11.おいしい朝食
翌朝、ネリガン公爵邸の客間で爽やかな朝を迎えたフレデリカは、昨夜甘えてしまった現実と向きあっていた。
(流されてしまった……)
前菜のあとは滋味たっぷりの野菜のポタージュと焼きたてパン、皮はパリッとバターのきいた白身魚のソテーに、メインディッシュは霜降り肉のステーキ、三種類のソース付き。
最後にはミルクの風味ゆたかなアイスクリームと紅茶が出て、あれよあれよという間に食事が終わり、就寝の支度を整えられて、ふかふかのベッドにさっぱりした寝間着で横になった――そこからもう記憶がない。
自覚はなくともよほど疲れていたのだと思う反面、流されすぎだとも思う。結局まだ、ネリガン公爵にはご挨拶ができていない。
反省しているはずなのに、舌の上に広がった味を思いだすだけでお腹がくうくうと鳴る。
そのくうくうに応えるように、廊下からドアがノックされた。
「フレデリカ様、ご朝食をお持ちしました」
「あ、はい。どうぞ」
ドアを開けたのは二人の侍女だった。昨夜、フレデリカのドレスを替えてくれた侍女たちのうちの二人で、一人はフレデリカよりも年下に見え、一人は十近く上に見えた。
二人とも同じ、明るい茶色の髪と落ち着いた緑の目は、歳の離れた姉妹なのかもしれない。
「朝食はガレットです。卵は半熟にいたしましたがよろしいでしょうか」
「ありがとう」
テーブルに置かれたプレートは大きな丸い縁取りがされただけのシンプルなデザインだったが、その上の料理は初めてのものだった。
丸い生地が、卵を包むようにして四角く折られている。
(これが、ガレットというもの……)
エイベルがメイドたちに自慢していたのを聞いたことがある。異国風の料理で、王都ではとても流行っているのだとか。たしかに目を引く不思議な食べ物だ。
ナイフで切り分け、ひと切れを口に運んで、フレデリカは思わず口元を押さえた。
「おいしい……!」
昨夜からこれしか言っていないような気がするが、どうしても口をついて出てくる素直な感想なので仕方がない。
線状の模様が刻まれた生地はどういうことかと思っていたら、細長く切ったじゃがいもを重ねあわせたものだった。
織り目のように凹凸のある表面はカリッと焼かれていて歯触りがいいし、薄いが中はもちもち。とろりとした半熟の卵と相性ばっちりだ。
ガレットの隣に盛りつけられたサラダにはオレンジが添えられていて、これも甘酸っぱいドレッシングとよくあっていた。
温かなコンソメスープを飲んだら、一日の活力が湧いてくる気がした。
ここまでしてもらって、だんまりを決め込むわけにはいかない。
「ごちそうさまでした……」
至福の時間に感謝を込めて両手をあわせ、フレデリカは表情を引きしめると立ちあがる。
「リーランド様にお伝えいただけるかしら。お礼を申しあげたい、と……それに、ネリガン公爵閣下にも」
フレデリカの言葉に、二人の侍女は「かしこまりました」と頭を下げた。
*
着替えののち、緊張しながら挑んだネリガン公爵との対面は、想像とはまったく異なる空気で進んだ。
すでにリーランドからは、「ぼくがフレデリカ嬢を招待したと知って大喜びでしたよ」とは聞いていた。
けれど、社交辞令ではなく本当に文字どおりの〝大喜び〟だとは思っていなかった。
「リーランド殿だけでなく、フレデリカ嬢にまでご滞在いただけるとは思っておりませんでした。まことに嬉しいかぎりで」
立派に蓄えたひげを震わせ、ネリガン公爵は満面の笑みを見せた。
揉み手までしそうな勢いの公爵にフレデリカはぽかんと口を開けそうになり、慌てて表情を引きしめた。が、次の瞬間にはまた驚くことになっていた。
「ネリガン公爵、フレデリカ嬢は昨晩だけです。今日からはぼくといっしょに宿のほうへ」
「えっ」
「おふたりとも、もっと長くいてくださってかまいませんのですよ」
いつのまにか、リーランドとともに宿屋へ移ることになっていたらしい。
今朝のリーランドは、眼鏡をかけたリイトの姿だ。
「そんな、そこまでご迷惑をおかけするわけには」
「いえ、迷惑ではありません」
「どうぞご迷惑だなどとおっしゃらずに」
リーランドに言ったはずの言葉にネリガンまで答えを返してきて、フレデリカは返事に詰まる。
(たしかに、自宅には戻れそうにないけれど……)
エイベルはセルシオを奪い、ヴェルチェ子爵家の当主となるつもりだ。ただ、最重要協力者であるネリガン公爵は、いまフレデリカの目の前で連泊を勧めている。
訳がわからない。が、尋ねるにも順序というものがある。
ひとまず本日の宿については置いておくことにして、最も気になっていた婚約破棄について謝罪しなければ、とフレデリカは立ちあがった。
「あの、昨夜はせっかくの晩餐会で騒ぎを起こしてしまい、申し訳ありませんでした。無礼なことと存じております。家族の不始末、お詫び申しあげます」
深々と頭をさげるフレデリカに、ネリガン公爵は「なんのなんの」と首を振る。
「招待したのはこちらです。トラブルがあれば、それは主催者の不徳。リーランド殿にもお手を煩わせました」
今度はネリガンがリーランドに頭をさげた。
そういえば、セルシオの婚約破棄劇はリーランドの登場によって注目を奪われ、尻すぼみに終わってしまった。あれはフレデリカを助けるためだったのだ。
「不届き者のセルシオ・マコールとやらはすぐに叩きだしました。少し目をかけてはいたのですが、増長させてしまったようだ」
これもまた意外な言葉にフレデリカは目を瞬かせる。
ネリガン公爵はエイベルを養女にするどころか、セルシオの味方をする気もないらしい。
残念ながら、すべてはセルシオの妄想だったようだ。
(なら、エイベルが子爵家を継ぐことはない?)
詳しく話を聞きたいが、ネリガンは愛想笑いを浮かべながらチラチラとリーランドに視線を送っていて、あまり話を長引かせたくない気配が伝わってきた。
「お屋敷に泊まらせていただき、感謝しております。お食事もすばらしく、感動いたしました。シェフにお伝えくださいませ」
会話の切り上げ時だろうとフレデリカはふたたび頭をさげる。
料理に対する賞賛にはお世辞ではなく本気の感情がにじんでいたと思う。
あの料理がもう食べられないのだけは心残りだ、と思ったところで、ネリガン公爵は名誉を譲るといった表情でリーランドを見た。
「わが家はキッチンをお貸ししただけで、実は食事を作ったのはリーランド殿の従者の方なのですよ」
「レイトに伝えましょう。昼食はさらに張りきって腕を振るうでしょうね。ぼくたちの泊まっている宿でも、キッチンを借りていますから」
「……よろしくお願いいたします」
レイトに似た厚い前髪と眼鏡の向こうでにっこりと笑うリーランドに、フレデリカはまた流されそうな自分を自覚した。
悪女として貴族や令息たちを誘ってきた自分は、実際には流されやすい性格だったようだ。




