落ちた旗
数日前――東州辺境。
かつて沈軍が駐屯していた軍営には、重苦しい静寂が漂っていた。
東州城下が屠城に遭い、沈家が壊滅した。
その報せが軍営へ届いた時には――すべてが終わった後だった。
城下まで、わずか十里。
なぜ。
なぜ誰も気づかなかったのか。
なぜ、援軍を出せなかったのか。
残された兵たちには、その答えすらわからなかった。
ただ一つだけ、確かなことがある。
沈軍は、もう以前の沈軍ではなかった。
屠城の責任を問われ、長年沈軍に仕えてきた副将たちは次々と斬首され
残された兵たちの多くは、他の辺境軍へ編入させられた。
皓然の計らいで、戦で負傷した兵や年老いた兵たちが沈軍に残り、軍営の雑務を担っていた兵士らもまた、故郷へ帰されることになった。
そして――
数ヶ月前まで多くの兵が暮らしていた広大な軍営に残されたのは、わずか六十人ほどだった。
その六十人を率いていたのは、滄瀾と滄海の側近を務めていた二人。
朱雀と玄武だった。
主を失った軍営で、二人は何も語らず立っていた。
今宵の風は強い。
誰もいない兵舎の戸が、かすかに軋んだ。
あれほど賑やかだった沈軍の軍営が、今ではまるで死者の墓場のようだった。
その墓場に――
一人の男が現れた。
黒い外套を身にまとっている。
その両脇には、二人の男が立っていた。
その顔を見た瞬間。
玄武の目が大きく見開かれた。
「……青龍……白虎……」
その名が聞こえた瞬間、朱雀と玄武を除く兵たちが一斉に武器を抜いた。
六十人の殺気が、一人の男へ向けられる。
だが、朱雀と玄武だけは動かなかった。
黒衣の男を真っ直ぐに見つめる。
そして、静かに口を開いた。
「滄瀾様は、黒い衣しか持っていないあなたのことを嘆いていましたよ」
一呼吸。
「……劉晟さん」
その名を聞いた男は、ゆっくりと黒い外套を脱いだ。
月明かりに、その顔が露わになる。
そう。
この男こそ――
東州屠城の首謀者として、今や朔国中にその名を知られている男。
劉晟だった。
「お前のせいで……!」
「この裏切り者が!」
「よくもここへ来られたな!」
次々と罵声が飛ぶ。
その中の一人が、怒りに任せて劉晟へ斬りかかった。
「やめろ!」
朱雀の声が響く。
兵の刃が止まった。
続けて玄武が口を開く。
「劉晟殿が戦場で沈家の者を斬り伏せたというのなら、我らも信じる」
その目は鋭い。
「だが――」
一歩、劉晟へ近づく。
「屠城をするような男だとは、どうしても信じられん」
「……」
「そうだろう? 劉晟殿」
沈黙。
風だけが、二人の間を通り過ぎていく。
やがて朱雀が言った。
「待っていました、劉晟さん」
劉晟の瞳が、わずかに揺れた。
そして――
重い口を開いた。
「……頼みがある」




