19.放蕩令息の呟き【リーランド視点】
静かに涙を流していたフレデリカは、我に返ったように顔をあげた。
「も、申し訳ありません」
そう言って、そそくさと部屋を出ていってしまう。
テーブルの上に残されたガラスの靴ならぬ分厚いレンズの眼鏡に苦笑していると、レイトが入ってきた。
「フレデリカ嬢に渡してくれ」
眼鏡をさしだすリーランドに、レイトは唇をまげて苦い顔つきになった。
「どうして泣かせるんです」
「泣かせてない。慰めた……はずだ」
「お化粧が崩れたとノイラとセレネが怒っていましたよ」
「だから、泣かせてない」
主従はしばらく睨むように見つめあった……と、リーランドは感じた。レイトは分厚い前髪で目元を隠しているから、わからないけれども。
先に折れたのは主人のほうだった。
「……ホレスベルに書状を送る。手配してくれ」
「かしこまりました。宛て先は」
話題を逸らすリーランドに、レイトは便箋とペンを取りだした。
「陛下とうちの父親に」
「旦那様の胃痛が心配ですね……」
「まだ中身を読んでないだろう。書いてもいないんだから」
「察しはつきますので」
リーランドはペンをとり、挨拶の言葉を書いた。流れるような筆跡は美しく、魔力も関係ないのに心動かされると評判の筆跡だ。
ただしリーランドが書こうとしている内容は、たしかにアッシュベリ公爵家当主である父親にとって、なかなか頭を抱える事態だろう。
リーランドは目を閉じて、まぶたの裏にフレデリカの笑顔を思い描いた。
それから、透明な涙をこぼしながら「ありがとうございます」と告げたフレデリカを。
はじめはちょっとした好奇心だったことは否めない。
自分と同じようなあだ名を持つ令嬢がいるのだと聞き、彼女もまた魔力が強いのだろうと思った。
ただ、その噂を運んできた国は魔法や魔道具といったものの知識もなく、令嬢本人ですら自分の魔力に気づいていない可能性は高かった。
魔法や魔道具に触れる機会のあるホレスベルの貴族たちですらリーランドを〝放蕩令息〟と呼ぶ。
なら、何も知らない異なる大陸の人々は、彼女をどう扱うのかと――。
出会った彼女は、噂以上に妙な役割を押し付けられ、苦しんでいた。
しかし一方で、すれたところもなく、ほかの貴族令嬢にはない素直な笑顔と感情表現があった。
そのことはリーランドに驚きをもたらした。
魔力と美貌を持ちながら、増長もせず、これほど純粋な令嬢がいるのかと。
性格が悪いと自覚しているリーランドからすれば、フレデリカの笑顔はまぶしくて、心の奥底がほんわりとあたたかくなる。
あの笑顔を隣で見ていられるのなら。
「父上には申し訳ないが、多少の胃の痛みは我慢していただこう」
あっさりと言ったリーランドにレイトは「はあ」となんとも言えない返事をした。
リーランドを相手にこうした態度がとれるのは、レイト自身が普通の人間よりは強い魔力を持ち、かつそれを鍛えてきたからだ。
そうでなければリーランドに仕えることはできない。
リーランドの魔力に感情をかき乱されることなく、冷静に意見が言える者。妄信的に追随するわけでも、くだらない反発心を抱くわけでもない者。
リーランドが必要とするのはそういった側近たち。
同じくそうした方針で育てたノイラやセレネに、フレデリカの世話を任せられたのはよかった。
――ちょっと、率直に育てすぎたような気もするが。
「骨抜きにされていますね」
ズバリと言われて、リーランドは黙り込んだまま髪をかきまわした。
「いいだろ、べつに。そろそろ落ち着いたらどうだって父上も言っていた」
「もちろん、悪いとは思いません。ただ数日前は余裕ぶってたなと思い返していただけで」
「言うな」
「初心なところがかわいいとかなんとか」
「だから言うな」
「初心なのはどっちなのかな、と」
「……」
遠慮のない従者に閉口したリーランドは、手もとの便箋に視線を戻した。
フレデリカは子爵家を取り戻すために行動を起こすと言う。
なら自分も行動を起こすべきだろう、前を向いた彼女に置いていかれないようにするためには。




