命を賭して
瑶月の覚悟をよそに。
「ならん!!!」
鋭い声が天幕を震わせた。
瑶月が振り返ると、長淵がまっすぐこちらを見ていた。
「……長淵様」
「ならん」
矢の痛みに耐えていたとは思えないほど、強い声だった。
「長淵様の矢を抜けるのは、私しかいません」
「だが、もし俺が死んだら其方も――」
「大丈夫です。死にません」
長淵は黙り込んだ。
瑶月はすぐに小雪と側近へ指示を出す。
「止血用の布をできるだけ多く。それから縫合用の針と糸、消毒薬を」
「はい」
「湯と清潔な器も用意してください」
「承知しました」
必要なものが揃うまでの間、瑶月は長淵に向き直った。
「かなり痛みます。処置中は動かず、最後まで耐えてください」
長淵は一呼吸置き、短く答えた。
「……頼んだ」
軍医と医官が天幕を出る。
残ったのは、長淵、瑶月、小雪、そして側近だけだった。
「では、始めます」
瑶月は短刀で長淵の上着を切り開いた。矢に触れないよう慎重に布を裂く。
露わになった左胸へ目を向け、まず矢尻を切り落とした。
矢柄が長いままでは力が分散し、抜く際に傷口を広げるおそれがある。矢尻を失った矢は、細い枝のようになった。
瑶月は矢柄に清潔な布を巻きつける。
「今から抜きます」
「ああ」
矢柄を握り、少しずつ引いた。
長淵の身体が強張る。
「……っ」
傷口から血が滲み、小雪がすぐに拭う。
瑶月は出血の様子を確かめながら、さらに矢を引いた。
あと少し。
あと少し――。
長淵は目を閉じ、声を漏らさず耐えている。
次の瞬間、矢が抜けた。
「止血!」
「はい!」
小雪が傷口を押さえる。
瑶月はすぐに出血、呼吸、脈、意識を確認した。
「……大丈夫です。心の臓は傷ついていません」
小雪と側近が、安堵の息を吐く。
瑶月は休む間もなく、縫合に取りかかった。
西洋の医術を基にした縫合は、朔国のものとは異なる。傷口を丁寧に合わせ、一針ずつ閉じていく。
最後の糸を結び、瑶月はようやく顔を上げた。
「……終わりました」
長淵がゆっくりと目を開く。
瑶月は額の汗を拭い、静かに息を吐いた。
長淵の左胸には、瑶月がその命を救った証として、細く整った縫合痕が残った。
翌朝。
長淵は、ゆっくりと目を覚ました。
薄暗い天幕の天井をぼんやりと見つめる。
ふと、左胸へ手を伸ばした。
衣の上から、指先で縫合痕をなぞる。
昨日の記憶が、鮮明に蘇ってきた。
矢を抜く瑶月。
血に染まった手。
そして――
『私の命は、殿下と共にあります』
「…………」
長淵の指が止まった。
その時だった。
「起きました?」
突然、顔を覗き込まれた。
「……!」
瑶月だった。
長淵は反射的に胸元へ伸ばしていた指を隠す。
まるで、何をしていたのか知られたくないかのように。
「ああ」
「気分はいかがですか?」
「……大丈夫だ」
そう答えながら、長淵は上半身を起こそうとした。
瑶月がすぐに背中へ手を添える。
「まだ微熱があります。無理をしないでください」
「分かった」
身体を支えられながら、長淵は瑶月を見た。
昨日、自分の命を救った少女。
今は何事もなかったかのように、いつも通りの顔をしている。
その姿を、長淵はぼんやりと眺めていた。
「…………」
「…………」
しばらくして。
「……ゴホン」
天幕の端から、大きな咳払いが聞こえた。
長淵が我に返る。
「殿下」
側近が静かに口を開いた。
「戦況については、他の副将たちが引き続き指揮を執っております。どうかご安心ください」
「……そう」
長淵は短く答えた。
今回の負傷について知っている者は、ごく一部だけだった。
王太子が敵の矢を受け、一歩間違えれば命を落としていた。
そんな事実が軍全体に知れ渡れば、兵たちの士気にも影響する。
だからこそ、今回の負傷は極秘とされていた。
瑶月はそんな事情を気にする様子もなく、薬湯を持って戻ってきた。
「お薬です」
「ああ」
そして――
当然のように、薬湯を匙ですくった。
長淵の口元へ差し出す。
「…………?」
長淵は固まった。
これは。
自分で飲むべきなのではないか。
それとも――
「ん」
瑶月が、匙を少しだけ長淵へ近づけた。
「…………」
「長淵様?」
「……いや」
長淵は困惑したまま、瑶月を見る。
けれど瑶月は何の疑問も抱いていない。
ただ、患者に薬を飲ませようとしているだけだ。
「ん」
もう一度。
今度は少し強めに匙が唇へ押し当てられた。
長淵は観念した。
ゆっくりと口を開く。
匙から薬湯が流れ込んだ。
「……」
苦い。
けれど、それ以上に――
妙に落ち着かなかった。
「どうですか?」
「……苦いな」
「薬ですから」
瑶月は何でもないように答え、また匙を薬湯へ入れる。
長淵はその様子を見つめた。
昨夜、自分の命を救うためにあれほど覚悟を決めた少女が。
今は何の躊躇もなく、自分に薬を飲ませている。
長淵は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……瑶月」
「はい?」
「昨日のことだが――」
そこまで言って、長淵は言葉を止めた。
瑶月が顔を上げる。
「何でしょう?」
「……いや」
長淵は視線を逸らした。
「何でもない」
「そうですか」
瑶月は気にする様子もなく、また薬をすくった。
「では、もう一口」
「…………ああ」
長淵は再び口を開いた。




