夏の終わり
夏の暑さが落ち着いた頃。
瑶月は厨房に一人でいた。
怪我もだいぶ落ち着いてきた。
これまでずっと世話をしてくれた皆に、何か礼をしたいと思い、今日は菓子を作っていた。
粉を混ぜ、餡を整えていると、厨房の入口から声がした。
「何か手伝うか?」
様子を見に来た劉晟だった。
「劉晟は座ってて。大丈夫だから」
「あぁ」
そう答えたものの、劉晟は離れようとはしなかった。
瑶月のすぐそばに立ち、黙ってその様子を見ている。
その時だった。
瑶月の足元を、一匹の鼠が素早く走り抜けた。
「……っ!」
その瞬間。
瑶月の脳裏に、天牢での日々が蘇った。
暗く、冷たい牢。
足元を這う鼠。
あの場所で過ごした時間が、一気に押し寄せてくる。
「……っ、いや……!」
恐怖と驚きで身体が強張り、気づけば瑶月は劉晟へ抱きついていた。
劉晟は一瞬だけ目を見開いた。
けれど何も言わず、怯えている瑶月を抱え上げる。
「……大丈夫だ」
そのまま厨房の台へ瑶月を座らせた。
そして、劉晟がふと顔を上げた瞬間。
「……」
息がかかるほど近い距離に、瑶月の顔があった。
「…………」
無意識に、劉晟の喉仏が小さく鳴る。
瑶月はそれに気づいたのか、急いで目を逸らした。
「……もう大丈夫だから」
「あぁ」
妙な沈黙が、厨房に流れた。
その時だった。
「滄燼さま、北玄国から――」
青龍が厨房へ入ってきた。
だが、その言葉を最後まで言い終えることなく。
「…………」
目の前の光景を見た青龍は、静かに背を向けた。
そして、そのまま厨房から走り去っていった。
しばらくして。
咳払いをしながら、劉晟が部屋へ戻ってきた。
その後ろから入ってきた青龍は、明らかに目が泳いでいる。
朱雀は、何かを察したようにニヤニヤしていた。
「北玄国からなんだ?」
劉晟の声は、いつもと変わらない淡々としたものだった。
けれど青龍は、なぜか劉晟を直視できない。
目を伏せたまま答える。
「……北玄国から、使者が来ました」
「そうか。連れてこい」
「はい……」
青龍が部屋を出ていく。
その背中を見送り、朱雀はまだ笑っていた。
――夏は、時期に終わる。




