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盤上の先

数日が経った頃。


 瑶月は自室で、一人、囲碁を指していた。


 幼い頃。


 物事を考える時には、一人で囲碁を指すといい。


 そう父から教えられて以来、囲碁は瑶月にとって一つの習慣になっていた。


 瑶月は碁石を一つ手に持つ。


 盤上を見つめながら、ゆっくりと指す。


 ――東州の風土病。


 もし。


 仮に、長淵が西の風土病を意図的に東州へ広めたのだとしたら。


 なぜ、彼は自分と共に民を救ったのだろう。


 疫病を広めたにもかかわらず。


 誰よりも早く病の正体を突き止め。


 最後まで東州に残り、民を救おうとした。


 瑶月の指が止まる。


 あまりにも矛盾している。


「……もしや」


 瑶月は、盤上を見つめた。


 長淵自身が、望んでいたわけではないのではないか。


 誰かに命じられていたのだとしたら――


 すべての辻褄が合う。


 長淵が逆らうことのできない人。


 一国の王太子が、逆らうことのできない人物。


「……蕭玄江」


 瑶月の口から、その名がこぼれた。


 朔国の王。


 長淵の父。


 朔国の頂点に立つ男。


 長淵が、自分の意思よりも優先しなければならない相手がいるとすれば――


 それは、彼ではないのか。


 瑶月は、さらに考えを進める。


 ――劉晟への暗殺。


 あの左利きの暗殺者。


 もし、あれも――


「……玄江が指示したものだったら?」


 胸の奥がざわめいた。


 あの日、劉晟を狙った暗殺者は左利きだった。


 そして。


 その直後、長淵は朔国へ戻っている。


 偶然なのだろうか。


 それとも――


 すべてが繋がっているのか。


 瑶月は、盤上の石を見つめた。


 東州の風土病。


 劉晟への暗殺。


 長淵の不可解な行動。


 そして――


 自分たちを取り巻く朔国と景国の複雑な関係。


 これまで霧の中にあった事実が。


 一つ。


 また一つ。


 少しずつ、その輪郭を現していく。


「……東州の風土病は」


 瑶月は、静かに呟いた。


「玄江が長淵さまに指示したものなのかもしれない」


 狙いは――


 東州そのものを弱体化させること。


 あるいは。


 東州にいる劉晟を狙うこと。


 どちらにせよ。


 東州へ疫病を流行させれば、民は混乱し、軍に隙ができる。そして、そこにいる劉晟を暗殺する機会も自然に増えるだろう。


 すべてが一つの盤上に置かれた碁石のように見えてきた。


 けれど――


 まだ、決定的な証拠はない。


 長淵本人に問いただしたところで、簡単に口を割るとは思えない。


 それでも。


 瑶月には、もう一つだけ分かっていた。


 長淵は、すべてを望んでやっているわけではない。


 何かに縛られている。


 その何かが――


 蕭玄江なのだ。


 瑶月の指から、碁石が離れる。


 カチリ。


 静かな部屋に、小さな音が響いた。


 石が盤上へ置かれる。


 まるで――


 霧の中にあった一手が、ようやく見えたかのようだった。



瑶月は、しばらく盤上を見つめていた。


 白と黒の石が並ぶ盤面。


 それはまるで、今の自分を取り巻く状況そのもののようだった。


 まだ、何も確かなことは分からない。


 けれど――


 慎重に越したことはない。


「小雪」


「はい」


「朱雀と玄武を呼んできて」


「承知しました」


 小雪はすぐに部屋を出ていった。


 ほどなくして。


「お呼びですか?」


「瑶月様、何かございましたか?」


 朱雀と玄武が揃って部屋へ入ってきた。


 瑶月は二人を見る。


 そして、静かに口を開いた。


「多くは聞かないで」


「……?」


 二人の表情が変わる。


 瑶月は一呼吸置いてから告げた。


「長淵さまの行動を、しばらく監視してほしいの」


「……!」


 朱雀と玄武の顔に、明らかな緊張が走った。


 けれど、二人とも理由を尋ねようとはしなかった。


 瑶月は続ける。


「それから、このことは劉晟にも秘密よ」


「劉晟さまにも……ですか?」


「ええ」


 瑶月は小さく頷いた。


「まだ確証がないもの」


 長淵が本当に誰かの命令を受けているのか。


 東州の疫病に、朔国王が関わっているのか。


 そして――


 劉晟への暗殺も、同じ人物によるものなのか。


 どれも、まだ推測に過ぎない。


「今の段階で、景国の皇族である劉晟に伝えるのは得策ではないわ」


 瑶月は静かに言った。


「朔国と景国、両国に関わることになる。慎重に進めなければいけない」


 朱雀と玄武は顔を見合わせた。


 そして、すぐに頭を下げる。


「かしこまりました」


「承知しました」


 二人はそれ以上何も言わず、部屋を後にした。


 扉が閉まる。


 再び、部屋に静寂が戻った。


 瑶月は一人、盤上へ目を向ける。


 先ほど置いた石が、そこにある。


 この一手が正しいのか。


 それすら、まだ分からない。


 ただ――


「……今回は、何もなければいいけど」


 瑶月は小さな声で呟いた。


 その言葉が、静かな部屋の中へ消えていった。



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