、いつ戦が始まっても負傷兵を受け入れられるよう準備を進めていた。


 そして――


「殿下がお見えになりました」


 天幕の外から声が響いた。


 瑶月が顔を上げる。


 幕が上がった。


「……長淵さま?」


 そこに立っていたのは、蕭長淵だった。


「ご苦労だったな」


「ありがとうございます」


 瑶月は一礼する。


 長淵は天幕の中を見渡した。


 整然と並べられた薬材。


 何度も確認された医療道具。


 そして、その前に立つ瑶月。


 この二ヶ月。


 自分が密かに進めてきた作戦。


 その最前線となる場所に、彼女もいる。


 長淵はしばらく瑶月を見つめた後、視線を外した。


 天幕の外には、平陽の地が広がっている。


 そして、その先には東州がある。


 劉滄燼がいる東州。


「……もうすぐだ」


 長淵が小さく呟く。



 その翌日――


 平陽攻略を控えた夜。


 軍営は、恐ろしいほど静まり返っていた。


 いつもなら聞こえてくる兵たちの笑い声も、雑談もない。


 明日の戦に備え、皆が静かに身体を休めているのだろう。


 聞こえるのは、風が木々を揺らす音と、遠くから響く兵士の足音だけだった。


 瑶月は天幕の中で、最後の薬材を確認していた。


 止血剤。


 鎮痛薬。


 包帯。


 縫合に使う器具。


 一つずつ手に取り、足りないものがないか確かめていく。


 その隣では、小雪が黙々と刀の手入れをしていた。


 刃を布で拭い、いつでも抜けるよう整えている。


 瑶月は薬材を見つめながら、ふと思った。


 ――明日は、平陽。


 その名を思い浮かべただけで、胸の奥がわずかに重くなる。


 平陽。


 景国の地。


 そして――


 劉晟の地。


 あの日。


 父の右腕を斬り落とした男。


 沈家に入り込み、東州を血に染めた男。


 自分から家族も故郷も奪った男。


 瑶月の指が、薬包の上で止まった。


「……劉晟」


 小さく、その名を呟く。


 憎い。


 今でも許せない。


 けれど――


 この二年半、瑶月はただ憎しみだけを抱えて生きてきたわけではなかった。


 医術を学んだ。


 傷ついた兵を救った。


 何度も死と向き合った。


 そして今。


 自分は軍医として、この戦場に立っている。


 明日は、その男の領地へ踏み込む。


 瑶月は静かに息を吐いた。


「……負けられない」


 その声には、以前のような絶望はなかった。


 ただ、強い意志だけがあった。


 小雪がちらりと瑶月を見る。


 けれど、何も言わない。


 瑶月は再び薬材へ目を落とした。


 まだ、誰も知らなかった。


 この一戦が――


 瑶月の運命を、大きく変えることになるとは。

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