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暗中相逢

後頭部に、鈍い痛みを感じた。


「……」


 瑶月はゆっくりと目を開けた。


 目に映ったのは――


 真っ暗な天井だった。


 しばらく目を凝らしていると、天井の一部が見えてくる。


 煉瓦が剥き出しになっていた。


「……ここは……」


 起き上がろうとして、手を地面へつく。


 ざらり。


 掌に触れたのは、乾いた藁だった。


 瑶月はゆっくりと身体を起こす。


 そして、目の前にあるものを見た。


「……」


 鉄格子。


 その瞬間――


 脳裏に、あの日の記憶が蘇った。


 冷たい床。


 鉄格子。


 閉ざされた空間。


 天牢。


 けれど――


「……違う」


 瑶月は小さく呟いた。


 あの時とは、状況が違う。


 そう思いながら、袖の中へ手を入れる。


 指先に、二つのものが触れた。


 一つは――


 劉晟から渡された信号弾。


 そして、もう一つは。


 自分で用意しておいた薬粉。


「……よかった」


 瑶月は、僅かに息を吐いた。


 少なくとも、完全に何もできないわけではない。


 後頭部へ手を伸ばす。


 指先に、ぬるりとした感触が残った。


 血。


 瑶月は指先を見つめる。


 その色と、乾き具合。


 ――まだ、それほど時間は経っていない。


 自分がここへ連れてこられてから、そう長くはないはずだ。


 瑶月は立ち上がり、周囲を見回した。


 窓は――ない。


 どこを見ても、外へ通じる場所は見当たらなかった。


 光を与えているのは、壁に取り付けられた蝋燭だけ。


 瑶月はその蝋燭を一本手に取る。


 そして、鉄格子の近くまで歩いていった。


 その先には、狭い通路が続いていた。


 通路を挟んだ向こう側。


 そこにも――


 いくつもの鉄格子が並んでいる。


 そして、その中には。


「……」


 女たちがいた。


 瑶月は息を呑んだ。


 薄暗い牢の中に、身を寄せるようにして座っている女たち。


 その姿を見た瞬間。


 瑶月には、ここがどこなのか分かった。


 ――例の商売。


 女たちが、商品として扱われ弄ばれている場所。


 自分は――


 そこへ連れてこられたのだ。


「……」


 瑶月は袖の中の信号弾へ触れた。


 これで外へ知らせなくてはならない。


 けれど――


 窓がない。


 このままでは、信号弾を打ち上げることができない。


「……どうすれば……」


 瑶月が黙って考えていた、その時だった。


「なあ?」


 鉄格子の向こうから、男の声がした。


 瑶月は顔を上げる。


 暗闇の中。


 鉄格子の向こう側にいる男が、こちらを見ていた。


「……あんた、北幻の姫か何かか?」


 瑶月の瞳が、僅かに揺れた。


「……えぇ」


 瑶月は答えた。


「なら、今頃あんたがいなくなって、大騒ぎしてるはずだよな?」


「……」


 この男が何を考えているのか。


 瑶月には、まだ分からなかった。


 警戒しながら、静かに答える。


「そのはずだわ」


「あんたを助ければ……」


 男は一度、目を伏せた。


 そして、再び瑶月をまっすぐに見つめる。


「ここは……摘発されるか?」


 その声には――


 願いのようなものが滲んでいた。


 瑶月は、男へ尋ねる。


「あなたは……ここを摘発されてほしいのですか?」


「……」


 男は答えなかった。


 ただ、目を伏せる。


 そして――


 何度も、何度も頷いた。


「……約束しましょう」


 瑶月は静かに言った。


「ここを、明るみにすることを」


 まっすぐに男を見つめ返す。


 男が何を考えているのかは、まだよく分からない。


 けれど――


 この男もまた、ここを忌み嫌っている。


 瑶月には、そう感じられた。


「俺だって……やりたくてやったわけではない」


 男の声が震える。


 今にも消えてしまいそうなほど、小さな声だった。


「知らなかったんだ……」


「もう、帰ってこないんだ…」


「……」


 瑶月は、何も言わずに聞いていた。


 もしかすると――


 この男も、何かに巻き込まれた被害者だったのかもしれない。


 けれど。


 瑶月の視線が、男の背後へ向く。


 そこには、閉じ込められている女たちがいた。


「……」


 瑶月は再び男を見る。


 どれほど事情があったとしても。


 この男が、ここで女たちを見張っていたことに変わりはない。


 彼は、加害者なのだ。


「ここの主人は、誰なの?」


 男は少し黙った。


「わからない。屋敷に行ったことはあるが、俺は……文字が読めない」


「……」


「ここで働いてる奴らは、ほとんど読めないんだ」


 男は、ぽつりぽつりと続ける。


「だけど……一度だけ、見たんだ」


「何を?」


「大量の金を……たった一粒の真珠に変えてるところを」


「……真珠?」


 瑶月の瞳が僅かに揺れる。


 男は頷いた。


「詳しいことは知らない……」


 そして、自嘲するように呟く。


「俺は、ただの見張り役だから」


「……」


 瑶月は男の瞳が僅かに揺れていることに気づく。


 焦点が、合っていない。


 まるで、目の前にいる瑶月ではなく、もっと遠くの何かを見ているようだった。


「……?」


 瑶月は、静かにそれを見つめていた。


瑶月は、男の様子を伺いながら尋ねる。


「ここ、窓がないけれど……窓のある場所はあるかしら?」


 そう尋ねながら、裾の中にある信号弾へそっと触れる。


 男は、少し考えるように目を伏せた。


「ここは地下だから、どこにもない」


「……地下?」


「あぁ。雅恋堂《がれんどう》は地下にあるんだ」


「……雅恋堂……」


 その名を、瑶月は心の中で繰り返した。


「ここは、いわゆる妓楼なの?」


 男は、鼻で笑った。


「妓楼の方がずっとマシさ」


「……」


「ここは……変態金持ちが、女を殺す場所だよ」


 そう言った男の目が、また遠くを見る。


 瑶月は黙って男を見つめた。


「地上に上がる方法はあるの?」


「女にはないな」


「……」


 瑶月は考える。


 地上にあった監禁場所が摘発された。


 だから――


 監禁する場所そのものを、店へ移したのだろう。


 そう考えれば、この異様な構造にも納得がいく。


 地下に広がる、妓楼。


 その言葉だけでも、背筋に冷たいものが走った。


 その時。


 先ほどから聞こえていた風の音に、瑶月は意識を向けた。


 ――ひゅう……。


 地下だというのに、どこからか風が入り込んでいる。


 おそらく空気孔だ。


 けれど、音が妙に高い。


 空気孔は、それほど大きくない。


 人が通れるようなものではなく、細い通路のようになっているのだろう。


 ――あそこから逃げるのは無理ね。


 瑶月は再び、目の前の男へ視線を戻した。


 やはり、おかしい。


 先ほどから男の目は、何度も焦点を失っている。


 薬の影響なのか。


 それとも――


 心を病んでいるのか。


 この男を、信用していいのだろうか。


 男はじろじろと瑶月を見る。


「……何か?」


瑶月は男に尋ねるが、何も答えない。


男の返答を待つ代わりに、瑶月は更に尋ねる。


「あなたは、地上に上がれるの?」


「あぁ」


 男は頷いた。


「死体を捨てる時に、上がれる」


「……」


 その瞬間だった。


 カツ。


 カツ。


 カツ。


 遠くから、足音が近づいてくる。


 男の瞳が大きく揺れた。


 明らかに、先ほどまでとは違う。


 瑶月は咄嗟に、袖の中から信号弾を取り出した。


 そして、鉄格子の隙間から男へ差し出す。


「地上へ上がったら、これを打ち上げて」


「……」


「一番最初に駆けつけた人に、ここを案内するのよ」


 瑶月は、男をまっすぐ見つめた。


「分かった?」


 男は、自分の手の中にある信号弾を見つめた。


 そして、彼は絞り出したかのような声で聞く。


「……これで、助かる?」


 震える声だった。


「えぇ」


 瑶月は迷わず答えた。


「みんな助かる」


「……」


 男が信号弾を強く握りしめる。


「分かった」


 その目に――


 ほんの僅かに、光が宿った。


 その時


「何をしている?」


「……!」


 足音が止まった。


 近づいてきた別の男が、こちらを覗き込んでいる。


 最初の男は咄嗟に信号弾を袖の中へ隠した。


「……何もない」


 そう呟くと、男は足早にその場を離れていった。


「……?」


 新しく現れた男は、そんな彼の背中を一瞥する。


 だが、すぐに興味を失ったように瑶月へ目を向けた。


 薄い笑みを浮かべる。


 そして――


 カツン。


 鉄格子の鍵を開けた。


「こんな綺麗な娘も、今夜までだな」


「……!」


「立て。仕事だぞ」


 男は瑶月の腕を乱暴に掴んだ。


「離して!」


 瑶月が抵抗する。


 けれど、男は構わず腕を引いた。


 瑶月は無理やり牢の外へ連れ出される。


 その背後で――


 鉄格子が、重い音を立てて閉じられた。

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