名のない想い
劉晟は、目の前にいる盲目の皇帝へ静かに視線を向けた。
「瑶月は、先の謀叛の際に圧力に屈せず、正しくあろうとした」
淡々とした声だった。
「それにより、承琰陛下が無事に皇位につけたのもあります。公主という名には、十分かと」
劉晟はそう言った。
すると――
慕容が、穏やかな声で尋ねる。
「公主ということは……滄燼殿の妹ということになるのかね?」
「……!」
劉晟の言葉が、ぴたりと止まった。
「…………」
妹。
その一言が、頭の中を駆け巡る。
ここで「そうです」と言ってしまえば――
瑶月は、自分の妹ということになる。
「……」
劉晟は、何も言えなかった。
慕容は、そんな劉晟の沈黙をしばらく聞いていたが――
「ふふっ……」
やがて、声に出して笑った。
「もう、よい」
「……」
劉晟は、何も答えなかった。
ただ、僅かに眉間へ皺を寄せていた。
そのやり取りを、隣で聞いていた瑶月が不思議そうに劉晟を見た。
「……妹では、だめなの?」
「……」
その言葉に――
周囲が、しんと静まり返った。
瑶月は気にする様子もなく、さらに尋ねる。
「劉晟は兄様たちとも仲が良かったから、別にいいのよ?」
「…………」
劉晟は、しばらく黙って瑶月を見つめていた。
そして――
「ならん」
短く言い切る。
「妹など、必要ない」
「……?」
瑶月が目を瞬く。
劉晟はそれ以上何も言わず、くるりと背を向けた。
そのまま、足早にその場を去っていく。
「……」
残された瑶月は、遠ざかっていく背中を見つめた。
――そこまで不機嫌になること?
瑶月は不思議そうに首を傾げた。
劉晟が去っていく背中を見つめる瑶月。
その様子を、少し離れたところから見ていた万華が、千葉へそっと顔を寄せた。
「ねぇ、千葉」
「なに?」
「私、すごい秘密を発見したかもしれないわ」
万華が、興奮したように小声で囁く。
千葉は、姉を呆れたように見た。
「……ここの皆、その秘密知ってるわよ」
「え?」
万華が目を丸くする。
千葉は、瑶月へちらりと視線を向けた。
「瑶月さん以外にね」
「……」
万華は、瑶月と、去っていった劉晟の背中を交互に見た。
そして――
「……不憫だわ」
ぽつりと呟いた。
千葉も、静かに頷く。
「……ええ」
※
気づけば、東屋には瑶月と趙姉妹だけになっていた。
万華は、しばらく瑶月の様子を眺めていたが――
やがて、興味本位に尋ねる。
「瑶月さんは、どうして劉滄燼さまと一緒にいるの?」
「……どうして?」
瑶月は少し考えた。
「そうですね……」
しばらく考えたあと、瑶月は首を傾げる。
「気づいたら、一緒にいますね」
「……ふふっ」
万華は、思わず緩みそうになる口元を手で隠した。
「一緒にいて、居心地がいいんだ」
「はい。悪くはないです」
千葉は、そんな瑶月を静かに見つめていた。
「では、瑶月さんにとって、滄燼さまはどんな方ですか?」
「優しい方ですね」
瑶月が答えると、万華がすかさず口を挟む。
「特別に優しい?」
「……」
瑶月は少しだけ目を伏せた。
「多分……?」
「そうなんですね」
千葉が小さく頷く。
万華は、瑶月の様子を見ながら続けた。
「その特別に優しい滄燼さまも、いいお年頃よね」
「そうですね」
「結婚していても、おかしくないくらい?」
「ええ。そう思います」
瑶月は何でもないことのように頷いた。
すると、千葉がふと尋ねる。
「……瑶月さんは、滄燼さまに早く結婚してほしいと思いますか?」
「……結婚?」
瑶月の手が、膝の上で僅かに止まった。
その言葉を、もう一度頭の中で繰り返す。
――劉晟が、結婚する。
誰かと。
自分ではない、誰かと。
「……」
胸の奥が、ざわりと揺れた。
なぜだろう。
瑶月には、その理由が分からなかった。
そんな瑶月の反応を見て、万華がくすりと笑う。
「いつか、取られちゃっても知らないぞ」
「……?」
瑶月は、意味が分からないように万華を見る。
けれど万華は、それ以上何も言わなかった。
ただ、手元にあった茶を一口飲む。
「……」
瑶月は、黙ったまま茶を見つめた。
――取られる。
その言葉が、なぜか胸の奥に引っかかっていた。




