幸せな日々 2
父と兄たちを出迎えるため、瑶月は城下まで足を運んでいた。
幼い頃から身の回りを世話してくれている小雪から渡された帷帽を深く被り、顔を隠す。
沈家の娘である瑶月が城下へ出れば、どうしても人目を引いてしまう。
それでも今日は、久しぶりに帰ってくる父と兄たちを一目でも早く出迎えたかった。
東州の民に混じり、城門の前で帰還を待つ。
しばらくすると――
門の向こうから、馬の蹄が地面を打つ音が響いてきた。
次の瞬間。
「おかえりなさーい!」
「沈将軍ー!」
「沈将軍、お疲れ様でした!」
「滄瀾様ー、かっこいいーー!」
「滄岳様ー!」
待ちわびていた民たちから、一斉に歓声が上がった。
どうやら、沈家の軍が帰ってきたらしい。
瑶月も人の隙間から、懐かしい姿を探す。
そして――
「あぁ……」
瑶月は小さく笑った。
馬上にいる二番目の兄、滄瀾
相変わらず、若い令嬢たちからの人気が高い。
あちらこちらから黄色い声が飛んでくる。
「らん兄様、相変わらずね」
瑶月は帷帽の下で、にんまりと笑った。
その瞬間だった。
「えっ――?」
突然、身体が宙に浮いた。
「きゃっ!」
驚いて顔を上げる。
目の前にあったのは、見慣れた兄の顔だった。
「がく兄様!」
長兄・滄岳が、軽々と瑶月を抱き上げている。
「母上に黙って来たな」
「……えへへ」
瑶月は悪びれる様子もなく笑った。
「がく兄様、おかえりなさい!」
「ただいま」
滄岳は呆れたように言いながらも、妹を下ろそうとはしなかった。
その様子を、馬上から見ていた滄瀾が微笑む。
「瑶月、良い子にしてたか?」
「もちろんよ!」
瑶月は兄を見上げ、嬉しそうに答えた。
「父上とかい兄様は?」
「父上なら――」
そのとき、後方から低く穏やかな声が響いた。
「我はここにおるぞ」
「父上!」
瑶月が振り返る。
そこには、沈家当主・沈皓然の姿があった。
長い戦から戻った父の姿を見つけた瞬間、瑶月の顔がぱっと明るくなる。
「滄海は隊列の後ろの方だ」
皓然が苦笑する。
「……おそらく寝ておる」
「また?」
瑶月が呆れたように笑った。
どうやら三兄・滄海は、戦から帰ってきても相変わらずらしい。
「父上ー!」
瑶月は滄岳の腕から身を乗り出した。
「会いたかった!」
「おお」
皓然が目を細める。
「父上、早く帰りましょう!」
瑶月が笑う。
その声に、周囲の民からも笑いがこぼれた。
戦から帰った父と三人の兄。
久しぶりに揃った沈家。
一行はそのまま沈家の屋敷へと戻った。
広い中庭を抜け、屋敷の門をくぐると、すでに食卓の準備は整えられていた。
そこには、江氏が静かに立っている。
帰還した家族を迎えるため、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべていた。
その姿を見た瞬間、沈皓然はわずかに歩を早める。
「此度も苦労をかけたな」
短い言葉だった。
だが、その一言には長い年月を共に過ごしてきた夫婦の重みがあった。
江氏は軽く頭を下げる。
「とんでもございません」
それだけのやり取り。
それだけで十分だった。
言葉は少なくとも、互いの信頼は揺るがない。
その空気に、瑶月は小さく目を細めた。
――こういうの、いいな。
そんなことを思いながら、自然と頬が緩む。
やがて家族は食卓へと移った。
長兄・滄岳は当然のように席に着き、すぐに食事に手を伸ばす。
次兄・滄瀾はその隣で、どこか楽しげに周囲を見回していた。
そして三兄・滄海は――
「……やはり寝ておるな」
皓然が呆れたように呟く。
「またですか」
瑶月は思わず笑った。
相変わらずの兄に、安心すら覚える。
そのときだった。
「瑶月」
滄瀾が、懐から小さな包みを取り出した。
「これ、土産だ」
「え?」
瑶月が目を瞬かせる。
「今回の討伐は隣州の辺境だっただろう? そこの名物菓子だ」
そう言って差し出された包みを、瑶月は嬉しそうに受け取った。
「わぁ……ありがとう、らん兄様!」
包みを開ける前から、表情が明るくなる。
滄瀾はそんな妹を見て、満足そうに目を細めた。
寝ていたはずの滄海が、ぼそりと呟く。
「太るぞ」
空気が一瞬止まった。
「……は?」
瑶月の目が据わる。
次の瞬間。
「滄海兄様のばか!」
ぽす、ぽす、と軽い拳が滄海の腕に飛んだ。
「痛い痛い、やめろ瑶月」
「言わなきゃいいのよ!」
食卓の上で、いつもの騒がしさが戻る。
皓然はそれを見て、わずかに口元を緩めた。
江氏もまた、静かに微笑んでいる。
戦から帰ったばかりの家族。
変わらない日常。
笑い声。
食卓に並ぶ温かな料理。
そのすべてが、確かにそこにあった。




