瑶月の覚悟
夕餉の卓には、いつもと同じように二人分の器が並んでいた。
劉晟は瑶月の話を聞き終えると、箸を置いた。
「俺の名で、軍を動かすと?」
「聞こえたのは、その一部だけよ。けれど、府の周りにも兵がいるわ」
劉晟は青龍を呼んだ。
戻ってきた青龍は、門の外を見てきたことを告げた。
「北と東に、見張りと思われる者が。西の通用門には、まだおりません」
劉晟は短く頷いた。
「承琰へ使いを出せ。それと、府にいる者を集めろ」
「待って」
瑶月が声を挟む。
「先に、貴方が都を出て」
「俺がいなくなれば、ここにいる者が疑われる」
「でも、ここにいたら――」
「だから、確かめる。誰が俺の名を使ったのか」
その返事を、瑶月は予想していた。
自分の知らないところで兵が動くなら、劉晟は止めようとする。屋敷の者に危険が及ぶなら、自分だけ逃げることはしない。
「陛下に、説明するつもり?」
「必要ならな」
瑶月は膝の上で手を握った。
何もしていない者が、何もしていないと訴えて、救われるとは限らない。
それを、自分は知っている。
「……少し、お茶を淹れるわ」
劉晟は、瑶月の顔を見た。
「怖がらなくていい。そなたに害が及ばないようにする」
瑶月は頷いた。
返事をすれば、声が震えそうだった。
茶を淹れる間、劉晟は青龍に、屋敷の者を少人数ずつ外へ出すよう命じていた。
兵には武装させず、都の外で待たせるように。
彼自身が出るという指示は、最後までなかった。
瑶月は袖の内側で、小さな包みを開く。
「どうぞ」
差し出した茶を、劉晟は疑わずに受け取った。
一口飲む。
その喉が動くのを、瑶月は見つめていた。
「劉晟」
「ん?」
「貴方は、この国に必要な人よ」
劉晟の眉が動いた。
「何を――」
立ち上がりかけた身体が、傾いた。
瑶月は茶杯を受け止めた。床へ落とせば、外にいる者に聞こえる。
もう片方の手で、彼の肩を支える。
「……薬、か」
その声に、瑶月の胸が痛んだ。
「ごめんなさい」
劉晟の手が、瑶月の袖を掴んだ。
指に力が入らなくなっても、離そうとはしなかった。
「そなたも……」
「今度は、私が貴方を助けるの」
目が閉じる。
瑶月はその身体を抱え、しばらく動けなかった。
青龍と白虎が入ってきた時、瑶月は劉晟を椅子へもたれさせていた。
「瑶月様、これは……」
「眠らせたわ。明日の昼頃までは、起きないと思う」
青龍の顔が険しくなった。
「殿下は、残ると仰いました」
「知っているわ」
「我々だけで、お連れするわけには」
「捕らえられてからでは、貴方たちでも助けられないでしょう」
青龍は言葉を止めた。
白虎が、眠っている劉晟を見下ろす。
「……瑶月様も、いらしてください」
「全員が城外へ避難できるまでは残るわ。府から誰もいなくなったと分かれば、城門を閉ざされるかもしれない」
「ならば、最後にお迎えに」
「見張りが増えていたら、戻らないで」
白虎は返事をしなかった。
瑶月も、必ず追いつくとは言わなかった。
「今は、まだ逃がせるの」
瑶月は二人を見た。
「捕まったら、その後は陛下の手の中よ。無実だと分かっていても、私たちには何もできなくなる」
青龍は深く息を吸い、劉晟の片腕を肩に回した。
白虎が反対側を支える。
「……お預かりします」
瑶月は一通の手紙を、青龍へ渡した。
「目を覚ましたら、これを」
劉晟の衣が、指先から離れた。
扉が閉まる直前、瑶月は一度だけ、その背中を見た。
夜明け前、朱雀から知らせが届いた。
全員が無事城門から避難できた。門の外では、青龍たちと合流できたという。
瑶月は灯りを消す。
自分も出ようと、廊下を進む。
通用門の向こうで、鎧の鳴る音がした。
「裏も固めろ。誰も出すな」
足を止める。
すぐに、表門が激しく叩かれた。
「勅命である! 晟王・劉晟を、謀反の容疑により捕らえる!」
瑶月は通用門から手を離した。
屋敷へ入った禁軍は、部屋という部屋を探した。
寝台にも、書斎にも、馬屋にも、劉晟はいない。
「どこへ隠した」
兵の問いに、瑶月は答えなかった。
「昨夜まで、ここにいたはずだ」
やはり、見られていた。
瑶月は、卓に残っている二人分の器へ目を向ける。
「沈瑶月。其方を連れていく」
腕を取られる。
瑶月は抵抗せず、屋敷を出た。
劉晟を無罪にできたわけではない。
ただ、今朝ここで捕らえられるはずだった人を、逃がすことだけはできた。




