#7 談話室
前回のあらすじ
ダンジョンの最奥へと逃げ込んだ僕たちだったが、中央王国の騎士団の一人であるソレユエに襲われてしまう。その結果、最奥の床が抜け、全てが新品のような異質な室内へと迷い込んでしまう。
悪夢がいる。すぐそこに。
「立て。そのナイフじゃ抑えるだけしかできない」
押さえつけられた液体の拘束は随分緩くなり、脱出が可能なほどにまでなった。すぐさま這い出て、液体から距離を取る。
「逃げるぞ。こっちだ!」
そう言うとソシテは部屋の奥へ消えていった。僕もその後を追うが、そこで気づく。ここは先ほどまでの廊下ではなく、同じような高級感テイストで取り繕った寝食ができそうな部屋だった。そして、僕はてっきり壁がなくなったものだと思っていたのだけれど、実のところはドアに寄りかかっていたらしい。そこをソシテが開いて、僕は助かったと言うわけだ。
ドアが開いて中に入れば部屋がある。凹と凸みたいな噛み合わせだ。
しかし、ここが部屋というのならそこまで広いとは思えない。ドアとドアとの感覚も広いわけではなかったし。液体が入り口にいる以上、僕らに逃げ道はないはずだ。
ソシテが向かったのは風呂場だった。ここもまた汚れひとつない、真っ白で陶器のように曲線で模った浴槽がある風呂場だ。
「あの、ここに逃げてどうするんですか?」
ここには出口と入口を兼ねたドア以外、ドアも廊下もない。逃避という目的で訪れるには不適格な一室だろう。
「さて、どうするかな」
「ノープランなんですか?!」
とにかく僕は観察する。どこでもいい、逃げ道はないだろうか。肩が通りそうな四角形、頭より小さな円形、腰より短い三角形。
ふと足元の排水溝に目がついた。排水溝は円形で、同じ形の鉄格子が嵌められている。大きさは風呂場には似つかない程度に広めで、体はギリギリ通りそうだ。
「この排水溝はどうですか! ここなら通れるんじゃないですか!」
そういってから僕は排水溝に飛びつき、鉄格子を外そうと画策し始めた。
開かない。力が足りないのかな? いや、そんなことはない開かない。なら、特殊な開け方をするタイプ? といっても、特別回ったりもしないし、全く動いたりもしないし……
四苦八苦していると、傍から錆びたナイフが伸びてきた。錆びたナイフがいくつも連結して、排水溝に結びついていった。
「引っ張るぞ」
そう言うソシテは錆びたナイフの綱を握っていた。
意外とこの人は、頼り甲斐がないのかもしれない。
大の男が二人、思い切り錆びたナイフのロープを引っ張ると、鉄格子は役目を果たせなくなる不甲斐なさに悲鳴をあげながら、鉄格子たらしめる周辺パーツを粉砕しつつそれは思い切り外れてくれた。
僕は鉄格子を外したことによって現れた暗闇を覗き込む。先が見えないくらいには深い。途中で曲がっているのかもしれない。
これ、行っても大丈夫なの?
「ふむ…… 」ソシテは背後を――――今は閉じているが、僕たちが入ってきた方のドアの方を見ている。ちょうど、そのドアの方から金属が跳ねた音が聞こえた。
錆びたナイフの拘束が解けたのだ。じきこの風呂場に入ってくるかもしれない。
「行くぞ」ソシテはそう言うと、排水溝の穴に頭から飛び込んでいった。ソシテは飲み込まれるように排水溝の穴の奥へと消えていった。
確かに、確かに提案したのは僕だけど、そこまで躊躇なく行動できる?
胆力があるとか、度胸が溢れてるとか、探究心に突き動かされてるとか、そんなものよりはどこかズレている。
僕はソシテに、そんな感覚を抱いた。
とはいえ、背後のドアから、あるいは他の隙間から、いつあの黒い液体が漏れ出てくるかわからないので、僕も覚悟を決めて排水溝の穴へと身を投じることにした。
もちろん僕は足から入る。
穴は狭く、壁に挟まれてずり落ちるように下っていったが、次第に余裕ができて手をつかなかければ急落下してしまいそうなほど広くなった。
どこまで続いているんだ?
腕を全力で伸ばしてようやくつっかえられている状態になり、それもとうとう限界を迎え、ついに支えを失って落下してしまった。
「あっ」
思考が一瞬ホワイトアウトする。
「ぐっ……ゲホッゲホッ」
頭から地面に突っ込んだ。粉……埃のようなもの、いや、多分煤だ。煤が空気に舞って気管に入って咳き込んだ。
……ようやく、別のどこかに行き着いたということなのだろうか。煤の舞い上がりも落ち着いたところで目を見開くと、僕が存在していたのは暖炉の中だった。
火は付いていない。暖かくない。しばらく使われていない暖炉――――この空間にあるすべての物は、使われることはあるのだろうか?
全ての物体が新品のようで、全ての物体が規則的。時間経過を経た老朽感もどこかわざとらしい。
口に入ったのに味のしない煤を吐き出しながら、僕はそう思った。
狭い暖炉の口から這い出ると、そこは三つのソファと、ローテーブル、蝋燭が不規則的に規則正しく並んでいて、扉が一つの、まさしく談話室と呼べるそれだった。
そして、三つのうちの一つのソファに、ソシテが腰掛けていた。
頭には煤が被っていた。
「ふむ……丁度いい。少し、情報整理といこう。座れ」
ソシテは僕に着席を促した。
ふかふかそうなソファを見る。罠とかは仕掛けとかは……あったところで見抜けないけれど。
座った。
「俺としても、予想外だ。まさかここまで異質な場所だったとはな」
「ソシテさんは、この場所……旧世界でしたっけ? 旧世界を知ってるんでしたよね。出口とかはあるんですか?」
「ない」
蝋燭のロウが溶け落ちる音が鮮明に聞こえるほど、談話室が静かになった。
「えっ、それは、その……」
「出口はない。出る方法もない。だが、生き残る方法はある」
「それは、どういう?」
「俺が以前旧世界に遭遇した時、どうやって脱出したのか、実のところ覚えていない。ただ逃げ惑っていた。ただ探し続けていた。何もわからず、何もせず。そうしている内に元の世界にいた」
じゃあつまり、たまたま脱出できるまで、この旧世界を探し続けろ、と?
それは、なんというか、気の長い話というか。呑気というか、牧歌的というか……
思考の放棄というか……。
まぁ、じっくり気長に彷徨い続けるというのは、百歩譲っていいとして、あの黒い液体のような完全完璧な敵の存在は無視できない。
一歩も譲れない。歩幅をとりたい。
「そういえば、あの黒い液体の正体はなんなんですか? 僕を見つけるなり、噛みついて」液体に噛みついてなんて動詞が付随することに違和感を覚えつつも「襲ってきましたけれど……」こう質問を締める
「そうだな。俺も正体は知らん」
そうなのか……
「だが、生態は知っている」
ソシテは足を組んだ。
「あの黒い液体……俺は奴らを魔獣と呼んでいる。魔獣はいわば、理論も法則も思念もなく、ただ生物を襲うだけの舞台装置……のような振る舞いをする存在だ」
確かに、おおよそそんな敵意の塊みたいな液体だった。本能に従ってるだけみたいな、化け物。
「でも、あれくらいだったら、頑張れば倒せそうですし、もしかしたら食べられるかもしれませんね! だったら、ここでの徘徊も現実的に思えますよね!」
…………
なぜ黙る。
「魔獣……文字通り、魔の獣だが、液体相手に獣と呼称すると思うか?」
「それは……」
それは、うん、まぁ、確かに。
液体にだったら魔液と名付けるのが道理だもの。
「奴らは液体以外の形を持つことがある。それこそ、獣に近い形状の魔獣もいる。俺が初めて出会ったのは限りなく犬に近かった」
犬、獣として、敵対生物として考えれば十分恐ろしい部類だ。
「そして、形を持った魔獣には、どれだけ手を尽くそうとも、いくつも知恵を絞ろうとも、何度も策を弄そうとも――――」
ソシテは足を組み替えて、言った。
「敵わない。絶対に」
この男の言葉に、誇張はない。
その迫力に、唾を飲む。
「これ以上、俺の知っていることはない。ところで逆に聞くが、お前は何か知っていることはないのか」
「僕は、その、ないですよ。なんせ記憶がないですから……」
「記憶喪失、か。しかしその割には知識があるよな。言語も達者だな」
記憶喪失の不思議なところだ。知識というのは記憶と決して切っても切れない関係のはずだ。それがどうしてか、都合よく自分の経歴、自分の正体についての知識だけは綺麗すっぱり忘れてしまっているのだから。
都合がいい。
「僕が都合のいい、適当な存在だというのはわかります。だけど、僕がどうしてそんなあやふやで、作られたような役割を背負っているのかは、僕にだって疑問なんです」
知りたい。僕は誰なのか。
僕は何を失っているのか。
知識ではなく、記憶を、知りたい。
「そうか。少し礼を失し過ぎた」
そう言うと、ソシテは席を立った。
「行くぞ」
僕も席を立つ。僕とソシテ、どちらも唯一の扉の方を向いていた。
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