路地裏の兄妹 1
気づけば――
俺は、兄貴の仕事を手伝っていた。
檻の中にいる女たちを眺めながら、一人の若い男は、ぼんやりと昔のことを思い出していた。
両親は、俺たち兄弟を残して戦争で死んだ。
俺より八つほど年上だった兄貴は、それから必死に俺を生かしてくれた。
ゴミの中から食べられそうなものを探した。
時には、露店から食べ物を盗んだこともある。
腹が減って仕方がない時には、野犬と食べ物を奪い合った。
負ければ――
道端に落ちている枝を齧った。
それが、俺の幼い頃の記憶だった。
路地裏で、ひっそりと暮らしていた。
そんなある日のこと。
俺たちの寝床に、一人の幼い女の子が倒れていた。
身体は泥だらけで、衣服もぼろぼろだった。
一目見ただけで分かった。
――俺たちと同じだ。
親を失い、生きる場所をなくした子供。
気づけば、俺たち兄弟は、その女の子の面倒を見るようになっていた。
きっと――
自分たちを見ているような気がしたのだろう。
「名前は?」
そう尋ねると、少女は小さな声で答えた。
「……小萌」
それが、彼女の名前だった。
幸運にも、その後、兄貴は貴族の家で働き口を見つけた。
俺たちは路地裏を出て、小さいながらも屋根のある家へ引っ越すことができた。
兄貴が家へ戻ってくるのは、月に数回だけだった。
それでも――
帰ってくるたびに、金と食べ物を持ってきてくれた。
季節によっては、布まで持ち帰ってくれた。
あの路地裏での生活が、嘘だったかのようだった。
腹を空かせることも減った。
雨の日に濡れながら眠ることもなくなった。
小萌が笑うことも、少しずつ増えていった。
そんな生活が、十年ほど続いた。
俺も、もう子供ではなかった。
だから――
「俺にも仕事をくれないか」
兄貴に、そう頼んだ。
もう少しだけ、生活を豊かにしたかった。
そして何より――
小萌には、俺たちとは違う暮らしをさせてやりたかった。
良いところへ嫁がせてやりたい。
兄貴は、いつも曖昧に笑って誤魔化した。
「お前は、今のままでいい」
何度聞いても、答えは同じだった。
けれど――
俺は諦めなかった。
ある日、兄貴の隙を見て、貴族の屋敷へ直接向かった。
そこで、俺が仕事を欲しがっていることを伝えた。
すると――
「兄の仕事を手伝え」
そう言われた。
それなら、と。
俺は何も考えずに頷いた。
まさか――
それが、こんな仕事だとは思わなかった。
檻の中には、何人もの女たちがいる。
怯えた顔。
傷だらけの身体。
目を合わせようともしない者もいる。
男は、黙ってそれを見つめていた。
――これが、俺の仕事だった。
女たちは、定期的に新しく入ってきた。
その中には――
北幻族の女もいた。
この女たちは、いわば消耗品だった。
貴族たちの欲を満たすためだけに連れてこられ、飽きられれば捨てられる。
中でも、北幻族の女は特に価値が高いらしい。
北幻族の女は美しい。
そんな話は聞いたことがあった。
けれど――
それ以外に、何がそんなに貴重なのか。
最初の俺には、分からなかった。
だが、すぐに分かった。
北幻族の女は、生まれつきの髪色こそ美しい黒髪だが――
一晩、男と過ごすと。
その髪は、銀色や灰色がかった色へ変わるのだという。
そんな珍しい特徴を持つ民族だからこそ。
あいつらのような連中の、歪んだ欲の標的になるのだろう。
女たちは、日に日にボロボロになっていった。
身体だけではない。
心まで壊れていく。
中には、何も話さなくなる者もいた。
自分の殻に閉じこもり、ただ虚空を見つめ続ける者もいる。
そして――
自ら命を絶とうとする者までいた。
「……」
俺は、そんな女たちを見ていられなかった。
それでも。
仕事を辞めることはできなかった。
俺がここで稼いだ金で――
小萌を、少しでも良い暮らしへ送りたかった。
小萌と、ほとんど歳の変わらない女たちを使って。
その金で、小萌の良い嫁ぎ先を探す。
そう考えていた自分が――
ひどく滑稽に思えた。
ある日の夜。
貴族たちに弄ばれ、死んだ女たちを――
俺は兄貴と一緒に、城外へ運んで埋めていた。
灯籠の明かりだけが、薄暗い夜道を照らしていた。
俺は穴を掘りながら、ふと横へ目を向けた。
「……」
女の身体が、そこに横たわっている。
薄暗くて、よく見えない。
それでも――
見えてしまった。
身体に刻まれた傷。
想像していたよりも、ずっと酷かった。
「……っ」
胃の奥から、込み上げてくるものを抑えられなかった。
俺は、その場で吐いた。
何度も。
苦しくて、息ができなくなるほど。
気づけば――
泣いていた。
どうして泣いているのか、自分でも分からなかった。
ただ。
もう、見ていられなかった。
隣では――
兄貴が何も言わず、ただ穴を掘り続けていた。
ザク。
ザク。
土を掘る音だけが、夜の闇に響いていた。
それでも――
俺は、この仕事を辞められなかった。
あの路地裏での生活には、もう戻りたくなかった。
腹を空かせ、野犬と食べ物を奪い合っていた、あの日々には。
なにより
一度、こんな闇を覗いてしまった以上。
ここを辞めた時が、自分の死に時になる。
それくらいのことは、分かっていた。
だから。
心を殺した。
何も見ない。
何も考えない。
目の前で何が起きても――
見えないふりをした。
聞こえないふりをした。
そうして俺は――
この仕事を、続けた。




