10.おいしい夕食
案内された部屋に待ち構えていたのは、リーランド……ではなかった。
侍女と思しきお仕着せ姿の数人の女性たちが、深々と頭を下げてフレデリカを出迎えた。
「主人リーランドはお戻りまで今しばらくかかるため、先におくつろぎいただきたいとのことです」
「えっ、あ、はい……?」
たしかに広間であらほどの人数に囲まれていたリーランドは、すぐに抜けだしてはこられないだろう。
しかし、あれはリーランドではなくリイトのはずで……。
まだ状況をよく呑み込めないままに、フレデリカは頷いた。
それが、よかったのかよくなかったのか。
「では、お召し物を替えさせていただきます」
レイトが出ていくなり、すっと顔をあげた侍女たちが、フレデリカを取り囲む。
(ん? え????)
「失礼いたします」
「どうぞ楽になさってくださいませ」
侍女たちは流れるような手さばきで、髪飾りを外し、アップにまとめていた髪をほどき、露出の多い〝悪女〟ドレスを脱がせた。代わりに着せられたのはゆるやかな綿のドレスと毛織物のローブで、ゆったりとした着心地と肌を隠せるデザインにフレデリカはほっと息をつく。
ついで、椅子に座らされた。背もたれが倒れる仕掛けのある椅子で、クッション素材の座面が体をふんわりと受けとめてくれるうえに、足置きまでついている。
言われたとおり体を楽にして横になっているうちに、涙で崩れた化粧も落とされ、湯で蒸したタオルを顔にあてられた。
(気持ちいい……)
社交辞令ではなく、リーランドは本当に自分をくつろがせるつもりらしい、とフレデリカは思った。
温かなタオルの下で目を閉じる。
けれどまどろんだフレデリカの脳裏をよぎったのは、楽しい思い出ではなく、先ほどのセルシオが浮かべた、勝ち誇ったような笑みだった。
(あんな顔は見たくなかったわね……)
エイベルと同じ、フレデリカを見下したくて、自分がフレデリカよりも優位なのだと思いたくて仕方がないと言いたげな目。
いつのまにかセルシオの中でも、フレデリカを突き放すことが自尊心の回復につながってしまったらしい。
(ネリガン公爵は本当にエイベルを養女に迎えるのかしら……? セルシオのことをそこまで気に入っていると……?)
深く落ち込んでしまいそうな思考を振り払って、フレデリカは目の前の問題に意識を向けた。
セルシオは勘違いをしている。品行方正であるかどうかは、当主の資格に関係がない。
遊び歩いていて当主の資格なしと判断されるのであれば、ロングス伯爵のような人々もその地位を追われることになってしまう。
ネリガン公爵がエイベルを養女とし、ヴェルチェ家を継ぐにふさわしいと主張したところで、それは公爵家による子爵家の乗っ取りにすぎない。
フレデリカは自分が正統な後継者であると国王に訴え出ることになる。
もちろん〝悪女〟フレデリカを嫌う貴族は多いから、ネリガン公爵に味方をする者もいるかもしれない。
しかし賭けの勝算は高いとは言えない――。
「お顔を失礼いたします」
顔にかかっていたタオルがそっと外されて、花の香りをたっぷりとつけた香油が落とされた。
揉み込むように塗り拡げる手の動きが心地よい。
最後にやわらかく眉を描いて、落ち着いた色のアイシャドウをのせると、椅子の背もたれを戻して侍女たちはさがっていった。
入れ違いに現れたのは、今度こそリーランド――なのだろう。
輝く金髪と透き通った青い目を持つ彼は、フレデリカからすれば〝眼鏡を外したリイト〟だが。
「どうして――」
「言ったでしょう、今夜はフレデリカ嬢とすごすことにするって」
リーランドはやわらかな笑みを浮かべた。その貴族然とした表情が、フレデリカに彼の身分を思いださせた。
ハッとして立ちあがり、礼の姿勢をとろうとするフレデリカを、リーランドは手をあげて制する。
「これまでどおりでお願いします。いえ……できれば多少くだけた間柄の友人、で」
「畏れ多いことです。私には過分なお心遣いで……」
「それがあなたのもともとの性格なんですね」
恐縮するフレデリカにリーランドは笑い、すぐに目を細めて考えるような仕草をした。
「ではこうしましょう。壁にさせてもらっていたお礼です」
「壁?」
「〝魔性の悪女〟がいてくれたおかげで、〝放蕩令息〟はいつもよりずっと楽に姿を隠していることができましたし、晩餐会の食事や観察を楽しむ余裕もありました」
フレデリカは壁の花になっていた眼鏡姿のリーランドを思いだした。エイベルのように、リーランドが訪問中だという噂を知り、出会いを期待していた令嬢も多くいただろう。
しかし彼女らがリーランドを見つけられなかったのは、フレデリカがいたから。リーランドはそう言っている。
「ぼくはあなたを利用していたんですよ。今度はぼくがあなたをもてなさなければ、貴族のマナーに反するでしょう。ね、だからお願いします」
両手をあわせたリーランドは、うかがうように小首をかしげた。
この言葉に頷いていいのだろうかと悩んでいるうちに、レイトが入ってきて、テキパキと夕食の準備を始めてしまった。
テーブルにクロスを広げ、花をのせて、ナプキンを蝶の形に折りたたむ。並べられたカトラリーは簡略化された形式のものだったが、コースの品数があることは間違いない。
前菜が運ばれてくると、リーランドは立ったままだったフレデリカの背後にまわり、椅子を引いてくれた。
前菜は、肉や野菜を組みあわせたテリーヌに、酸味のあるジュレや燻製サーモンのマリネが、花を象った皿にのせられていた。
「おいしい……!!」
ひと口味わうなり目を輝かせ、フレデリカは思わず声をあげた。
悪女のフリに忙しく、憧れるだけでちっとも口にできなかった夢が、ようやく叶った。
頬をゆるめて食べ進めるフレデリカを、リーランドもニコニコと眺める。
「気に入ったものがあったら言ってください。おかわりを持たせましょう」
「ありがとうございます。あの……リーランド様? それともリイト様とお呼びした方がよろしいですか?」
「リーランドでお願いします。どちらにせよ、あなたには正体を明かすつもりでした」
フレデリカはフォークを置こうとした。
料理はとてもおいしい。今まで食べたことがないくらいに。
しかしここはネリガン公爵邸。こうした料理も公爵邸のキッチンからやってきているはずで、自分を婚約破棄したセルシオは、ネリガン公爵と昵懇の仲だと言う。
自分を歓待することはリーランドの不利益になりはしないかと、一抹の不安がよぎる。
――そう思うのに、手と口は言うことを聞かなかった。
「おいしい……っ!」
「よかった。追加を運ばせましょう」
リーランドがそう言ったのと、ドアが開いたのは、同時だったように思う。
入ってきたレイトがフレデリカの前に別の皿を置く。今度は牛肉のワイン煮込みや、トーストしたパンにハムやハーブをのせたもの、鴨肉の燻製などが並んでいた。
(肉尽くしの前菜第二弾……!?)
フレデリカにとってみれば、目もくらむようなごちそうだ。
「ぼくは、ネリガン公爵からぜひにと誘われてこの屋敷に滞在しています。ま、ひとまずは難しく考えずに料理を楽しんでください」
ちらりと対面のリーランドを窺い見れば、彼は手元の料理に視線を落としながら、穏やかなほほえみを浮かべている。
リーランドの表情や声には、人を心地よくさせる不思議な力があった。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えまして……」
もう逆らおうという気力は湧かずに、フレデリカはそう言った。




