↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
147/188

伝説の珠

 阿福は、生まれて初めて屋敷の中へ足を踏み入れた。


 案内された部屋に入った瞬間、思わず足を止める。


 目に入る卓も椅子も、これまで阿福が見たことのないほど上質なものだった。


「……すごい……」


 思わず声が漏れる。


 木目の美しい卓に、細やかな細工が施された椅子。


 どれも一目で、庶民が普段使うものとは違うと分かる。


「阿福さん、こちらへどうぞ」


 瑶月に促され、阿福は慌てて顔を上げた。


「は、はい!」


 瑶月が指した椅子へ、恐る恐る腰を下ろす。


 その向かいに瑶月が座り、その隣には劉晟が腰掛けた。


 瑶月は薄緑色の衣を纏い、若菜色の刺繍や飾りが施されている。


 柔らかな色合いが瑶月の美しさを引き立て、まるで春の若葉のようだった。


 その隣にいる劉晟は、白色の衣に深碧の刺繍。


 二人の衣は色こそ異なるものの、どこか調和している。


「……」


 阿福は思わず二人を見比べた。


 ――美しい。


 それだけではない。


 まるで最初から二人で一組になるよう、衣まで選ばれているように見える。


 貴族の夫婦というものは、衣まで対にするものなのだろうか。


 阿福はしばらく二人から目を離せなかった。


「阿福さん?」


「……はっ!」


 瑶月の声に、阿福は我に返った。


「す、すみません!」


「ふふ。いいのよ」


 瑶月は微笑んだ。


「よかったら、北幻珠について知っていることを教えてくれるかしら?」


「北幻珠、ですか?」


「ええ」


 瑶月の声音は穏やかだった。


 けれど、その隣にいる劉晟もまた、黙って阿福の言葉を待っている。


「はい」


 阿福は頷いた。


「この三白州では、北幻珠の伝承が盛んに伝えられているのです」


 阿福は少し考えながら、知っている話を語り始めた。


「今から二十数年前のことです。この三白州に隣接する北方の小国々が、とある民族をきっかけに争い始めたそうです」


 瑶月は黙って耳を傾ける。


「やがて争いは戦へと発展しました。その時、ある一つの小国が、その民族が持っていたという宝を手に入れたのです」


「……宝?」


 瑶月が尋ねる。


「はい。それが――北幻珠です」


 阿福は頷いた。


「北幻珠を手に入れた小国は、大きな力を得たと言われています。そして、その力によって他の小国を次々と制圧し、やがて北の国々を統一した……」


 阿福はそこで一度言葉を切った。


「それが、今の北玄国になったのだそうです」


 部屋に、静かな沈黙が落ちる。


「北幻珠……」


 瑶月が小さく呟いた。


「北にある、幻の珠」

「闇すら切り裂く珠…」


 阿福は続ける。


「そう呼ばれているそうです。国を一つに統一できるほどの、大きな力を秘めていると言われています」


 瑶月は何も言わず、阿福の話を聞いていた。


「それもあって、この三白州では北幻珠にあやかり、北幻珠のような装飾品を身につける人が増えたそうです」


 阿福は首元の飾りに触れながら、少し照れたように笑った。


「けれど、誰もその北幻珠を見たことがないので……あくまでも、みんなが想像して作った北幻珠なんですけどね」


 瑶月は黙ったまま、阿福の首元に揺れる白い珠を見つめていた。


 その隣で、劉晟もまた何も言わなかった。


 ただ、二人の視線だけが静かに交わった。




 瑶月は阿福の前に置かれた茶器へ手を伸ばすと、静かに茶を注いだ。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


 阿福は両手で茶杯を受け取った。


 立ち上る湯気から、ふわりと香りが広がる。


 透き通った茶を一口含むと、芳醇な香りが口いっぱいに広がった。


「……美味しい」


 思わず声が漏れる。


 香り高く透き通った茶は、喉を通ると身体の奥へじんわりと染み渡り、心まで温めてくれるようだった。


 そんな阿福の様子を、瑶月は微笑みながら見つめていた。


 阿福は茶杯を両手で包みながら、ふと二人の姿へ目を向ける。


 本当にお似合いな夫婦だ。


 傾く日傘、目線、歩幅…


 それら全てがこの目の前の夫婦の絆を物語っていた。


 そんな彼らを見ていると、阿福の胸には不思議と温かなものが広がった。


 そんなことを思いながら、阿福はもう一口、お茶を口に含んだ。


 やがて話を終え、阿福が席を立つ。


「今日は色々と教えてくれてありがとう」


「いえ、とんでもありません」


 阿福が頭を下げる。


 そして部屋を出ようとした時、瑶月がふと思い出したように声をかけた。


「ご主人にもよろしくね」


「……」


 阿福は足を止めた。


 そして振り返る。


 その顔には、先ほどまでと変わらぬ穏やかな微笑みが浮かんでいた。


 けれど、その瞳にはどこか懐かしむような色が滲んでいる。


「……主人は、もういないんです」


 静かな声だった。


 瑶月の笑みが、わずかに止まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。