治らぬ傷 2
しばらくすると、瑶月はゆっくりと目を覚ました。
身体が重い。
まだ熱があることは、自分でも分かった。
瑶月はぼんやりと天井を見つめ、それからふと横へ視線を向ける。
そこには――
いつしかと同じ光景が広がっていた。
瑶月は、ふふっと小さく笑った。
「心配しすぎよ」
「……!」
劉晟が、はっと顔を上げる。
「大丈夫か?」
すぐに身を乗り出す。
「水、要るか?」
「お水、もらおうかしら」
「ああ」
劉晟はすぐに水を用意した。
瑶月はゆっくりと身体を起こす。
そして、水を受け取る前に自分の手首へ指を当てた。
脈を診る。
しばらくして――
瑶月の眉間に、僅かに皺が寄った。
けれど、それもほんの一瞬。
すぐにいつもの穏やかな表情へ戻った。
「……」
劉晟は何も言わず、その様子を見ていた。
やがて、瑶月へ水を差し出す。
「ほら」
「ありがとう」
瑶月は水を受け取り、一口飲んだ。
喉を潤してから、ふと周囲へ目を向ける。
「皆の足を止めてしまって、申し訳ないわ」
「……」
「明日には出立できると思う」
そう言う瑶月に、劉晟は静かに答えた。
「体調が良くなるまでは、ここに滞在することが決まった」
「そうなの……」
瑶月は少し困ったように目を伏せる。
「申し訳ないわ」
「そんなことはない」
劉晟は、穏やかに言った。
「安心して休め」
「……」
瑶月は劉晟を見つめる。
そして――
口元に、ほんの少しだけ笑みが浮かんだ。
しばらくすると、小雪がお粥を部屋へ運んできた。
「お嬢様、お粥をお持ちしました」
小雪が椀を差し出す。
すると劉晟が、いつものように当然のことのように手を伸ばした。
「俺が――」
だが、小雪はすっと身を引いた。
「……?」
劉晟の手が宙に止まる。
小雪は呆れたように息を吐いた。
「劉晟さまも、いい加減休んでください」
「問題ない」
「問題あります」
即答だった。
小雪はお粥の椀を抱えたまま、劉晟を見る。
「何かあった際、あなた様が不調だった場合、危険なのはお嬢様です」
「……」
至極真っ当な言葉だった。
劉晟は何も言い返せない。
しばらく黙ったまま、小雪を見つめていた。
その様子を見ていた瑶月が、ふっと笑う。
そして、少しだけ悪戯っぽく目を細めた。
「将軍さん、おやすみくださいな」
「……」
劉晟が瑶月を見る。
けれど、瑶月は穏やかな笑みを浮かべたまま、じっと彼を見返している。
「……分かった」
やがて劉晟は、仕方なさそうに立ち上がった。
それでも、すぐには部屋を出ようとしない。
一度瑶月の様子を確認してから、ようやく扉へ向かう。
そして扉の前で、もう一度だけ振り返った。
「何かあれば呼べ」
「ええ」
瑶月が頷く。
劉晟はそれを確認すると、静かに部屋を出ていった。
扉が閉まる。
小雪はそんな劉晟の後ろ姿を見送りながら、呆れたように小さく息を吐いた。
「……私がいる事を忘れているのかしら」
劉晟は、自分の部屋へ戻り、先ほどの医官たちの姿を思い返す。
そして、僅かに眉を顰めた。
北玄国の使者の中に、医官がいる。
恐らく――
あれは、自分のためではない。
瑶月のために、あらかじめ用意されていたのだろう。
だが、それにしても数が多すぎる。
まるで――
一国の姫君でも迎えるかのような扱いだった。
劉晟は、ゆっくりと目を閉じる。
すると、脳裏に月光に照らされた瑶月の姿が浮かんだ。
――もしや。
慕容は、何か知っているのではないか。
そう考えた瞬間、胸の奥がざわめいた。
けれど――
北玄国へ向けて、すでに歩き出してしまった。
今さら、その足を止めることはできない。
劉晟は静かに目を開く。
そして、机へ向かうと筆を手に取った。
しばらく考えた後、短く書き記す。
「……白虎」
扉の外で待機していた白虎が、すぐに部屋へ入ってきた。
「はい」
劉晟は書き終えた書簡を、小さく折り畳む。
「これを、軍令伝達用の鷹で承琰に届けろ」
「かしこまりました」
白虎は書簡を受け取ると、一礼した。
そして、そのまま部屋を下がっていく。
扉が閉まり、部屋に静寂が戻った。
劉晟は一人、窓の外を眺める。
しばらくして――
「……必要がないのが、一番だがな」
そう呟くと、静かに目を閉じた。
翌朝。
瑶月の熱は、すっかり下がっていた。
部屋の中には、昨夜から様子を見ていた医官たちが複数いる。
皆、瑶月の顔色を確認すると、安堵したように表情を緩めた。
「皆様、お世話になりました」
瑶月がそう言って頭を下げる。
「とんでもございません」
「どうかお気になさらず」
医官たちは、そんなことを言わんばかりに次々と頭を下げた。
やがて診察を終えた医官たちは、一人、また一人と部屋を後にしていく。
劉晟は、部屋の片隅からその様子を静かに見ていた。
最後の方になった一人の医官が、ふと何かを思い出したように足を止める。
「そういえば……」
医官は自分の荷物を探り、小さな小瓶を取り出した。
「こちらを」
「……?」
瑶月が受け取る。
「傷跡を薄くする軟膏になります。毎晩使い続ければ、残っている跡も少しずつ良くなるでしょう」
「まあ……」
瑶月は小瓶を眺める。
医官は穏やかに続けた。
「女性が身体に傷を残しているのは、何かと不便ですから」
「……」
そう言って、医官は一礼すると部屋を出ていった。
扉が閉まる。
瑶月は手の中にある小瓶を、しばらく眺めていた。
そして――
「そりゃ、誰も傷だらけのお嫁さんなんていらないわよね」
そう言って、瑶月は小さく笑った。
「そんな奴に嫁ぐ必要はないだろ」
劉晟が、淡々と言った。
「……」
青龍が、ちらりと劉晟を見る。
朱雀も、同じように劉晟へ視線を向けた。
二人とも、何か続きを言うのではないかと期待している。
小雪も、僅かに劉晟へ目を向けた。
けれど――
劉晟は、それ以上何も言わなかった。
「……」
青龍と朱雀は、無言のまま顔を見合わせる。
その横で、玄武だけが何事もなかったかのように窓の外を眺めていた。
「…いい天気だ」




