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疑障陳家 2

一行が席へ着くと、すぐに使用人たちが飲み物や菓子、乾燥させた棗などを運んできた。


 瑶月の前にも、一つの茶杯が置かれる。


 瑶月はそれを手に取った。


「……」


 中に入っていたのは、乳白色の飲み物だった。


 見たことのない飲み物に、瑶月はほんの一瞬だけ戸惑う。


 けれど――


 すぐに思い出す。


 今の自分は、北幻族としてここにいるのだ。


 知らないという素振りを見せてはいけない。


 そう思い、何食わぬ顔で茶杯を口元へ運ぼうとした。


「こちらは、ヤギの乳でございます」


「……!」


 陳飛が、瑶月へ説明するように言った。


 しまった。


 瑶月の胸に、冷たいものが走る。


 北幻族であれば――


 北玄国で暮らしてきた者ならば、この程度の習慣は知っていて当然なのではないか。


 今の反応で、自分が北幻族ではないと気づかれてしまったのではないか。


 瑶月の指先が、僅かに強張る。


 その時だった。


「瑶月は、初めて口にしますね」


 慕容が穏やかに口を開いた。


「美味しいですよ」


 そう言って、いつものように微笑む。


「彼女は北幻のものですが、他国で育ったので」


「……」


 瑶月は、慕容へ視線を向けた。


 まるで、最初からこうなることを分かっていたかのようだった。


「そうでしたか」


 陳飛は納得したように頷く。


 瑶月は小さく息を吐いた。


「……では、いただきます」


 今度こそ、ゆっくりと茶杯を口へ運んだ。


口に含んだ瞬間――


 濃厚な味わいが、瑶月の口の中に広がった。


「……おいしい……」


 思わず、瑶月の口から小さな声が漏れる。


 その様子を、向かいに座る劉晟は黙って見ていた。


 そして、ふと慕容と陳飛へ視線を向ける。


 先ほどのやり取りで――


 陳家の者たちは、恐らく瑶月が本当に北幻の者なのだと確信したのだろう。


 一国の皇帝である慕容が、その口で「北幻の者」と言った。


 その言葉の重みは――


 金よりも重い。


 そう考えながら、劉晟は室内を見渡した。


 多くの者が、瑶月へ視線を向けている。


 珍しい北幻族の姿。


 それほどまでに、人々の目を惹きつけているのだろう。


 けれど――


 ふと、劉晟は気づいた。


 陳飛の隣に座る趙香佳。


 彼女だけは、瑶月ではなく――


 慕容へ視線を向けていた。


「……」


 劉晟の目が、僅かに細くなる。


 慕容がここへ訪れること自体が、珍しいのか。


 それとも――


 何かを警戒しているのか。


 趙香佳は何も言わない。


 ただ、静かに慕容を見つめていた。


しばらくして、趙香佳がゆっくりと口を開いた。


「陛下も、お変わりがないようで」


 その言葉に、慕容が顔を香佳へ向ける。


「もう十年以上、そなたに会っていませんね」


「そうですね」


 香佳は静かに答えた。


「お互い、歳をとりましたね」


 慕容は、ふっと笑った。


 二人のやり取りを見ながら、瑶月は思う。


 ――古くからの知り合いなのだろうか。


 言葉を交わす二人の間には、長い年月を共にしてきた者だけが持つような、不思議な空気があった。


 けれど――


「陛下は、変わらず北幻の女がお好みのようで」


「……」


 その一言で。


 広間の空気が、凍りついた。


 瑶月はゆっくりと顔を上げる。


 そして、香佳を見る。


 香佳もまた――


 瑶月から視線を外さなかった。


「……」


 一瞬。


 誰も言葉を発しない。


 その沈黙を破ったのは、慕容だった。


「ふふ。何を言うのですか」


 慕容は、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。


「私は零華一筋です」


 一呼吸置いて――


「瑶月は、娘みたいなものですよ」


「……」


 その言葉を聞いた瞬間。


 陳飛をはじめ、隣にいた趙侯拓の肩からも、ふっと力が抜けた。


 どうやら、皆が同じことを考えていたらしい。


 香佳は、慕容の言葉を静かに聞き届ける。


 そして――


 ようやく、瑶月から視線を外した。


「すみません。つい、冗談を言ってしまいました」


 そう言った香佳の口元には――


 ほんの僅かに、笑みが浮かんでいた。


 重くなった空気を払うように、陳飛が軽く咳払いをした。


「……こほん」


 そして、改めて慕容へ視線を向ける。


「陛下、此度は何用でこちらへ?」


 慕容は陳飛へ顔を向けると、穏やかに微笑んだ。


「用事がなければ、臣下の屋敷へ訪れてはいけないのですか?」


「い、いえ……!」


 陳飛は慌てて首を横に振る。


「そういうわけでは……」


「そうですか」


 慕容は、くすりと笑った。


 すると、隣にいた趙侯拓が口を挟む。


「此度は、陛下が我が屋敷へ滞在されたついでに、こちらにも伺っただけだ」


「なるほど……」


 陳飛は頷く。


 そして、瑶月と劉晟へ視線を向けた。


「こちらは、景国の若き将軍――劉滄燼陛下とお伺いしました。予々、武勇のほどはお聞きしております」


「恐れ多いです」


 劉晟は一礼する。


「我が国のため、なすべきことを為しているだけです」


「ご謙遜を」


 陳飛はそう言ってから、瑶月へ視線を移した。


「そして……沈瑶月さんとのことですが、どちらからいらしたのですか?」


 瑶月がどの様に返答するか迷っているその時


 慕容が穏やかに口を開いた。


「この子は、幼い頃に北玄から誤って朔国へ渡ってしまった子なのです」


 瑶月は、僅かに目を瞬かせた。


 慕容は何の躊躇いもなく、続ける。


「此度は、この子の故郷巡りも兼ねて、ということになりますね」


 瑶月は慕容へ視線を向けた。


 そして、すぐに小さく一礼する。


「……はい」


 ――陛下というものは。


 息を吐くかのように、嘘を言うのね。


 瑶月は心の中で、そう思った。



「そうですか」


 陳飛は頷いた。


「ですが、この頃の北河は物騒ですので……」


 その言葉に、劉晟は陳飛を一瞥する。


 陳飛は気づいた様子もなく、続けた。


「けれど、陛下と劉滄燼殿下がいらっしゃるのであれば、安全ですね」


 そう言って、瑶月へ笑いかける。


 瑶月は目を伏せ、小さく頷いた。


「……ありがとうございます」


 そんな広間に――


 一人の若い男が入ってきた。


「ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません」


 男は一礼する。


「陳飛の長男、陳居菲です」


 瑶月は顔を上げ、男へ視線を向けようとした。


 けれど――


 その前に。


 陳居菲は、すでに瑶月をじろじろと見ていた。


 衣。


 髪。


 そして――


 額にある雪の紋。


 その視線は、あまりにも露骨だった。


「……」


 瑶月は何も言わず、静かに男を見返す。


「……こほん」


 その時。


 趙香佳が、わざとらしく咳払いをした。


「……!」


 陳居菲は、はっと我に返る。


「し、失礼しました」


 慌てて視線を逸らした。



「その……あまりにもお美しかったので……」


 居菲は、ばつが悪そうに言い訳する。


 そんな彼をよそに――


 瑶月は目を伏せたまま、静かに一礼した。


「……」


 劉晟は何も言わない。


 ただ――


 居菲へ、鋭い視線を向けていた。

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