花海棠、緑葉の頃に
穏やかな春風が吹き、花海棠の緑の葉が鮮やかに映える頃。
瑶月は、景国城の後苑で令蓉と茶を囲んでいた。
目の前で上品に茶を嗜む一国の皇后。
その姿は、息を呑むほど美しかった。
そして――
瑶月は改めて思う。
この人が、劉晟の母親なのだ。
やはりよく似ている。
特に、目元。
静かでありながら、どこか人の心を見透かすような瞳。
劉晟と同じだった。
「瑶月」
令蓉が、茶杯を置く。
「そなたは、晟に戦場で拾われたと聞いたが……誠ですか?」
「拾うというより……」
瑶月は少し考える。
「攫われた、という方が正しいかもしれません」
「……」
令蓉の眉が、ほんの僅かに動いた。
瑶月は慌てて言葉を続ける。
「でも……」
少しだけ考え直すように目を伏せる。
「今思えば、助けてもらったのだと思います」
そう言って、瑶月は微笑んだ。
「……そう」
令蓉は何も追及しなかった。
ただ、静かに瑶月へ視線を向ける。
「よければ、聞かせてもらえませんか?」
「え?」
「晟と出会った時のことを」
瑶月は少し驚いた。
けれど、すぐに頷く。
「はい」
そして――
あの日のことを話し始めた。
荒野で野犬の群れに襲われたこと。
そこへ劉晟が現れたこと。
傷を負いながらも、自分たちを守ってくれたこと。
そして、その腕の傷を自分が手当てしたこと。
瑶月が話している間、令蓉は何も口を挟まなかった。
ただ、時折小さく頷きながら、静かに耳を傾けている。
その横顔には、穏やかな微笑みが浮かんでいた。
「それで……」
瑶月は続ける。
「最初は、とても怖い人だと思っていたんです」
「そうでしょうね」
令蓉が小さく笑った。
「晟は、幼い頃から愛想のない子でしたから」
「やっぱり、そうなんですね」
瑶月も思わず笑う。
「でも、思っていたよりずっと優しい人でした」
その言葉を聞いた瞬間。
令蓉の目が、ほんの僅かに細くなった。
けれど、それ以上は何も言わない。
瑶月はふと、そんな令蓉の様子を見つめた。
この人は――
態度にはほとんど出さないけれど。
きっと、劉晟のことを気にかけている。
そう思った。
それからも瑶月は、劉晟との出来事を少しずつ話していった。
毎晩の鍼灸のこと。
城下へ出かけたこと。
風鈴をもらったこと。
鍛錬中の劉晟の姿を見て、兄・滄瀾の矛術に気づいたこと。
時折、瑶月が楽しそうに笑う。
令蓉は、そんな瑶月の話を静かに聞いていた。
そして――
母親としてではなく。
一人の皇后として。
誰にも悟られぬよう、静かに息子の話を聞き続けていた。
話が弾んでいた、その時だった。
庭園の奥から、一人の白衣の男が姿を現した。
慕容だった。
側近に導かれながら、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
瑶月はその姿に気づくと、すぐに席を立った。
「慕容陛下」
深く一礼する。
「そんなに畏まらなくてもよい」
慕容は控えめに笑った。
「ありがとうございます」
瑶月が席へ戻る。
令蓉も慕容へ静かに頭を下げた。
「珍しい御客人ですね」
「少し庭を歩いていただけですよ」
慕容は穏やかに答えた。
三人は、しばらく他愛のない話を交わした。
春の庭のこと。
景都の気候のこと。
最近の東州の様子。
どれも穏やかな話だった。
けれど――
ふと、慕容が口を開いた。
「瑶月」
「はい?」
「そなたの母は、どこの出身なのだ?」
「……母、ですか?」
突然の問いに、瑶月は僅かに戸惑った。
なぜ、今になって母のことを。
そう思いながら、記憶を辿る。
「北の出身と聞いております」
「……そうか」
慕容の返事が、一瞬だけ途切れた。
「北、か」
白綾に覆われたその表情からは、何も読み取れない。
瑶月は不思議そうに首を傾げた。
けれど、慕容は何事もなかったように続ける。
「其方の父――皓然将軍は、優しかったかい?」
瑶月の表情が、柔らかくなる。
「はい」
迷いのない答えだった。
「とても優しい父でした」
幼い頃の記憶が、胸の奥に蘇る。
大きな背中。
笑った顔。
鍛錬の後、頭を撫でてくれた手。
いつも家族のことを一番に考えていた父。
瑶月は、穏やかに微笑んだ。
「……そうか」
慕容は静かに答えた。
その声は、先ほどまでより僅かに低かった。
白衣の袖の中で、慕容の指先がほんの僅かに動く。
けれど、それ以上は何も言わなかった。
春の風が、花海棠の葉を静かに揺らしていた。




