↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
102/186

宴の傷跡

翌朝。


「兄様!!」


 長淵の部屋に、勢いよく明珠が入ってきた。


 その姿を見た瞬間、長淵は昨日の宴を思い出した。


 目頭を押さえる。


 そして、静かに息を吐いた。


「……なんだ、明珠」


「劉滄燼さまのお屋敷に行きたいの」


「……」


「滄燼様は、どんな女性が好みかな〜」


「……」


「それに、どんなものがお好きなのかしら」


「……」


「滄じ――」


「いい加減にしろ!」


 長淵の怒声が、部屋中に響いた。


 自分でも驚くほどの大声だった。


 明珠が、びくりと身体を震わせる。


 長淵は、自分でも分かっていた。


 これは明珠への怒りだけではない。


 昨日の宴で感じた苦しさも。


 目の前で瑶月を見送ったことも。


 どうすることもできなかった自分への苛立ちも。


 そのすべてが混ざった、八つ当たりに近い怒りだった。


 けれど――


 それでも、言わずにはいられなかった。


「……劉滄燼の、どこがいいんだ」


 明珠は答えない。


 長淵は妹を見つめる。


「明珠」


 一呼吸。


「劉滄燼に嫁ぐということが、どういうことか分かっているのか?」


「……」


「もし、景国と朔国の間で戦が始まったら――」


 長淵の声が低くなる。


「お前が、一番最初に殺されるんだ」


 明珠の表情から、少しずつ笑みが消えていく。


「敵国の将軍に嫁いだ朔国の姫だ」


「戦になれば、誰もお前を守れない」


 明珠は黙って聞いていた。


 長淵は、さらに続ける。


「それとも――」


 ほんの僅かに目を伏せる。


「お前は、あの劉滄燼に殺されないほど愛されると思っているのか?」


「……」


 明珠の脳裏に、瑶月の姿が浮かんだ。


 白い衣。


 静かに琴を奏でる姿。


 そして――


 自分には一度も向けられなかった、劉晟の瞳。


 明珠は唇を噛んだ。


 しばらく俯いたまま黙っていたが、やがて小さく顔を上げる。


「……兄様なんて、嫌いだわ」


 静かな声だった。


 それだけ言うと、明珠は踵を返した。


 長淵は呼び止めなかった。


 扉が閉じる。


 静かになった部屋の中で、長淵は一人、目を閉じた。


「……嫌われても、構わない」


 誰にも聞こえない声で呟く。





「あんなに怒鳴ることないじゃない」


 明珠は頬を膨らませながら、廊下をツカツカと歩いていた。


 兄にあれほど怒鳴られたのは、初めてだった。


 けれど――


 怒られた理由には、納得していない。


 劉滄燼。


 敵国である景国の将軍。


 そして、先代景国皇帝の子。


 現皇帝・劉安とは、兄弟にあたる。


 その程度のことは、明珠も知っている。


 それなのに――


「どうして、父上も兄様も承琰皇太子に嫁がせようとするのよ……」


 思わず、足を止める。


「絶対に嫌」


 あの飄々とした笑み。


 何を考えているのか分からない目。


 自分には、あの腹黒そうな皇太子の方がよほど恐ろしい。


「承琰殿下なんかに、絶対嫁がないんだから」


 そう呟いたところで、昨日の光景が脳裏に蘇った。


 白い衣を纏った瑶月。


 静かに琴を奏でる姿。


 そして――


 劉滄燼の瞳。


 明珠は、唇を噛んだ。


 あの男は、一度たりとも自分を見なかった。


 どれほど美しく舞っても。


 どれほど華やかな衣を纏っても。


 その視線は、ずっと瑶月へ向いていた。


「……でも」


 明珠は小さく呟く。


「瑶月は、庶民よ」


 そう。


 いくら何でも。


 敵国の将軍と、庶民の女。


 そんな二人に、まともな未来などあるはずがない。


「そうよ……」


 自分に言い聞かせるように、何度も頷く。


「まだ、諦めることなんてないわ」


 むしろ――


 まだ何も始まっていない。


「だって、滄燼さまは私のことを知らないもの」


 知らないから、見ないだけ。


 そう思えばいい。


「私のことを知ってもらえたら……きっと」


 明珠の頬が、ほんのりと赤くなる。


 自分がどれほど大切に育てられてきたか。


 朔国で自分がどれほど多くの人に愛され、どれほど優秀な女性。


 それを知れば、きっと。


 劉滄燼も自分を見てくれる。


 そう信じていた。


「まずは……」


 明珠は考え込む。


「滄燼さまのお屋敷へ行く理由を探さなくちゃ」


 何かないか。


 何か、自然に訪ねられる理由は――。


 そう考えながら、明珠は再び歩き出した。


 今度は少しだけ、足取りが軽くなっていた。


 まだ、諦めるつもりはない。


 明珠はそう決めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。