間話 北の珠
夜。
長淵は瑶月を、自分の天幕へ呼んだ。
ここ数日は戦況も膠着している。
瑶月もまた、戦場で負傷兵を救う日々が続いていた。
少しでも気が休まればと思ったのだろう。
長淵は旅の歌人を呼んでいた。
天幕の中には簡素ながらも温かな食事が用意され、二人の前では歌人が静かに琴を奏でている。
やがて、歌人がゆっくりと歌い始めた。
「北の果てには 宝あり――」
静かな歌声が、夜の天幕へ響いていく。
「月夜に輝く 北幻珠」
その言葉を聞いた瞬間。
瑶月の指が、わずかに止まった。
――北幻珠。
知っている。
あの日。
東州が炎に包まれた、あの日。
あの男が父上に聞いてたもの。
混乱の中で聞いた、意味の分からない言葉。
――北幻珠。
けれど、それが何なのか。
あの日の瑶月には分からなかった。
そして今も。
ただ、その言葉だけが記憶の奥底に残っている。
歌人は何も知らぬまま、歌を続けていた。
「幻の塔の 扉を開く
唯一無二の 秘宝なり」
瑶月は黙って歌人を見つめた。
幻の塔。
秘宝。
そして――北幻珠。
あの日、自分が聞いた言葉と同じだ。
胸の奥に、かすかな違和感が生まれる。
しかし、それ以上のことは分からない。
歌人は琴を奏でながら、最後の節へと入った。
「北幻珠を 手にせし者は
やがて一国の 王となる」
やがて琴の音が静かに消えていく。
「されどその宝――
夢か幻か……」
天幕の中に、短い静寂が落ちた。
瑶月は俯いたまま、考えていた。
――なぜ。
なぜ、あの日に聞いた言葉が、こんなところで歌われているのだろう。
「……不思議な歌ですね」
瑶月はそう言った。
長淵が瑶月を見る。
「知っているのか?」
「……言葉だけなら」
瑶月は少しだけ間を置いた。
「昔、聞いたことがあります」
それ以上は語らなかった。
長淵も、無理に聞こうとはしなかった。
やがて食事もひと段落した頃。
長淵が口を開く。
「瑶月」
「はい」
「少々、ここから離れることになる」
瑶月が顔を上げる。
「……どちらへ?」
「まだ詳しくは言えない」
長淵は一瞬だけ言葉を選んだ。
そして――
「そなたも、一緒に来るか?」
瑶月は少しだけ目を瞬かせた。
何かを考えるように、静かに長淵を見る。
やがて。
「長淵様のご命令であれば、参りますよ」
そう言って、瑶月は微笑んだ。
ほんのわずかな笑みだった。
けれど、長淵にはそれだけで十分だった。
「……そうか」
短く答える。
自分が望んでいた答えとは、少し違う。
それでも。
瑶月が自分と共に来てくれる。
その事実だけで、嬉しかった。
再び歌人が静かに琴を奏で始める。
夜の天幕に、歌声が響く。
けれど瑶月の耳には、もう歌そのものは入ってこなかった。
脳裏に蘇っていたのは――
炎に包まれた東州。
血に濡れた大地。
そして、あの日に聞いた。
意味の分からなかった、あの言葉。
――北幻珠。
この時の瑶月はまだ知らなかった。
その言葉が、東州の惨劇と繋がっていたことを。




