歪んだ刃
慕容と劉晟は広間へ戻った。そこには、先ほどと変わらず、陳家の者たちと趙侯拓が跪いている。慕容は、その前で静かに立ち止まった。
「庭園の隠し通路は、すでに発見しました」
静かな声。
けれど――
その言葉には、逆らうことを許さぬ絶対的な重みがあった。
陳家の者たちは、皆一様に顔を伏せる。
「……」
慕容は、そんな彼らを見渡した。
「何か、言うことはないのですか?」
しばしの沈黙。
やがて――
香佳が口を開いた。
「陛下。お言葉ですが……」
香佳は顔を上げ、慕容をまっすぐに見つめる。
「貴族の屋敷に、隠し通路の一つや二つあるのは当然かと」
「……!」
隣にいた陳飛の顔が強張る。妻の言葉に焦ったように、さらに深く頭を下げた。しかし、香佳は視線を逸らさない。
慕容は、しばらく香佳を見つめていた。
「……当然、ですか」
「はい」
香佳は静かに答える。慕容の口元が、僅かに動いた。
「では――」
そう言って、慕容は手の中にある歩揺を掲げた。
「瑶月の簪が、そなたらの隠し通路にあったことも……当然というのですかね?」
「……!」
香佳の瞳が、大きく揺れる。
「これが、偶然そこに落ちていたと?」
「……そんなはずはない……」
香佳が呟いた。
そして――
「あの女……歩揺なんか、つけてなかったわ」
奥歯を噛み締めながら、香佳は言った。
「……」
広間の空気が、凍りついた。慕容は香佳を見つめたまま、静かに口を開く。
「香佳は――よく瑶月を見ているのですね」
「……!」
「髪飾りの一つまで確認しているなんて」
その声は――
あまりにも冷たかった。
香佳の瞳が、大きく見開かれる。
失言した。そう気づいた時には、もう遅かった。
慕容の手が、腰の剣へ伸びる。
次の瞬間。
鞘から抜かれた剣の切っ先が、香佳へ向けられた。
「……っ」
香佳の身体が強張る。
「陛下!」
陳飛が咄嗟に立ち上がりそして、香佳と慕容の間へ割って入る。
「陛下、どうか……!」
陳飛は慌てて頭を下げた。
「全部、私の責任です」
「……」
慕容は剣を下ろさない。ただ、冷たい剣先を陳飛へ向けていた。
陳飛は、震える声で慕容へ告げた。
「わ、私が……雅恋堂を作りました」
「……雅恋堂?」
劉晟が聞き返す。
「えぇ……ちょっとした、お金稼ぎで……」
陳飛の声は震えていた。慕容は、表情を変えない。
「瑶月は――そこにいるのですか?」
「……」
陳飛の口が止まる。
そして、ゆっくりと背後へ目を向けた。そこには、俯く香佳がいた。
「は、はい……」
陳飛は再び慕容へ向き直った。
「北幻族は、高値で売――」
「雅恋堂は、どこにある?」
慕容の声が、陳飛の言葉を遮った。
「……」
陳飛は息を呑む。
そして、慌てて口を開いた。
「雅恋堂は――」
その瞬間だった。
陳飛の背後から――
一振りの短刀が握られている白い手が伸びた。
「……!」
刃が、ゆっくりと陳飛の首元へ添えられ
「……な――」
陳飛が振り返ろうとする。
けれど――
その手は、ためらわなかった。
ゆっくりと。
確実に。
刃を引いた。
「――っ」
陳飛の声が途切れる。
身体から力が抜け、その場へ崩れ落ちた。
「父上!!」
居菲の叫び声が広間に響く。けれど、陳飛から返事が返ることはなかった。
「……」
静まり返った広間に――
ただ、倒れた陳飛の身体だけがあった。やがて、その背後から香佳がゆっくりと姿を現した。頬には、わずかに血が付いている。それを拭おうともせず、香佳は慕容を見つめる。
その瞳には――
先ほどまでの冷たい殺意とは、まるで違う色が浮かんでいた。
艶やかで、熱を帯びた眼差し。
まるで、今もなお愛しい男を見つめているかのようだった。
「九思……」
香佳が、ぽつりと呟く。
「あなたが悪いのよ」
慕容は、何も言わない。ただ、静かに香佳の言葉を聞いている。
「十年以上も……会いに来ない、あなた」
香佳の声には、寂しさが滲んでいる。
けれど――
その声に、怒りが混ざっていく。
「私よりも……北幻の女を選んだ、あなた」
口元が、僅かに歪む。
「しかも――」
一度、言葉を切る。そして、香佳は笑った。
「白髪だった、北幻の女」
「……」
乾いた笑い声が、広間に響く。
「はは……」
それは次第に大きくなり――
「はははは……」
やがて、笑い声は狂気を帯びていった。慕容は、黙って聞いている。香佳はそんな慕容を見つめながら、くすくすと笑い続けた。
その時――
劉晟が、ゆっくりと香佳へ近づいた。そして、腰の剣を抜く。鋭い金属音が、静まり返った広間に響いた。
剣先が――
笑っている香佳の喉元へ向けられる。
「雅恋堂は、どこだ?」
「……」
ぴたり。香佳の笑い声が止まった。
剣先を見つめ、それから、ゆっくりと劉晟へ視線を移す。
「私を殺したら……」
香佳の口元に、再び笑みが浮かぶ。
「場所は、分からないわ」
ふふふ、と小さく笑う。
「まあ――」
香佳の瞳が細められる。
「教えないけどね」
「……」
劉晟は剣を下ろさない。
香佳は、その剣先を恐れる様子もなく――
再び慕容へ視線を向けた。
「彼女の白髪姿……」
一呼吸。
「楽しみだねぇ」
その口角が、さらに吊り上がる。
「ふふ……」
香佳は、最後まで慕容を見つめたまま、くすくすと笑い続けていた。
その時
彼女の背後にある扉から覗く夜空へ――
ひゅるり、と一筋の光が昇っていく。
次の瞬間。
夜空に、信号弾が大きく花開いた。




