承琰の揺さぶり
景国城。
長淵は、目の前に座る新たな景国皇帝――劉承琰を前にしていた。
「王太子さん。東州屠城について、知っていることを全部話してもらいたいんですけどね〜」
長淵は目を伏せたまま、沈黙を続けていた。
承琰は、そんな長淵を見つめながら扇子を仰ぐ。
「劉安と、そちらの朔国王との密信が、いくつかもう見つかっています」
ぱたぱたと動いていた扇子が、ぴたりと止まった。
「ある程度は把握しているんだ。だから、もう言っていいんですよ?」
「……」
長淵は、それでも何も答えなかった。
承琰は、しばらく長淵を見つめる。
そして、ふっと笑った。
「自分の身を案じていなくても――妹君の身は、案じた方がよろしいのでは?」
「……!」
長淵の拳が、硬く握り締められる。
爪が掌に食い込み、そこから血が流れた。
それでも、長淵は口を開かなかった。
王太子として。
祖国を、父を裏切るわけにはいかない。
けれど――
明珠が、まだここにいる。
彼女だけは、守らなければならない。
「困りましたね〜」
承琰が、困ったように笑う。
その声を聞いて、長淵がゆっくりと口を開いた。
「……いくら景国皇帝といえど、陛下は即位して間もない身です」
一呼吸置く。
「いくら何でも、他国の王族を処刑するわけにはいかないでしょう」
長淵は目を伏せたまま言った。
承琰は、笑みを浮かべたまま答える。
「王族を処刑することができなくても――」
扇子を、ぱた、と動かす。
「飼い殺しはできますよ?」
「……」
「側室にするとかね」
「……!」
長淵の瞳が揺れた。
側室という名の監禁。
確かに、それならできなくはない。
明珠を朔国へ帰さず、景国の中に閉じ込めてしまうことも。
長淵は、黙った。
そんな長淵を見ながら、承琰は静かに続ける。
「王太子さんは……東州屠城で、月ちゃんが何を経験したのか。どこまで知っているのですか?」
「……!」
長淵は、はっとした。
東州が屠城されたこと。
瑶月が罪人として輸送されたこと。
その罪状。
それらは知っている。
けれど――
あの日の東州の惨状を直接見たわけではない。
瑶月が、その中で何を見て、何を感じたのか。
自分は、何も知らなかった。
承琰は静かに続ける。
「朔国兵士が東州へ駆けつけた頃、一人の少女が、臓物が溢れた兵士の腹を縫っていたそうですよ」
「……」
「死体と血溜まりしかない城門の下で」
承琰の声から、いつもの軽さが消える。
「沈瑶月は、その手で兄らの身体の尊厳を取り戻していたのです」
一呼吸。
「たった十三歳で」
長淵の瞳が、震えた。
脳裏に浮かんだのは、あの頃の瑶月だった。
笑っていた顔。
自分の前で静かに微笑む顔。
目の前兵士を懸命に助けていた手。
――その同じ手で。
血にまみれた身体を縫っていた。
自分は、そのことを知らなかった。
知らないまま、彼女を想っていた。
彼女が何を背負い、何を失い、どれほどのものを一人で抱えていたのかも知らずに。
「それが、どれほど残酷なことか――」
承琰の声が、低く響く。
「其方には、分からないのか!!」
「…………」
長淵は、何も言えなかった。
喉が、ひどく乾いていた。
言葉にしようとしても、声にならない。
知らなかった。
その一言では、あまりにも足りない。
知らなかったことが、これほどまでに重いとは思わなかった。
あの日、自分は瑶月を助けられなかった。
けれど――
助けられなかったどころか。
彼女がどんな地獄を生き抜いたのかさえ、知らなかった。
長淵の拳から、また血が落ちた。
「…………知らなかった……」
掠れた声だった。
承琰は、そんな長淵を静かに見つめる。
「これを見過ごしてしまう人間は――」
僅かに目を細める。
「果たして、まだ人と呼べる代物なのですかね」
「……」
長淵の唇が、僅かに震えた。




