狙われた客人 1
使用人に案内され、瑶月と劉晟は回廊を歩いていた。
周囲に他の者がいないことを確認すると、瑶月は劉晟にだけ聞こえる声で、そっと口を開く。
「……居菲さんから、煙草の香りがしたわ」
「……ああ」
劉晟も小さく頷く。
「視線も、明らかに其方へ向いていた」
「……」
瑶月は少し考える。
「彼なら……」
その時だった。
前を歩いていた使用人が、ふと振り返る。
「瑶月様は、奥の別院になります」
そして、もう一人の使用人へ視線を向けた。
「劉晟様はこちらへ」
「分かりました」
瑶月は静かに頷いた。
二人は足を止める。
「では、また後ほど」
瑶月がそう言って、一礼する。
「ああ」
劉晟も短く答えた。
瑶月は使用人に伴われ、廊下の奥へと進んでいく。
劉晟はその場に残り、遠ざかっていく瑶月の背中を見つめていた。
やがて、その姿が角の向こうへ消える。
それを見届けてから、劉晟もまた自らの部屋へ向かった。
部屋へ着いた瑶月は、椅子へ腰を下ろした。
そして、改めて室内を見渡す。
部屋の中は、隅々まで綺麗に整理されていた。
置かれている調度品も、華美すぎることはない。
けれど、どれも品があり、細かなところまで手入れが行き届いている。
「……」
恐らく、今日の訪問に合わせて、前もって用意されていたのだろう。
そう思いながら、瑶月は小雪が淹れてくれた茶へ口をつけた。
温かな茶が喉を通り、ようやく一息つく。
「やっぱり、小雪が淹れてくれたお茶が一番美味しいわ」
瑶月がそう言うと、小雪は嬉しそうににっこりと笑った。
「ありがとうございます。ですが――」
小雪は茶器へ視線を落とす。
「こちらのお茶は、慕容陛下から頂いたものですよ」
「……そうなの?」
「はい。お嬢様のお口に合うものを、と。わざわざ用意してくださったみたいです」
瑶月は少し驚いたように目を瞬かせる。
そして、手の中の茶杯へ目を落とした。
「……そう」
小さく微笑む。
「慕容陛下のお気遣いには、感謝しないとね」
「そうですね」
二人の間に、穏やかな時間が流れていく。
――その時だった。
「……?」
廊下から、小さな物音が聞こえた。
ガタン。
瑶月と小雪が、同時に顔を上げる。
「……今の音は?」
小雪の表情から、先ほどまでの笑みが消えた。
すぐさま腰へ手を伸ばす。
その指が、帯に差していた剣へ触れた。
「……」
瑶月も無言のまま、袖の中へ手を入れる。
指先に触れたのは、小さな瓶。
中には、護身用として持ち歩いている唐辛子や花椒を粉末にしたものが入っている。
瓶をしっかりと握り締めた。
室内の空気が、一瞬にして張り詰める。
誰も、口を開かない。
廊下から聞こえてくるのは――
微かな足音だけ。
小雪が瑶月へ目を向ける。
「お嬢様」
「ええ」
「私が、確認して参りますね」
小雪はそう言うと、剣へ手を添えたまま扉へ近づいていく。
一歩。
また一歩。
扉の前まで辿り着く。
小雪が、ゆっくりと手を伸ばした。
――その瞬間。
「バタンッ!」
扉が勢いよく開いた。
「……っ!」
黒づくめの男が、目の前に立っていた。
次の瞬間。
男の手にある剣が、小雪へ向かって振り下ろされる。
キィンッ!
小雪が咄嗟に剣を抜き、その一撃を受け止めた。
「……!」
激しい金属音が室内に響き渡る。
男が剣を引く。
小雪もすぐさま踏み込み、斬り返した。
キィン!
ガキィン!
狭い室内で、二人の剣が激しくぶつかり合う。
小雪は一歩も引かない。
けれど――
相手もかなりの手練れだった。
「お嬢様!」
剣を交えながら、小雪が叫ぶ。
「逃げてください!」
「……!」
瑶月は、すぐには動けなかった。
小雪を置いて、自分だけ逃げるなんてできない。
瑶月は袖の中へ手を入れる。
瓶を握り直す。
これなら――
少しでも相手の動きを止められる。
そう思い、瓶を取り出そうとした。
その時だった。
「……っ!」
男が突然、小雪との間合いを大きく取った。
そして――
踵を返す。
「待って!」
小雪が追おうとした、その瞬間。
男は扉の外へ飛び出した。
廊下を駆け抜け、そのまま窓から外へ身を躍らせる。
「……!」
瑶月と小雪が、慌てて窓へ駆け寄る。
男は屋根の上へ着地すると、そのまま身軽に屋根を駆けていく。
あっという間に、いくつもの屋根を越えて――
その姿は、遠くへと消えていった。
「……」
瑶月は、握り締めたままの小瓶を見つめる。
結局、一度も使うことはなかった。
小雪は剣を納めると、すぐに瑶月の前へ戻ってくる。
「お嬢様、お怪我はありませんか?」
「ええ。私は大丈夫」
瑶月は答えながら、先ほど男が消えていった屋根へ目を向けた。
「……一体、誰だったのかしら」
小雪も、険しい表情で屋根を見つめる。
「分かりません」
けれど――
二人とも、同じことを感じていた。
あの男は。
最初から、瑶月たちを狙っていたのかもしれない。




