間話 火種を抱く者
景都、酔仙楼。
その一室に、三人の男が集まっていた。
扉は固く閉ざされ、外には見張りまで置かれている。
ここで交わされるのは――
表では決して口にできない話だった。
「まさか、ここにも先代皇帝派がいたとはな」
「案外いるものだ」
「当然だろう」
一人の男が盃を置く。
「下女の子に、この国を任せられるものか」
「そうだ。正統な血を継いでいるのは、劉滄燼さまだ」
「だが、ご本人にその気がない」
男たちは顔を見合わせる。
「滄燼さまが、その気になってくだされば……」
「そのためにも、我らが動かねばならん」
その会話を、部屋の奥で黙って聞いていた男がいた。
蕭長淵。
長淵は目を閉じたまま、何も言わなかった。
やがて――
「……そうだな」
静かに口を開く。
三人の男が、長淵へ視線を向けた。
「王太子殿下も、我らと同じお考えですか?」
「私は、そなたたちの考えを否定するつもりはない」
長淵は淡々と答えた。
「むしろ――」
一呼吸。
「滄燼を皇帝に、と望む者が多いことは、本人にも知ってもらった方がいい」
「では……!」
「ただし、焦るな」
長淵は盃を置く。
「滄燼は、そう簡単に動く男ではない」
「ならば、どうすれば?」
長淵は、ほんの僅かに笑った。
「周囲が声を上げ続ければいい」
「正統な血を継ぐ者だと」
「景国を治めるべきだと」
「民のために立ち上がるべきだと」
男たちは、黙って頷いていく。
「それだけで、滄燼の周囲は変わる」
長淵は、あくまで穏やかだった。
まるで助言しているだけのように。
だが――
その言葉の一つ一つが、彼らを焚き付けていた。
「それと……」
長淵が続ける。
「朔国については、私に任せろ」
「王太子殿下が?」
「ああ」
男たちの表情が明るくなる。
「私が間に立てば、少なくとも滄燼を敵視することはないだろう」
「それは心強い!」
男たちは、完全に長淵を味方だと思い始めていた。
けれど――
長淵は、朔国を巻き込むつもりなどなかった。
ただ、彼らがそう思うように調整しているだけだ。
朔国が劉晟を支持する。
そう思わせることで、先代皇帝派がさらに強く動く。
そして、彼ら自身の手で――
劉晟を皇位へ担ぎ上げる。
長淵が必要としているのは、それだけだった。
自分は、火をつける。
あとは、彼らが勝手に燃え広がらせればいい。
そして最後に。
その火が劉晟自身を焼き尽くす。
それが、長淵の狙いだった。
長淵は目の前の男たちへ、穏やかな笑みを向ける。
誰も知らない。
この男が――
彼らを焚き付けるために、ここへ来ていることを。
長淵には、劉安から密かに与えられた命令があった。
劉晟を謀反へ誘導し皇帝へ刃を向けさせること。
そして――
皇帝の劉安は堂々と謀反人として、劉晟を死罪に処すことができる。
だが。
それは長淵自身が望んだことではなかった。
劉安から命じられたのだ。
そして、父からも言われていた。
――この命令に従え。
――それが、朔国の未来のためだ。
朔国が望んでいるものは、明確だった。
明珠を景国へ嫁がせる。
そして、景国の皇后へ押し上げる。
皇后という地位を得れば、朔国は景国との繋がりを強め、そこから政治的にも経済的にも大きな利益を得ることができる。
そのために。
朔国は明珠を景国へ送り込んだ。
そして長淵は――
妹の未来を背負って、この計画に加担していた。
劉安からは、約束されている。
今回の命令を無事に遂行できれば。
明珠を――
承琰の皇后にする、と。
長淵にとって、それは決して小さな約束ではなかった。
妹が景国の皇后になる。
それは明珠個人の栄華だけではない。
朔国にとっても、大きな意味を持つ。
だからこそ。
長淵は、この命令から逃げることができなかった。
劉晟を殺したいわけではない。
あの男が皇位を望んでなんかないことは明白だった。
決して親しい間柄ではないが、劉晟の人となりはわかっていた。
だからなんだ――
国のため。
妹の未来のため。
その二つを秤にかけた時。
長淵には、選択肢が残されていなかった。
だから長淵は、先代皇帝派を焚き付ける。
彼らに劉晟を担ぎ上げさせる。
劉晟自身が望まなくても。
周囲から皇位を求められる状況を作り出す。
長淵は、あくまでそのための調整役。
表立って動くことはない。
ただ、必要な場所で言葉を添え。
必要な人間を繋ぎ。
先代皇帝派が、自ら動くよう仕向けていく。
そして――
彼らが十分に膨れ上がったところで、劉安へ報告する。
謀反の芽が生まれた、と。
その時。
劉安は、劉晟を処刑する。
明珠が、景国の皇后となる未来。
その未来を守るためなら――
自分は、どれだけ汚れてもいい。
そう思っていた。
だが。
それと同時に。
胸の奥では、別の声が囁いている。
――本当に、それでいいのか。
長淵は、その声を聞こえないふりをした。
酔仙楼の一室では、先代皇帝派の男たちが、未来の景国について熱く語っている。
その中心で。
長淵だけが、静かに目を伏せていた。
脳内には瑶月の姿が浮かぶ。
誰にも知られぬまま。
彼は、自分自身の手を汚していた。




