天牢へ向かう者 1
長淵は、ゆっくりと天牢へ向かって歩いていた。
風が頬を撫でていく。
その道を歩きながら、ふと――
懐かしい。
以前にも、こんなことがあった。
あの日も。
自分は、彼女が囚われている場所へ向かっていた。
長淵は足を止め、ゆっくりと天を仰いだ。
「……なぜだ」
誰に問いかけるでもなく、呟く。
「なぜ、こうなった」
本来なら。
天牢にいるはずだったのは――
劉滄燼。
そうなるはずだった。
それなのに。
「……なぜ、彼女なんだ」
瑶月。
なぜ。
どうして。
自分が仕組んだことによって、彼女が天牢へ送られなければならない。
「……はは」
乾いた笑いが、喉の奥から漏れた。
笑えるはずなどないのに。
焦り。
絶望。
無力感。
様々な感情が、一度に押し寄せてくる。
今すぐにでも足を止めたい。
その場にうずくまりたい。
すべてを投げ出してしまいたい。
けれど――
あの天牢には、瑶月がいる。
長淵は再び歩き出す。
一歩。
また一歩。
重い足を、無理やり前へ進める。
何がなんでも、助けなければならない。
たとえ。
彼女に恨まれようとも。
もう二度と、笑顔を向けてもらえなくなろうとも。
それでもいい。
「……命だけは」
長淵は小さく呟いた。
「命だけは、救わなければ」
その言葉だけを胸に抱え。
長淵は、ひたすら天牢へ向かって歩き続けた。
天牢へ着いた長淵は、思わず眉を顰めた。
どこからともなく、鼻を刺すような悪臭が漂い、薄暗い廊下の隅を、何匹もの鼠が走っていく。
けれど、それ以上に不気味だったのは――
妙な静けさだった。
人の気配はある。
それなのに、声がない。
長淵は何も言わず、奥へ、奥へと進んでいく。
やがて。
天牢の最奥。
その壁際に――
一人の少女がいた。
磔にされている。
「…………」
長淵の足が止まりかけた。
瑶月だった。
両手首には太い鎖が巻かれ、その手首には、赤く血が滲んでいた。
身体のあちらこちらには、すでに鞭打たれた跡が残っている。
長淵は、思わず目を逸らした。
見ていられなかった。
これが。
自分が守るはずだった少女なのか。
自分の計画の中では、ここにいるはずではなかった。
いるべきだったのは――
劉晟だった。
それなのに。
なぜ。
なぜ、彼女が。
長淵は唇を噛みしめる。
それでも、歩みを止めることはできなかった。
ゆっくりと。
意識が朦朧としている瑶月のもとへ近づいていく。
「……瑶月」
返事はない。
「瑶月」
もう一度、呼ぶ。
その声が、遠いところから聞こえた気がした。
「…………」
瑶月の瞼が、僅かに動く。
そして――
ゆっくりと目を開いた。
霞む視界の中に、誰かが立っている。
見覚えのある顔。
「……長淵、さま……?」
その瞬間。
目を開けたことを後悔するほどの痛みが、全身を襲った。
手首。
腕。
足。
身体の至るところに残された傷が、容赦なく痛みを訴える。
「……っ」
瑶月は奥歯を強く噛みしめた。
声を漏らさないように。
痛みに耐えるために。
長淵は、そんな瑶月をただ見つめていた。
何も言えない。
何を言えばいいのか、分からない。
やがて、瑶月が静かに口を開いた。
「……長淵さま」
一呼吸。
「何をしに、こちらへ?」
その声には、怒りがなかった。
悲しみも。
恨みも。
ただ――
他人事のような響きがあった。
あの時と同じだ。
長淵はそう感じた。
瑶月が自分を、遠い人間として見ている。
そのことが、胸を締めつけた。
「其方を、助けるためだ」
長淵は、ようやく答えた。
瑶月はしばらく彼を見つめていた。
そして――
ふっと笑った。
それは、笑顔と呼ぶにはあまりにも弱いものだった。
「……あなた様が、仕組んだのにも関わらずですか?」
「…………」
その一言が。
長淵の胸へ、深く突き刺さった。
何も言い返せない。
否定もできない。
自分が仕組んだ。
劉晟を謀反人にするために。
そして、その計画の果てに――
瑶月が、この天牢にいる。
長淵はただ、目の前の瑶月を見つめるしかなかった。
その言葉が。
何度も、何度も…胸の奥へ重く沈んでいった。




