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突然の来訪者

「いやぁ〜、昨日は大変だったね」


 朝早くから訪ねてきた承琰は、いつもと変わらず扇子をぱたぱたと扇いでいた。


 瑶月はその姿を横目に見ながら、


 ――承琰殿下、暑いのかしら?


 などと、呑気なことを考えていた。


「それにしても、よかったね!」


 承琰が楽しそうに劉晟へ声をかける。


「あんな身売りをするような約束をさせられなくて」


「……」


 劉晟は何も答えず、手元の書簡へ目を落としている。


 瑶月は一瞬、きょとんとした。


 ――身売りって……。


 あまりにも承琰らしい言い方に、思わずふふっと笑いが漏れる。


「……すみません」


 瑶月が慌てて口元を押さえる。


「いいよ、いいよ〜」


 承琰は気にした様子もなく扇子を仰ぐ。


「あんなの、身売りとしか言いようがないからね」


「私は嫌だからね」


 そう言いながら、承琰は劉晟を見る。


「将来、いい歳になった年下叔父さんの世話なんて」


「……」


 劉晟の眉が僅かに動いた。


「身売りはしていない」


「景国にしたようなもんじゃないか」


 間髪入れずに承琰が返す。


「……」


 劉晟は黙り込んだ。


 瑶月は二人のやり取りを眺めながら、また小さく笑う。


 昨日の宴で、あれほど張り詰めていた空気が嘘のようだった。


 しばらくの間。


 屋敷には、穏やかな時間が流れていた。


 ――その時。


「失礼いたします」


 屋敷の使用人が部屋へ入ってきた。


「将軍」


「何だ」


「朔国の姫君が、お見えになっております」


 その一言で。


 劉晟の手が、ぴたりと止まった。


 承琰の扇子も――


 ほんの一瞬だけ、止まった。


「……お通ししますか?」


 静かな問いが、部屋に落ちた。




「承琰殿下、滄燼殿下。ごきげんよう」


 そう言って一礼した明珠が、二人の前に立っていた。


 今日の明珠は、桃色の明るい衣を身につけている。


 髪にも耳にも、ふんだんに装飾が施されていた。


 昨日の宴と変わらぬ華やかな装い。


 いかにも朔国の姫君らしい姿だった。


「こんな早い時間から晟王府に訪れるなんて、何か用かい?」


 承琰が扇子をぱたぱたと仰ぎながら尋ねる。


 その横で、瑶月は黙ってお茶を飲んでいた。


 ――承琰殿下だって、朝早くから来ているじゃない。


 そんなことを思いながら、ちらりと承琰を見る。


 明珠は瑶月へ視線を向けた。


「瑶月さんへ、朔国のお土産をお持ちしましたの」


 そう言って、にっこりと笑う。


「都でよく食べていたお菓子ですのよ」


「まあ……」


 明珠から差し出された包みを、瑶月は両手で受け取った。


「ありがとうございます」


 礼を述べながらも、瑶月は少し不思議に思った。


 ――お土産をいただくほど、明珠姫と親しかったかしら?


 思い返してみる。


 朔国の都にある茶楼で会ったことはある。


 けれど、それだけだ。


 瑶月は受け取った包みへ目を落とした。


 その様子を見ていた承琰が、にこやかに口を開く。


「なら、もう帰ってもいいんじゃない?」


「……」


「用事は終わったことだし」


 明珠が承琰を睨む。


 けれど、すぐに表情を整えた。


「私、景都へ来たのは初めてですの」


 そう言いながら、明珠は劉晟へ向き直る。


「よろしければ――景都を案内していただけませんか? 滄燼殿下」


 その瞬間。


 劉晟の視線が、初めて明珠へ向いた。


「……」


 明珠の瞳が、僅かに輝く。


 ようやく。


 ようやく自分を見てくれた。


 けれど――


「案内なら、私――」


 承琰が口を挟もうとした。


 だが、明珠はすぐさま微笑んで遮る。


「一国の皇太子さまは、ご多忙だと思いますし」


 一呼吸。


「恐れ多いですわ」


「…………」


 承琰の言葉が綺麗に封じられた。


 ぱたぱたと動いていた扇子が――


 パチン。


 閉じられる。


 承琰は無言のまま、劉晟を見る。


 けれど。


 その劉晟は――


 すでに明珠から視線を外し、手元の書簡へ目を落としていた。


「…………」


 明珠の笑顔が、ほんの僅かに引きつった。



「其方の兄に案内してもらえばいい」


 劉晟は、淡々と答えた。


「兄上は、陛下とのご予定がおありですの」


 明珠は食い気味に返す。


「……そうか」


 劉晟は、特に気にした様子もなかった。


 そして、手元の書簡へ目を落としたまま続ける。


「都案内なら、承琰にしてもらった方がいい」


「……」


「俺は、都に詳しくないからな」


 その言葉に、承琰が扇子をぱたぱたと扇ぎながら笑った。


「晟だって、何年ぶりかに戻ってきたもんね」


「ああ」


 劉晟は短く答えた。


 明珠は黙った。


 しばらくの間、何かを考えるように三人を見つめていたが――


「……分かりました」


 やがて、明珠はにっこりと微笑んだ。


「兄上に案内してもらいます」


 そう言って一礼する。


「それでは、失礼いたしますわ」


 明珠は踵を返した。


 扉へ向かって歩いていく。


 そして――


 部屋を出る直前。


 ふと足を止めた。


 振り返る。


 その瞳が、瑶月を捉えた。


「……」


 一瞬。


 明珠の顔から笑みが消える。


 強い嫉妬を宿した瞳だった。


 けれど、それはほんの僅かな時間。


 すぐに何事もなかったように前を向き、部屋を出ていった。


 瑶月は、その視線の意味を知らない。


 


 明珠の胸の中には、ひとつの思いだけが残っていた。


 ――どうして、あの女ばかり。


 どうして、あの女は当然のように滄燼様の側でお茶を嗜むの。

 

 そこは…私がいるべきだわ。

 


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