探幽索隠 1
劉晟は、隣を歩く瑶月を眺めていた。
先ほどの慕容と瑶月の対話を思い返していた。
『世の中は残酷で、理不尽なことばかりです』
その言葉の重みが、胸にのしかかる。
劉晟は知っている。
瑶月が、何を見てきたのか。
何を失い――
何を見てきたのか――
だからこそ。
あの言葉を、簡単には聞き流せなかった。
「劉晟? 聞いてる?」
「……ああ」
瑶月の声に、劉晟は我に返った。
「趙凌様に、北河の闇市のことを聞いてみましょう」
「そうだな」
二人は、そのまま趙凌のもとへ向かった。
慕容から調査の許可は下りたが、条件が一つ。
慕容の衛兵を数人、同行させることだった。
劉晟には、その意味が分かっていた。
慕容は、我々の――
いや。
瑶月の身を案じている。
そう思いながら、劉晟は隣を歩く瑶月へ、静かに視線を向けた。
やがて、二人は趙凌を訪ねた。
「闇市ですか……」
話を聞いた趙凌は、少し考え込む。
「ここ数年、父が治安の改善に力を入れていましたから」
一度、言葉を切る。
「非合法な取引が行われていた場所は、かなり取り締まったはずです」
「……」
「ですから、城内にはもう残っていないかと」
その言葉に、一行は沈黙した。
瑶月は考え込む。
春歓薬は、通常では手に入らない。
それを継続的に入手していたのなら、どこかに必ず繋がりがあるはずだった。
その時――
「城外なら、どうだろうか……?」
劉晟が口を開いた。
「城外……」
趙凌が呟く。
しばらく考えたあと――
「……一つ、思い当たる場所があります」
趙凌が思い当たったのは、北河の城外にある山だった。
「実は……」
趙凌が静かに口を開く。
「雪が溶け始めた頃、その山の麓で一人の商人の遺体が見つかりました」
「商人?」
瑶月が聞き返す。
「ええ。調べてみると、他国から密かに持ち込まれた絵画や茶などを扱っていた男でした」
正規の商売では、到底扱えない品々。
「男の足取りを追ったところ、どうやら山の中へ向かっていたようで……」
趙凌は一度、言葉を切る。
「恐らく、山中にある闇市へ向かう途中、雪に足を取られたのでしょう。そのまま命を落としたのだと思われます」
「……」
「その一件から、山のどこかに今も闇市が存在していることが分かりました」
瑶月は、静かに考え込む。
城内には、もう闇市はない。
けれど――
城外には、まだ残っている。
「ただ……」
趙凌の表情が僅かに曇る。
「城外ということもあり、父もこれまで本格的な捜査には踏み込めずにいました」
その言葉に、瑶月は顔を上げた。
ならば――
今回の春歓薬も、そこから流れている可能性がある。
瑶月『そこへ行ってみましょうか』
※
一行は、例の山の麓までやって来た。
趙凌が示した、商人の最後の足取りがあった場所。
けれど――
そこは、一見すると何の変哲もない山道だった。
木々が生い茂り、足元には落ち葉が積もっている。
闇市があるなどとは、到底思えない。
趙凌が先頭を歩き、その後ろを瑶月が続く。
そして、そのさらに後ろを劉晟が歩いていた。
ふと――
劉晟の足が止まる。
少し離れた場所に、不自然な岩があった。
「……」
劉晟は岩の周囲を歩き、辺りを注意深く見回す。
すると――
岩の奥に、切り立った崖が見えた。
その崖には、大きな亀裂が入っている。
幅は、人が二人ほど並んで入れるほど。
「……ここか」
劉晟が呟く。
そして、迷うことなく亀裂の中へ足を踏み入れた。
その先には――
外からは想像もつかないほど、大きな空間が広がっていた。
さらに奥へ進んでいく。
しばらくすると、目の前に小さな川が現れた。
そのほとりには、一人の年配の男が座っている。
劉晟が近づくと、男が顔を上げた。
「……まだ市は開かれてない」
男は、それだけ言った。
「明日の晩に、また来い」
「分かった」
劉晟はそれ以上何も聞かなかった。
踵を返し、来た道を戻っていく。
――間違いない。
ここに、闇市がある。
※
翌日の夜。
瑶月と劉晟は、闇市へ向かっていた。
趙凌は同行していない。
長く北河に住んでいる彼の顔は、闇市の者たちにも知られている可能性がある。
それを考慮し、今回は瑶月と劉晟の二人だけで向かうことになった。
二人は商家の夫婦を装い、例の山道を進んでいく。
やがて――
昨日見つけた崖の亀裂へ辿り着いた。
二人は周囲を確認してから、その中へ入っていく。
そして、広い空間へ出た瞬間。
「……」
瑶月は、思わず目を見開いた。
夜とは思えないほど、そこは明るかった。
無数の蝋燭が壁や岩場に置かれ、広い空間を淡く照らしている。
その明かりの奥へ進んでいくと――
水音と共に小川が現れた。
そして、その水面には何艘もの小舟が浮かんでいる。
小川のほとりには、昨日の年配の男が座っていた。
二人がその男の前に立つと、男はゆっくりと顔を上げる。
「船賃は金貨一枚だ」
「……」
金貨一枚。
それは、庶民なら数年暮らせるほどの金額だった。
劉晟は何の躊躇いもなく懐から金を取り出す。
男へ渡すと、瑶月と共に一艘の船へ乗り込んだ。
船の先頭には、小さな提灯が一つ掛けられている。
蝋燭の明かりが届かない水路は、先へ進むほど暗くなっていた。
小さな提灯だけが、真っ暗な水面に浮かんでいる。
静かな水音。
揺れる船。
そして、どこへ続いているのか分からない暗闇。
どこか現実とは思えない、怪しい雰囲気だった。
「……」
瑶月は、思わず隣にいる劉晟の袖を掴んだ。
劉晟はふと、自分の袖へ目を落とす。
そして――
「怖いのか?」
「そんなことないわよ」
瑶月は、平然と答えた。
けれど。
掴んだ袖を離す気配は、まるでない。
「……」
劉晟は、もう一度その手を見る。
そして――
ほんの僅かに、口元を緩めた。




