王太子 蕭長淵の後悔
あれは、よく晴れていた日だった。
東州屠城の半月ほど前だったか。
十日ほど前だったか。
もう、詳細な日程までは覚えていない。
ただ、父――玄江の書斎へ向かい、その扉を開こうとした時のことだけは、今でも覚えている。
「東州に北幻珠があるだと!?」
扉の向こうから、父の声が聞こえた。
「はい。東州に送っていた間者からの情報です」
「東州から出立した北玄の商人の荷物に、これが紛れていました」
「……沈家に、北幻珠あり」
長淵は、扉の前で足を止めた。
聞き耳を立てるつもりはなかった。
けれど、聞こえてしまった言葉を、そのまま聞き流すこともできなかった。
「劉安に書簡を出せ」
玄江が、静かに告げる。
「沈家を、一人残らず処分する」
「……」
長淵には、その意味が分かっていた。
父が以前から、沈家を危険視していたことも知っている。
王家に仕える武家でありながら、沈家は大きな権力と民意を持っていた。
もし将来、沈家が謀叛を起こせば。
王家だけでは、その力を抑えきれないかもしれない。
それならば――
早いうちに、その芽を摘む。
それが王家の務めなのだと、長淵は考えていた。
だから、止めなかった。
父の言葉を聞いても、何も言わなかった。
それが、国益のために必要なことだと思っていた。
けれど――
それが屠城という形になるとは思わなかった。
あの時。
自分が「国益のため」だと切り捨てたものが――
数百にものぼる民と。
そして、自分がずっと探し続けていた少女だったなんて。
知らなかったんだ。
長淵は、まるで別人の身に起きた出来事を語るように、淡々と話し続けた。
自分が何を聞き、何を知り、そして何を知らなかったのか。
その言葉を、承琰は静かに聞いていた。
「北幻珠って……あの物語とかに出てくるものを指しているのですかね〜」
「分かりません」
長淵は、視線を落としたまま答える。
「ただ、父は……それを有している可能性がある沈家を、見逃さなかったです」
「そうですか……」
承琰は、扇子をゆっくりと動かした。
「其方は、沈家が狙われていることを知っていた」
長淵の眉間に、皺が寄る。
「ですが――」
承琰は静かに続けた。
「それが、東州の民まで巻き込んだ屠城という形になるとは、思わなかったんですね」
「……」
長淵は答えない。
承琰は、そんな長淵を見つめながら、さらに言葉を重ねる。
「そして、おそらく――月ちゃんのことを、屠城より前から知っていたでしょう」
「……!」
長淵の瞳が揺れる。
「そうでなければ、命を懸けてまで天牢から助けようとは思わないはずです」
「……」
承琰は、じっと長淵を見つめる。
長淵は、模範的な王族だ。
そのことは、同じ皇族である承琰が誰よりも分かっている。
もし、月ちゃんと出会ったのが屠城の後だったのなら――
きっと、距離を置いていた。
彼女は屠城の生き残りという、あまりにも不確定要素な存在で危険だからだ。
それなのに、長淵は命を懸けて彼女を助けた。
ならば、屠城よりも前から、二人の間には何かがあったのだろう。
そして――
この男もまた、瑶月を大切に想う男なのだろう。
承琰は、再び口を開いた。
「其方は――」
扇子を、ゆっくりと動かす。
「自分の父が行ったことを、本当に国益だと思っているのですか?」
「……」
「無実の将軍を殺し」
承琰の声が、静かに響く。
「何の罪もない東州の民まで、巻き添えにしたことを」
「…………」
長淵は、何も言えなかった。
ただ、俯いたまま――
固く唇を結んでいた。
邂逅編 <残された者2>を是非読み直してほしいです。
長淵が自分自身を嘲笑う場面がまた一層深くなるかと…!




