望まぬ謀反 5
その時だった。大殿の左右に兵が現れた。
左からは、青龍と白虎が率いてきた隊。右からは、朱雀、玄武、そして小雪が率いてきた隊。大殿前を挟むように、兵たちが次々と現れる。
「……!」
長淵の瞳が僅かに揺れた。劉安もまた、周囲を見渡し、瑶月を前へ押し出した。
やがて、薄く笑った。
「だから、なんだ」
増援が来たところで。何人増えようと。劉晟は動けない。
目の前には、瑶月がいる。
劉安はそう確信していた。
だからこそ、余裕を崩さなかった。
その頃。
階段の上では、小雪が一人の女の姿を捉えていた。地面に倒れ込んでいる。血に染まった衣。腫れ上がった顔。
その姿を見た瞬間――
「……ひっ」
小雪の口から、思わず声が漏れた。
「お嬢様……?」
足が震える。何度も夢に見た。
それなのに。
目の前にいる。
瑶月が。
生きているのかすら分からない姿で。
小雪の瞳から、涙が滲んだ。
その一方で――
劉晟は、静かに劉安を見つめていた。矛を握る左手には、まだ力が残っている。けれど、今は動かない。
いや。
動けないのではない。
――待っている。
劉安の隙を。ほんの一瞬でいい。一瞬あればいい。矛先が届く距離にいる。
あと僅か。
ほんの僅かな隙さえあれば――
届く。
その時だった。
――ヒュンッ!
突然。劉安の背後の空へ、赤い光が打ち上がった。
「……?」
劉安が反射的に振り返る。
何の信号だ。その意味を確かめようと、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。
――その瞬間。
劉晟は動いた。踏み込む。矛を突き出す。
一瞬。本当に、一瞬だった。
劉安が振り返った時には――
「……!」
矛先が、すでに目の前にあった。
喉元。
あと僅か。ほんの僅かで、届く。
劉晟の矛先は――
劉安の喉仏、その寸前で止まっていた。
大殿前の空気が、凍りつく。
「お前が俺を殺せば――」
劉安が、ゆっくりと口を開いた。
「そこにいる禁軍が、その女を殺すぞ」
そう言って、地面に倒れた瑶月へ目を向ける。
「…………」
劉晟の唇が、強く噛み締められた。矛先は、劉安の喉元から僅かも動かない。劉安もまた、動かない。両者ともに、一歩も譲らなかった。
張り詰めた空気の中――
「父上!」
突然、声が響いた。
「助けに参りました!」
大殿へ続く階段の下から、一団の兵が駆け上がってくる。
その先頭にいたのは――
承琰だった。腰には剣。その表情には、いつもの穏やかな笑みが浮かんでいる。
「承琰……!」
劉安の顔が明るくなる。
そして――
「ははは……!」
声を上げて笑った。
「劉晟」
劉安は、再び矛先へ目を向ける。
「ここまでだ」
勝ち誇るように。
「お前は――終わりだ」
劉晟は、承琰へ一瞥を向けた。承琰は何も言わない。ただ、まっすぐこちらへ歩いてくる。
その時。
「父上」
承琰が静かに口を開いた。
「もう一人、お連れした者がいます」
「……?」
承琰が、後方へ目を向ける。
「皇后様です」
その言葉と共に、一人の女性が兵に守られながら姿を現した。
「……令蓉!」
劉安の顔に、明らかな安堵が浮かんだ。
妻の無事を確認すると、肩の力が僅かに抜ける。
「よくやった、承琰」
劉安は満足げに笑った。承琰は答えない。ただ、父へ向かって歩いていく。
一歩。
また一歩。
腰に差された剣が、僅かに揺れる。
やがて――
承琰は劉安のすぐ前まで来た。劉安は、当然のように思っていた。息子が自分を守るために、劉晟へ剣を向けるのだと。承琰の手が、ゆっくりと柄へ伸びる。
――カチャ。
剣が鞘から抜かれた。その切っ先が、ゆっくりと持ち上がる。劉安の口元に、笑みが浮かんだ。
「そうだ、承琰――」
次の瞬間。
承琰は何のためらいもなく――
剣を、父の胸へ突き刺した。
「――がっ……!」
劉安の身体が大きく揺れる。笑みが消える。
「……承、琰……?」
信じられないものを見るような目。承琰は何も言わなかった。ただ、冷たい目で父を見つめている。そして、静かに告げた。
「申し訳ありません、父上」
一呼吸。
「これが――」
剣を握る手に、力を込める。
「景国のためです」
劉安は、胸に突き刺さった剣を見下ろした。
「…………」
何が起きたのか。理解できない。
やがて、その手がゆっくりと剣へ伸びる。
柄ではない。己の胸に突き刺さっている刀身を、素手で掴んだ。
血が指の間から流れ落ちる。
その瞳に浮かんでいたのは――
驚愕。
そして、憎しみだった。
「……承琰」
低い声が漏れる。 次の瞬間。
劉安は、もう片方の手を伸ばした。
承琰の首を掴む。
「……っ!」
そのまま、力任せに締め上げる。
「父上……!」
承琰の顔が苦痛に歪んだ。けれど、劉安は止めない。
「貴様……」
息を荒くしながら、承琰を睨みつける。
「よくも……私を……!」
その時だった。
「――離しなさい」
背後から、静かな声がした。劉安が振り返る。
「……令蓉?」
そこに立っていたのは――
皇后・令蓉だった。
その手には、一振りの短刀が握られている。劉安が目を見開いた。
「お前……」
令蓉は何も言わない。ただ、冷たい瞳で夫を見つめていた。
そして――
短刀を、劉安の身体へ突き刺した。
「――ぐっ……!」
劉安の身体が大きく揺れ、承琰の首から手が離れた。その場に崩れかけた承琰を、令蓉が支える。劉安は胸元へ視線を落とした。すでに血で赤く染まっている。それでも、信じられないという顔で令蓉を見つめた。
「……令蓉」
掠れた声。
「なぜだ……?」
令蓉は、しばらく何も言わなかった。
そして――
「あなたに夫を殺され」
一言ずつ、静かに告げる。
「子供を奪われた私が――」
令蓉の瞳には、もう何の感情もなかった。
「あなたを愛すとでも?」
「…………」
劉安の目が、大きく見開かれる。令蓉は短刀を握ったまま、冷たく夫を見下ろしていた。
その顔に浮かんでいたのは――
長年、押し殺してきた憎しみだった。




