馬車内の密談
馬車が動き出しても、劉晟は窓の外を見ていた。景都へ続く道が、木々の向こうに見え隠れしている。
瑶月は、あそこに残された。
「景都へ戻るつもりですね」
慕容の問いに、劉晟は顔を向けた。
「瑶月を、連れ戻します」
「城門は閉ざされています。其方の顔を知らない門兵は、ほとんどいないでしょう」
分かっていた。だからこそ、今ここで馬を奪い、駆け戻ることを踏みとどまっている。
「陛下は、城内の様子を御存じなのですか」
「間者を残してきています」
劉晟の目が細くなった。慕容は口元へ指を当てる。
「今は、そのことを追及しないでください。人と連絡を取ることも、門の様子を調べることもできます。こちらから、人手も出しましょう」
「……なぜ、そこまで」
「瑶月さんを、気に入っていますから」
劉晟は、その白綾を見つめた。冗談なのか、本心なのか。顔からは読み取れない。
慕容は僅かに身を乗り出した。
「瑶月さんのために、私と協力して、謀反しませんか?」
劉晟の指が、膝の上で止まった。
「……謀反」
景国の将軍である自分が、異国の皇帝と手を組み、祖国へ兵を向ける。その誘いに、すぐ頷くことはできなかった。瑶月が、自分を逃がした。命を危険にさらしてまで、謀反の罪から遠ざけようとした。その自分が、今度は本当に皇帝へ刃を向けるのか。
「まだ、ほかに方法があるはずです」
声は低かった。
「まず、彼女がどこにいるかを確かめたい。交渉できる相手も――」
「瑶月さんは、天牢にいます」
劉晟は、慕容を見た。
「……どこに、と」
「天牢です。今朝、そこへ入れられたと報告が来ました」
劉晟は言葉を失った。聞き間違いなのではないかと疑う。
「天牢……?」
それでも、その名をもう一度口にした。別の答えが返ってくるのを待つように。牢へ送られた者を見たことがある。連れ出された時には、立つこともできなかった者を。五体満足で天牢から出てくる者を見たことがなかった。瑶月が、そこにいる。
朝から。自分が馬車で眠っていた、その間から。
「今は……」
言葉が続かなかった。息を吸おうとしても、胸の奥が詰まったようだった。
「今も、生きているのですか」
慕容は、すぐには答えなかった。
「報告が届いた時には」
劉晟の手が、扉へ伸びた。その腕を、慕容が掴む。
「ここで降りて、どうするのです」
「戻る」
「門を越えられますか」
劉晟は腕を振りほどこうとした。慕容は手を離さなかった。
「瑶月さんのところまで、辿り着かなければ意味がないでしょう」
劉晟の動きが止まった。扉の取っ手を握る指に、力が入る。この扉を開けることはできる。馬を走らせることも。だが、景都の門は、それでは開かない。劉晟は取っ手から手を離した。椅子へ腰を下ろすと、膝の上に置いた両手が震えていた。
「劉安は、彼女に証言させようとしています」
慕容が続けた。
「其方が、先代派の軍を動かしたと。彼女は、拒んでいるそうです」
劉晟は目を閉じた。拒むだろう。何をされても、瑶月は、自分を殺すための嘘を言わない。昨夜、茶を差し出してきた手を思い出した。自分の肩を支えた、あの細い腕を。今、その手がどうなっているか。
劉晟は目を開ける。
「平陽から兵を呼んでも、間に合わない」
独り言のような声だった。兵を集め、景都まで進める。最低でも十日。その十日の間、瑶月に耐えろと言うのか。
「……どれほど、待てると思いますか」
「五日も待てるとは、考えない方がいいでしょう」
五日。慕容はそう言ったが、五日後まで生きているという意味ではない。今日、命を落としてもおかしくない場所だ。劉晟は、震える左手を右手で押さえた。瑶月が治してくれた手だった。その手を、彼女が自分のために使えるようにしてくれた。
「城門を開ける方法は、あるのですか」
慕容が、掴んでいた腕を離した。
「承琰殿へ、連絡を取れます。皇帝から其方を捕らえる任を受け、城門の兵へ命令を出せる立場にあります」
「私を、捕らえるために」
「ですが、実際に捕らえるつもりなら、私へ其方の居場所を尋ねる書簡だけでは済ませないでしょう」
劉晟は慕容の顔を見た。
「間者に、承琰へ伝えさせてください。瑶月を救うために戻ると。兵を入れる道を、開けてほしいと」
「それは、皇帝の命令に背くことになります」
劉晟は頷いた。景都へ戻れば、瑶月が防ごうとした罪を、自分で引き受けることになる。それでも、彼女を天牢に置いたまま、無実の将軍でいようとは思えなかった。
「……条件は、何ですか」
慕容が僅かに首を傾げる。
「私の謀反に協力する。その代わりに、陛下は何を望まれるのですか」
慕容は、しばらく劉晟を見つめていた。やがて、小さく笑う。
「考えていませんでした。借り一つで、いかがです?」
軽い声だった。その借りが、いつ、何の形で返せと言われるものなのかは分からない。
劉晟は懐に手を入れた。折り畳んだ手紙の端が、指に触れる。
今年も、平陽の紅葉を見届けて。
自分のいない秋を、瑶月はその一文に託した。それを読む間にも、彼女は天牢にいたのだ。
「分かりました」
手紙から手を離し、慕容をまっすぐに見た。
「……謀反します」
慕容は頷き、卓へ景都の図を広げた。劉晟はそれを引き寄せる指は、まだ僅かに震えていた。その指で城門を示し、宮城までの道を辿った。
「城へ入った後の退路も、必要です。彼女を連れ出す道を、先に確保したい」
もう、戻るかどうかは考えていなかった。どうすれば、瑶月が息をしているうちに辿り着けるか。そのために、地図の上へ目を凝らした。




