8.地味眼鏡令息…じゃない??
さしだされた招待状に描かれた、ネリガン公爵家の紋章に、フレデリカは「まあ」と声をあげた。
招待状を持ってきたのはセルシオだ。宛名もセルシオの名。
以前に参加した晩餐会は王都のほとんどの貴族を呼んだもので、フレデリカは声もかけられなかった。
彼の言っていた新しい縁とは、もしかするとネリガン公爵のことなのかもしれない。
(だとしたら素晴らしいことだわ)
フレデリカの推測は、すぐに裏付けられることになった。
「公爵閣下が、婚約者を紹介してほしいって。実は前々から言われていたんだけど……」
セルシオは言葉を濁した。
そう言われてはいたが、フレデリカの悪名をはばかって会わせられなかったのだろう。
前回の訪問の憂鬱そうな生返事もそのせいかと思い至る。
けれど、セルシオは心を決めたようだ。
「エイベルとフレデリカにも同行してほしいんだけど……どうかな」
「もちろんよ。すごいわ、直々の招待状なんて」
フレデリカは笑顔で答えた。
セルシオは人脈を作ってくれているのだ。ヴェルチェ子爵家のために――フレデリカのために。
そして、フレデリカを婚約者として紹介しようとしてくれている。
公爵閣下の後ろ盾を得ることができれば、セルシオとの結婚もすぐに叶うかもしれない。
(やっと、やっと生活が変わるのね)
そんな弾む気持ちを胸に、フレデリカは晩餐会に参加したのだが――。
(……どうしてこうなっているのかしら)
大きなため息をついてしまいそうになって、フレデリカは唇を引き結んだ。
けれど、自分の装いを考えれば、自然と視線は下を向き、肩をすぼめてうなだれてしまう。
フレデリカのドレスはいつものように、大きく胸元の開いた露出の多いデザインで、化粧もはっきりとした顔立ちを強調する派手なもの。
「こんな姿では公爵閣下の前には出られないわ」と懇願するフレデリカを無視して、エイベルが侍女に指示した格好だった。
「セルシオにも迷惑がかかるわ」
「あら、セルシオ様にはご迷惑にはならないわ。お姉様はそのドレスのほうがいいのよ」
エイベルはそう言って笑い、フレデリカを馬車に押し込んだ。
ネリガン公爵邸についたフレデリカはセルシオに弁明しようとしたものの、セルシオも興味がなさそうに「大丈夫だ」とだけ言って、エイベルを連れてどこかへ行ってしまった。
そうして、フレデリカはいつものように一人、好奇の視線を浴びている。
(私を紹介してくれるのではなかったの? これじゃあ、まるで――)
その時、うつむきかけたフレデリカの耳に、「キャァッ」という令嬢たちの黄色い声が届いた。
「リーランド様がいらっしゃるの?」
「バルコニーに、見慣れない貴族の方がいらっしゃったって。眼鏡の……」
「リーランド様じゃないかしら」
はしゃいだ声をあげながら令嬢たちはフレデリカのわきを通りすぎていく。
フレデリカは思わずあとを追った。
見慣れない眼鏡の貴族といえば、それはリーランドではなくリイトだろう。しかしどちらにせよ、注目されるのは苦手なはずだ。
案の定バルコニーに出ると、何人かの令嬢に取り囲まれた青年が困った様子で押し留めるような仕草をしていた。
「どうぞ、お見知りおきを」
「わたくしの別荘にいらっしゃいませんこと?」
「それより王都をご案内しますわ」
令嬢たちは口々に声をかけ、青年の気を引こうとしている。
「はあ、皆さん、落ち着いて……正装をしたのがマズかったかな」
暗くて顔は見えないが、声はリイトのものだ。
(やっぱり困っていらっしゃるわ)
フレデリカはリイトと令嬢たちのいる一角へ歩みよった。わざとヒールの音が立つように大仰に歩き、手に持っていた扇をパチンと閉じる。
「まあ、皆様。甲高い声をあげてどうなさいましたの。まるで盛りのついたメス猫のようですわ」
パッと令嬢たちが振り向いた。
口角をあげてわずかに顎を反らせ、妖艶にほほえむフレデリカを見て、言い返そうと口を開くのだが、言葉が出てこない。
これについては、もう何年も悪女を演じてきたフレデリカに年季の功がある。
フレデリカが歩みを進めると、令嬢たちは悔しげに道を開いた。
リイトのもとへたどりついたフレデリカは、彼の腕に手をまわし、肩に頭をもたせかける。
「今度は皆様、急にお黙りになって……はしたない自覚があるならおやめになればよろしいのよ――」
「……ぷっ」
漏れた笑い声に顔をあげ、フレデリカはぎょっと目を見開いた。
ほかの令嬢たちもぽかんとした顔で口を開けている。けれど、フレデリカの驚きは令嬢たちとは違う。
(だ、誰!?)
リイトだと思った青年は、リイトではなかった。いや、背格好も声もリイトと同じ、手にいつもの分厚い眼鏡も持っているのだが、印象がまったく違って見えた。
広間の灯りがわずかにしか届かない暗がりでも、金髪は星屑をまぶしたように輝いている。リイトの雨に濡れたようなくすんだ色ではない。
繊細な金細工に似た睫毛の向こうには、透き通る泉を思わせるアクアブルーの瞳。
「失礼。いやいや、フレデリカ嬢にはしたない自覚があるかと問われて、言い返せるご令嬢はいないだろうね」
聞き直しても、声はリイトの声だ。
なのにしゃべり方も態度も違うせいで、まったくの別人に聞こえる。
令嬢たちは明らかに怯んでいた。
自分たちが普段からさんざんにはしたないと苦言を呈するフレデリカの前で、彼女と同じように隣国の青年に誘いかけていたのだから何も言えない。
おまけに彼は呆然とするフレデリカの腰に手をまわして黒髪に鼻先を埋め、令嬢たちを流し見ながらくすりと笑った。
「な……っ」
「申し訳ない、今夜はフレデリカ嬢とすごすことにしますよ。ここまで情熱的に誘われては……」
言いかけて、青年はふと言葉を切る。
赤くなったフレデリカから身を離すと、顎に手を当てて思いだすような顔になった。
「誘われてないですね。助けてくださってありがとうございます」
「……やっぱり、リイト様?」
彼を取り囲んでいた何人もの令嬢はそそくさとバルコニーから退散している。
普段のように戻った口調に、フレデリカも素に戻った。
自分を怪訝な顔で見つめるフレデリカに、手に持っていたリイトは眼鏡をかけ直した。
途端に、リイトは輝きを失った。
そうとしか表現できないほどに、美しい金髪は色褪せ、目も隠れ、ついでに肌もくすんで見えた。
「ええ。この眼鏡をかけると存在感を薄めることができるんです。ただ、名指しされると効果が弱まる」
「魔法、ですか……?」
「魔道具というものですね。魔法は限られた者しか使えませんから、実はホレスベルでは魔道具開発のほうが盛んなのです」
「ううん……?」
思いがけない話にフレデリカは唸り声をあげた。
フレデリカの暮らしてきたメルクス王国では、魔法や魔道具といったものは話でしか聞いたことがない。それこそ、ホレスベルにはそうしたものがあるらしい、という噂程度だ。
「それより、よかったのですか? ぼくを助けたりして」
リイトに尋ねられて、フレデリカは彼を見た。
分厚いレンズの向こうに半分が隠れてしまったリイトの表情は、はっきりとは読みづらい。
「あなたが悪女のようにふるまうことを、あなたの婚約者は嫌がるのでは?」
思わずフレデリカの口元に、苦い笑みがこぼれる。
誰に何を聞いたのかはわからないが、リイトはセルシオのことを知ったらしい。
(いえ、もとからね)
〝魔性の悪女〟の噂には、最初からセルシオの存在があった。フレデリカは婚約者を放置して男漁りに精を出すがゆえに悪女なのだ。
そして、どうせもう心配には及ばない。
「いいんです」
「いい?」
うつむくフレデリカを覗き込むように、リイトが首をかしげる。
「彼はきっと、私を――」
「――フレデリカ! どこにいる? 出てくるんだ!」
突然、セルシオの声がした。
同時にバルコニーへ現れたセルシオに腕をつかまれて、フレデリカはよろけながら広間へ引かれていく。
「痛いわ! 乱暴はやめて……」
広間の中央にはエイベルが立っていた。突き飛ばすようにフレデリカの腕を放したセルシオは、エイベルの隣に並ぶ。そしてフレデリカを指さすと、先ほどフレデリカが言いかけた言葉を言い放った。
「婚約破棄だ、フレデリカ!」




