烽火起つ
今日は、船遊びをしたあの日のように、空が青く、穏やかな日だ。
瑶月はしばらく、何も言わずに天を見つめていた。
――あの日も、こんな空だった。
ふと視線を落とす。
目の前には、無数の軍旗が風にはためいていた。
甲冑の擦れる音。
馬の嘶き。
遠くから響く軍鼓。
それらが重なり合い、大地を震わせている。
瑶月は目を閉じた。
兵たちの息遣いを聞く。
これから、自分たちは戦場へ向かう。
そう実感した。
やがて瑶月は、ゆっくりと目を開いた。
前を向く。
幾重にも連なる兵士たちの背中。
その遥か先に、一人の男が立っていた。
甲冑に身を包んだ――
朔国王太子、蕭長淵。
長淵は、ゆっくりと兵たちを見渡していた。
そして、その視線が流れていく。
ほんの一瞬。
瑶月と目が合った気がした。
長淵の瞳が、わずかに揺れる。
けれど瑶月は何も言わず、ただ静かにその場に立っていた。
「今日、我らは戦場へ赴く」
「だが、これは領土を奪うための戦ではない」
「名誉のためでもない」
一呼吸。
「我らが守れなかった者たちのための戦だ」
兵たちの間に、静かなざわめきが広がった。
「半年前、東州は落ちた」
「父を失った者がいる」
「母を失った者がいる」
「兄弟を失った者がいる」
「家を失い、故郷を失った者がいる」
将軍の声は、次第に強くなっていく。
「そして今も、あの地には我らの同胞の血が残っている」
「我らは、それを忘れてはならぬ」
長淵は抜刀した。
「敵は強い」
「この先、何人が生きて帰れるかは、誰にも分からぬ」
「だからこそ――」
剣先をゆっくりと兵たちへ向ける。
「生き残れ」
「隣の者を守れ」
「倒れた者を置いていくな」
「そして、決して民を見捨てるな」
その言葉に、兵たちは一斉に顔を上げた。
「我らが剣を抜く理由は、憎しみではない」
「我らが守るべきものを、二度と奪わせぬためだ」
長淵は天を仰いだ。
「東州で眠る者たちよ」
「今日より我らが、その続きを引き受ける」
そして、静かに剣を振り下ろした。
「――出陣」
次の瞬間。
大地を震わせるほどの軍鼓が鳴り響いた。




