疑障陳家 1
一行を乗せた馬車は、陳家の大門前へゆっくりと止まった。
大門の前には、すでに陳家の使用人たちが並んでいる。
その中央には、陳府の主人――陳飛。
そして、その隣には夫人である趙香佳の姿もあった。
周囲には、何事かと集まってきた民たちがいる。
馬車へ向けられる視線。
やがて――
馬車の扉が開いた。
最初に降りたのは、劉晟だった。
続いて、慕容が姿を現す。
その姿を見た瞬間、周囲から声が上がった。
「陛下ー!」
「陛下の横にいる方は誰かしら?」
「端正な青年ね」
慕容は民たちへ穏やかな笑みを浮かべる。
その様子に、民たちからも次々と声が上がった。
そして――
最後に、馬車から一人の少女が降りてきた。
「……」
その瞬間。
先ほどまでざわめいていた民たちの声が、ぴたりと止んだ。
陳家の者たちも――
一斉に目を見張る。
深い青から白へと移ろう衣。
長く流れる黒髪。
額に浮かぶ、雪の紋。
そして――
真珠と宝石で編まれた髪飾りから垂れる、薄いヴェール。
瑶月が一歩、足を踏み出す。
しゃら……。
真珠同士が擦れ合い、小さな音が響いた。
あまりにも静まり返った通りに、その音だけが妙にはっきりと聞こえる。
「……」
誰も、言葉を発しなかった。
ただ、目の前に現れた瑶月を見つめている。
やがて――
人の輪の中から、誰かが小さく呟いた。
「……北幻族だ……」
その沈黙を破るように、陳飛が一歩前へ出た。
「此度、陛下が我が屋敷へ出向いてくださるとは、何たる光栄でございましょう」
そう言って、深々と頭を下げる。
続いて、趙香佳が一歩前へ出た。
「いつも、兄がお世話になっております」
そう言って、彼女は慕容を見つめる。
慕容は穏やかに微笑んだ。
「此度は急で申し訳ない。友人を連れて来たので」
「これはこれは」
陳飛は顔を上げる。
そして、慕容の隣に立つ劉晟と瑶月へ視線を向けた。
一瞬――
瑶月の姿を見た陳飛の目が、僅かに止まった。
けれど、それもほんの一瞬のこと。
「陛下のご友人とのことでしたか! お会いできて嬉しい限りです」
すぐに笑みを浮かべ、歓迎の言葉を口にする。
劉晟は一礼した。
「景国、劉滄燼。此度は世話になる」
続いて、瑶月も静かに一礼する。
「沈瑶月でございます」
そう言って、柔らかく微笑んだ。
「……」
陳飛は、再び瑶月を見た。
雪の紋。
深い青の衣。
真珠のヴェール。
その姿を目にしても、表情には何一つ変化を見せない。
ただ――
「では、皆様。どうぞ中へ」
陳飛はそう言うと、屋敷の奥へと身を翻した。
慕容たちも、その後に続く。
瑶月の後ろには、趙香佳が続いた。
彼女は――
瑶月の歩みに合わせて揺れる真珠を、ずっと見つめていた。
しゃら……。
真珠が擦れ合い、小さな音を立てる。
その音が遠ざかっていくのを、趙香佳は黙って聞いていた。
※
広間へ案内された瑶月は、静かに辺りを見回した。
陳家は、北河を治める趙家の分家にあたる。
そのため、屋敷には品の良い調度品が並べられていたが、趙家の本家と比べれば、どこか控えめな印象だった。
瑶月は、ふと目の前に座る陳家夫人――趙香佳へ視線を向けた。
身に纏っている衣は、決して華美ではない。
けれど、布地も仕立ても一級品だと分かる。
そして何より目を引くのは、頭に飾られた髪飾りだった。
夜明珠。
一粒あれば城下を買えると謳われるほどの、希少な品だ。
それを惜しげもなく身につけている。
隣に座る陳飛も、それ相応の身なりをしていた。
けれど、趙香佳の装いと比べれば、幾分か控えめである。
「……」
瑶月は、二人を見つめながら考えた。
趙香佳は、王家の血を引く女性。
たとえ政略結婚であったとしても――
本来ならば、同等の身分を持つ家へ嫁ぐ。
あるいは、皇室へ嫁ぐことも珍しくないはずだ。
それなのに。
彼女が嫁いだのは、同じ北河の地にある陳家。
王家よりも身分の低い家である。
政略結婚として考えるならば――
少し、不自然だった。
ならば。
これは政略ではないのだろう。
瑶月は、陳飛へ目を向ける。
趙香佳は――
陳飛という一人の男を、愛し嫁いだのかもしれない。
そんな考えが、瑶月の胸に浮かぶ。
「瑶月さま?」
趙香佳の声に、瑶月ははっと我に返った。
「……失礼しました」
瑶月は小さく頭を下げる。
「香佳さまの髪飾りがあまりにも美しくて、つい見入ってしまいました」
そう言って、瑶月は微笑んだ。
――本当は、髪飾りを見ていたわけではない。
先ほど考えていたことに、少し意識を奪われていただけだった。
けれど、それを素直に口にするのも憚られた。
「あら? 瑶月さまがお気に召したのであれば……」
香佳はそう言うと、自らの髪へ手を伸ばした。
そして――
飾られていた夜明珠の簪を、ためらいなく外す。
「私のお古になってしまうのですが……どうぞ」
香佳は簪を瑶月へ差し出した。
「……!」
瑶月は目の前に差し出された簪を見つめる。
まさか、本当に外してくださるとは思わなかった。
「い、いえ……!」
瑶月は慌てて、ゆっくりと首を横に振った。
「このような高価なものは受け取れません」
そう言って、瑶月は微笑む。
「お気持ちだけで、十分嬉しく思います」
「……そうですか」
香佳はそう答えると、手にした夜明珠を見つめた。
そして――
何も言わず、瑶月へ視線を戻した。




