趙府来訪 1
やがて――
馬車が、ゆっくりと止まった。
慕容が先に馬車を降り、瑶月と劉晟も続いて降りる。
すると――
すでに屋敷の使用人たちが、門の外に整然と並んでいた。
その中央に立っているのは、この屋敷の主人。
趙王――趙侯拓だった。
その右側には、息子の趙凌。
左側には、双子の娘。
姉の趙万華と、妹の趙千葉が並んでいる。
「陛下。いらっしゃるのであれば、もう少し早く知らせていただかないと……」
趙侯拓が苦笑しながら言う。
すると慕容は、いつもの調子で笑った。
「三日前に使いを出したじゃないですか」
「三日前では、こちらも準備が大変なのですよ」
「そうですか〜」
二人は顔を見合わせ、まるで旧知の友人のように談笑している。
そんな中――
趙凌が一歩前へ出た。
そして、劉晟へ向かって一礼する。
「景国の少年英雄、劉滄燼さまですね」
「……ああ」
「お噂は予々」
そう言って、趙凌は劉晟を一瞥した。
瑶月は、ふと趙侯拓と趙凌の姿へ目を向けた。
二人とも体格がよく、武人らしい身体つきをしている。
けれど――
その手は、驚くほど綺麗だった。
傷跡もなく、節くれ立った様子もない。
瑶月は、二人の手を見ながら思う。
――おそらく、戦場へ出たことはないのだろう。
武を嗜んではいても、実際の戦場とは無縁の生活を送ってきた。
そんな印象を受けた。
そして――
瑶月の前へ、双子の姉妹が進み出る。
二人は揃って、丁寧に一礼した。
「姉の万華でございます」
「私は千葉と申します」
二人の声が、ほとんど同時に響く。
瑶月も微笑み、二人へ礼を返した。
「突然の訪問、失礼いたします」
「とんでもございません」
万華が穏やかに微笑む。
千葉も隣で静かに頷いた。
瑶月は、目の前に並ぶ双子の姉妹を見つめた。
よく似た二人。
けれど――
その表情には、ほんの僅かな違いがあるように見えた。
その後、一行は屋敷の奥へと案内された。
長い廊下を歩いていると――
瑶月の隣を歩いていた万華が、ふいに声をかけてきた。
「ねぇねぇ。あなた、景国から来たんでしょう?」
「はい」
「景国って、どんなところなの?」
万華は目を輝かせながら、瑶月を見つめている。
その様子に、瑶月は思わず足を緩めた。
すると、万華の袖を千葉がそっと引っ張る。
「姉様。失礼ですよ」
「だって、気になるんだもの」
万華は悪びれる様子もなく答えた。
瑶月は、そんな万華の姿を見つめる。
――どこか、懐かしい。
ふと、幼い頃の自分を思い出した。
外の世界に憧れていた、あの頃。
兄たちが外から帰ってくるたびに、瑶月は目を輝かせながら、外の出来事を尋ねていた。
どんな街だったのか。
どんな人がいたのか。
どんな景色だったのか。
兄たちは、そんな瑶月に楽しそうに話を聞かせてくれた。
「……ふふっ」
瑶月の口元に、自然と笑みが浮かぶ。
「大丈夫ですよ」
そう言って、万華へ微笑みかけた。
「景国はですね――」
瑶月は、歩きながら景国のことを話し始めた。
万華は嬉しそうに瑶月の話へ耳を傾ける。
時折、「それで?」と尋ねながら。
その横で千葉は、そんな姉の様子を見て小さくため息をついた。
けれど――
瑶月は気にすることなく、穏やかに笑いながら話を続けていた。
やがて自分のために用意された私室へと辿り着く。
ここで、姉妹とは一旦別れることになった。
「夕餉の時に、またお話ししましょう」
万華が名残惜しそうに言う。
「ええ」
瑶月は微笑んで頷いた。
二人を見送ってから、瑶月は私室へ入った。
中へ入ると――
すぐに、客人を迎えるために丁寧に準備されていることが分かった。
真新しい寝具。
新しく用意された茶器。
細かなところまで整えられた室内。
自分が客人として、大切に扱われていることが伝わってくる。
「……」
瑶月は室内を見渡し、小さく微笑んだ。
夕餉までは、まだ時間がある。
瑶月はまず沐浴を済ませ、新しく用意されていた衣へと着替えた。
それから私室の扉を開け、庭園へ出る。
小雪を伴い、ゆっくりと庭を散策した。
しばらく歩いたところで、庭園の東屋へ腰を下ろす。
「お嬢様、少し冷えますね」
小雪がそう言いながら、瑶月の膝へそっと膝掛けをかける。
「ありがとう」
瑶月は東屋から庭園を眺めた。
よく手入れされた庭だった。
庭の向こうに見える建物へ目を向ける。
景国で見てきた建物とは、少し造りが違っていた。
屋根の傾斜が、景国のものよりも幾分か急になっている。
「……」
瑶月はしばらく屋根を眺めた。
北玄国では、雪が多いと聞く。
――きっと、雪が屋根に積もらないようにするためなのだろう。
そんなことを考えながら、瑶月は再び庭園へ目を戻した。
小雪がお茶を淹れようとした、その時だった。
「……あら」
庭園の奥から、慕容がゆっくりと歩いてくる。
瑶月は立ち上がり、静かに一礼した。
「慕容陛下」
「瑶月は、いつも礼儀正しいですね」
「当然のことかと」
瑶月は微笑む。
慕容はそんな瑶月を見つめ、ふっと笑った。
そして、小雪が淹れたお茶を一口飲む。
「……」
しばらく黙っていた慕容が、ゆっくりと口を開いた。
「瑶月」
「はい」
「礼儀正しく、丁寧なことはいいことです」
慕容は穏やかな声で続ける。
「だけど、時にはそれが、人と人との距離を広くするんですよ」
「……」
瑶月は、少し戸惑ったように慕容を見る。
「そのようなつもりは……」
「分かっていますよ」
慕容は、ふふっと笑った。
「だからこそ、ですよ」
瑶月は何も言わず、慕容を見つめた。
それから慕容と瑶月は、北玄国の庭園のことや、道中で見た景色のこと。
どれも他愛のない話だった。
二人の間には、穏やかな時間が流れていた。
少し離れたところに控えていた小雪は、そんな二人を静かに眺めていた。
ふと――
慕容の横顔に目が留まる。
「……」
どこかで、見たことがあるような気がする。
小雪がそんなことを考えていると――
「瑶月」
「はい?」
慕容が、ふいに小雪へ顔を向けた。
「そこにいる小雪ですが……」
慕容の声が、先ほどより少しだけ低くなる。
「君の、何ですか?」
「……」
瑶月の胸に、わずかな緊張が走った。
――まずい。
もし小雪が、自分にとってどれほど大切な存在なのかを知られたら。
何かあった時、小雪を使って脅されるかもしれない…小雪に不要な危険を与えるかもしれない。
瑶月は、表情を変えずに答えた。
「幼い頃から、世話をしてくれている下女です」
「……そうですか」
慕容は、それ以上何も言わなかった。
そして今度は、小雪へ顔を向ける。
「小雪」
「はい」
「君は、いつから沈家に仕えているんですか?」
「……」
小雪は一呼吸置いた。
「記憶がある時には、すでに沈家におりました」
「……」
「なので、自分がどこの誰なのかは、分かりません」
「そうですか」
慕容は、静かにそう答えた。
それ以上は何も尋ねなかった。
ただ――
白綾の奥に隠されたその目が、何を見つめているのか。
小雪には、分からなかった。




