気づかぬ想い
阿福が屋敷を出ていったあと。
しばらくして、朱雀が白虎の肩を軽く叩いた。
「諦めるのは早いですよ〜」
「……何をだ」
白虎がぼそりと返す。
「阿福ちゃんのこと」
「……」
白虎は複雑そうな顔をした。
すると玄武が横から口を挟む。
「亡くなった人には勝てないだろ」
白虎が睨みつける。
そんな二人のやり取りを見ていた瑶月が、ふと口を開いた。
「……誰かを大切に想えるって、素敵ね」
瑶月は白虎へ穏やかな笑みを向けた。
「誰かを特別に想えるというのは、とても素敵なことだと思うわ」
「瑶月さま…」
白虎が少し照れたように俯く。
すると朱雀が、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、お嬢は初恋とかないんですか?」
「初恋?」
「はい。誰かを好きになったこととか」
瑶月は少し考え込んだ。
「……」
しばらくして、首を傾げる。
「……誰かを特別に想うって、どういうことなのかしら」
瑶月がそう呟いた瞬間。
部屋に、妙な沈黙が落ちた。
朱雀も、玄武も、白虎も。
そして劉晟までもが、何も言わない。
そんな中、小雪は静かに瑶月を見つめていた。
――お嬢様は、本当に分からないのだろう。
幼い頃から、何度も教えられてきた。
自分が何を好むのか。
何を欲しているのか。
誰を大切に思っているのか。
そういったものは、決して他人に悟られてはいけない、と。
貴族の娘として。
弱みを見せず、感情を隠し、自分の心さえも律するように。
長い年月をかけて、染みついた教えだった。
だからきっと、お嬢様は自分の心に芽生えたものまで、無意識のうちに別の言葉へ置き換えてしまうのだろう。
守らなければ。
助けなければ。
私がやればいい。
――そうやって。
小雪は、あの日のことを思い出した。
劉晟のためならと、危険だとわかっている景都に残ることさえ迷わなかった瑶月。
あれほど危険な場所へ向かうことを、まるで当然のことのように受け入れていた。
けれど、お嬢様にとっては、それさえもきっと「特別」ではないのだろう。
ただ、助けなければならなかった。
だから行った。
それだけなのだ。
小雪はそっと息を吐いた。
――けれど。
とある人のために、天牢にまで入れる。
それを「特別」と呼ばずして、何と呼ぶのだろう。
小雪は何も言わなかった。
ちらりと劉晟へ視線を向ける。
「…………」
劉晟は黙ったまま、静かに茶を口へ運んでいた。
その横顔は、いつもと変わらない。
けれど小雪には分かっていた。
その目に浮かぶものを。
だからこそ、何も言わない。
きっとこの二人は、まだ自分たちの気持ちを同じ名称で呼べないから。




