#4 西へ!
前回のあらすじ
医者の男に右腕を治療してもらった。そこで自身の右腕には膨大な魔力が宿っていることが判明する。そして最初に起きた物置へ変えると、ソシテが兵士に襲われていた。
夢を記録することは現実と夢の境目を曖昧にさせる。だがしかし、どうだろう。今の現実が夢とは何ひとつ混じり気がないというのは一体どこの誰が証明できる?
しかし、倉庫の中は僕が想像していた可愛らしいハプニングなど起こってはいなかった。真っ先に見えたのは、甲冑に身を包んだ兵士のような男。下を向いており、僕らを背にしている。そして、兵士の目線を辿るとその先には男がいた。初めて見た男、なのは間違いないが、しかしどこか既視感があった。
「何を、しているんですか」
ナドの声だ。ほんのわずかだが、声が震えている。兵士はその声に反応し、こちらを一瞥するような仕草をとる。
その時、兵士が男の首筋に剣を突き立ているのが見えた。剣の先端が肌を軽く破り、そこから血が流れている。
「仲間……か」兵士は捻り出すようにしてそう呟いた。
「そうかもな。それで、次はどうするんだ? お前」
首筋に剣を突き立てられていた男が兵士に向けてそう言った。そして、淡白でありながら重厚なこの喋り方に、僕は心当たりがあった。病院の夜、窓を突き破って病室に入り、僕を仲間に誘ったあの男。
だとすれば、この男が……ソシテ。
「お前も頭の片隅ではわかってるはずだ。この状況の最善の行動を」
ソシテは肉をえぐって心の奥を透かし見るような穿った瞳で兵士を捉えている。
身体の強度で見れば、どう頑張ってもソシテは兵士には勝てないだろう。不意打ちしたって無理だ。この状況を覆す方法は一つもない。
だが、なぜだろう? ソシテの全身に満ちるあの余裕。緩慢は。
「単純だ。その剣を俺の首に突き刺せばいい。そうしたらそのまま扉にいるあいつらを斬り殺す。三人の死体の上で、お前は生き残る」
ソシテは淡々と自分の詰ませ方を兵士に語っている。何か策でもあるのだろうか? その策に嵌めるための誘導?
「喋るなと、俺は警告、したはずだぞ」兵士はやはり、必死そうに声を出す。ふと足元を見ると、兵士の体から血が滴り落ち血溜まりを作っているのがわかる。
……もしやソシテはあの怪我のことを知っていて、時間を稼ぐつもりなのだろうか。
「覚悟が決まらないなら一つ、俺を殺してみればいい。なに、一人殺せば二人も三人も変わらない。肉を切る感覚もすぐに慣れる。血飛沫も、鼻をつんざく死臭にも、抵抗がなくなるさ」
ナドと僕は、それこそ待ち構えていたわけだが突入には及び腰だった。ナドがどう考えているかは知らないが、僕はというと単純で、己の無力さ故の自重だ。
「いいか、お前にできるのは質問に答えること、ただそれのみだ」
そう言うと、兵士はソシテの首後ろの襟を掴み上げ、僕らに対する盾のように構え直した。ソシテの首筋には相変わらず刃が密着している。少し手を引くだけでソシテは死ぬだろう。
「さっきから随分、乱暴なんだな。モテないだろ、お前」
余裕綽々のソシテ。だが、こちら側に体を向けたことで気づくことができた。
ソシテの両手。その手のひらにぱっくり傷が開いていた。そこから血が流れており、床にできた血溜まりは兵士とソシテの二人が作ったものだったとわかった。
あの両手ではまともな抵抗はできない……。
「おい、そこのお前。鎧の後ろにいる奴だ」
兵士が僕らの方へ向かって声を掛けてくる。
鎧の後ろ……というと、僕?
「僕、ですか?」
「顔をよく見せろ」
ナドが体を避けて、僕の顔を兵士に晒す。
「悪人というのはよく群れる……」
兵士は甲冑をつけているのでその顔色は知れない。だが、視界のために開けられた窓から、憎悪に満ち尖り穿った瞳が僕の顔を捉えているのがわかった。
僕が一体何をした。そう問いたくなる、そんな怨恨を感じた。
「貴様らを指名手配犯として捕縛する。抵抗は死を意味するぞ。大人しく従順にするのが身のためだ」
そう言って兵士は手を後ろに回して壁の方を向くように僕らへ指示した。従うか従うまいか逡巡していると、
「ところで」ソシテが口を開いた。
「どうしてお前は一人でここに来たんだ? 仲間はどうした」
「警告を……したはずだぞ」明らかに怒気を孕んだ声で兵士は言う。
「俺の覚えてる限り、中央騎士団は原則二人以上での行動が基本だ。まぁ、リーダーが変わったんだ。そのルールが覆されててもおかしくはないが……」
その時、何かが這うような音を耳にした。誰にもバレないように静かに、ひっそりと、細心の注意を払った作為的な隠密から発せられる、そんな音。
「しかし、失うもののない犯罪者相手に単身とは、些か不用心なんじゃないか?」
音がした方を見ると、一本に繋がった何かが、兵士の死角を通って壁へ伸びていた。それはソシテのズボンの左裾の中から伸びており、今も長さを増やし続けている。
あれは一体、なんだ?
「それ以上喋るなら、斬るぞ!」
「それだよ」ソシテの断固とした声が物置の中でよく響いた。
「お前はさっきから、警告だ殺すだ斬るだなんだと脅しばかりだ。何を躊躇しているんだ?」
「…………っ」
蛇……のように見えなくもないが、それにしては薄っぺらい。ならばロープ、も同様の理由でないとして、折り畳まれた紙?
いや、違う、あれは、錆びたナイフ?
「まさか、この後に及んで自身の潔白を守ろうとしているんじゃないだろうな。だとしたら、お前は兵士失格だ。誰も何も守れない。自分の手を汚す覚悟のない奴が、盾や剣として生きることなんざ――――」
捲し立てるソシテだったが、兵士が刃の向きを変え、首筋ではなく顎下の方へ刃を立てた。そのまま肌に強く押し当て、血が剣を伝う。
「何なんだ……お前は! 黙れと言っているのがわからないのか!」
そこで気づく。なぜか錆びたナイフが自発的に増殖しながらお互いに繋がり、ソシテの両裾から伸びていき、壁を這い、天井を伝い、しまいには兵士の頭上まで垂れ下がっていることに。
「そんな剣の使い方じゃ、俺は殺せないな。そして、誰も守れない」
瞬きほどの一瞬だった。垂れ下がった二対のナイフが兵士の首へと巻きついて締め上げ、そのまま宙ぶらりんにしてしまった。
兵士はもがきナイフを解こうとするが、手こずっている間に何重にもナイフは巻き付いていった。
そしてしばらくして、そのもがきもややおとなしくなると、ソシテは起き上がって僕達にこう言った。
「さて、こいつをどうする」
その穿った瞳が、僕の心に突き刺さっているように思えた。
ナドが吊り上げていた兵士を下ろし、床に横たわらせた。兵士は完全に気絶しており、横腹が血で染まっている。
「それでどうするんだ。こいつを。お前が決めろ」
ソシテが僕を見てそう言った。っていやいや、僕が決めるの?
「と、とりあえず、治療……しますか? ほら、その両手もどうにかしないといけませんし」
ソシテの両手には出血とひどい切り傷が見られたが、そこまで深くはなさそうだ。それでソシテが乱雑に置かれていたその辺りの木箱から包帯を取り出すと、恐ろしく素晴らしい手際で右腕の応急処置を済ませてしまった。
「俺のことはどうでも良いんだ。そいつの処遇をお前が決めろ」
兵士をどうするかと問われて真っ先に思い浮かんだのは、この兵士を生かすことだった。直近で医者に診てもらったからだろうか。とにかく何かしらの処置をする必要があると僕は思ったのだ。
「そうか。聞いていた話とは随分違うんだな」
「聞いていた話?」
ソシテは先ほど同様素晴らしい手際で兵士の治療を始めた。少し手を使うだけで鮮痛が腕を駆け巡っているはずだというのに。
「お前が連続殺人鬼の強姦魔、国家転覆に同族食いの異端者だって話だ」
指名手配書のことか。
「あは、すいません、なにぶん記憶がないもので……」
「どれ、まぁこんなものでいいだろう」ソシテはいつの間にか兵士への処置を終えていた。
「ところで、ソシテさん一体何があったんですか? 兵士に見つかるなんてヘマ、らしくないですよ」
「俺が透明人間ならその心配ももっともだ。だがな、どうも雲行きが怪しい気がする。さっさとこの町から離れたほうがいいかもしれないな」
ソシテは兵士の方を見ながらそう言い、
「こいつが俺を見つけたのは偶然とは言い難い。もしかすると、お前が病院を抜け出したことが原因かもしれんな」と続けた。
そこでもう一度僕は兵士の方へ目線を向け、じっくりと観察してみることにした。兵士は堅苦しい甲冑を身に纏い、所々に見慣れない紋章があつらえられている。
と、おや? この甲冑のデザイン、全てが鉄の鎧というわけでなく、一部は礼服のようなデザインが施されているのだが、その礼服の部分にどこか既視感がある。
あの病院で出会ったイーやオーティが来ていた礼服と少し似ているような。
「あの、この兵士の格好が、僕が入っていた病院の人たちと似てるんですけど、もしかして」
「そうだな……もしやと思っていたが、やはり中央の連中か」
「へぇ……って中央ですか!?」ナドが驚嘆の声をあげる。
中央?
「まぁ、そもそも初めから俺たちは中央の敵だ。今更どうということはないだろ」
「それとこれとは話が別でしょう……一国単位で目を付けられるっていうのがどれだけ面倒か知らないわけでもないでしょうに」
話についていけないが、どうやら相当面倒なことが起きているらしい。
「そう慌てるな。まだトコロデも帰ってきていないんだ。そこにいるやつを尋問することだってできるんだしな」
そこで皆一様に兵士の方を見る。兵士は眠っているが、しかし表情は苦悶に満ちている。具合がいいわけないのは当然なのだが……。
「どれ、いっぺん起こしてみるか。ナド、両手足を縛れ」
そう言われてナドは手際良く拘束を始めた。拘束のついでに兜を外し、兵士の素顔があらわになる。兵士は気の良さそうな好青年で、太陽のような瞳が特徴的だった。
「ふむ」
その身動きの出来なくなった状態に完成した兵士を眺めながら、ソシテは何かを思案していた。
と思ったのも束の間、ソシテは兵士の手負の部分に一発蹴りを入れた。
「がぁっ……!」喰らった痛みの程度がよく知れる、苦しそうな叫びが出る。
「……っぐ、はぁっ、はぁっ、こ、これは」
おかげで兵士は目が覚めたようだが、こんな起こし方じゃ手当した意味がないのでは?
「よぉ、さっきぶりだな。元気か?」ソシテは辺りにあった丸椅子に腰掛け、兵士を見下してそう言った。
「なぜ……助けた」
「いいか、お前にできるのは質問に答えること、ただそれのみだ」先ほどの兵士が発した警告、ソシテはそれをまるっきり反芻した。
兵士はそれを聞いて黙り込んだ。
「さっきの質問をもう一度することになるが……お前、どうして一人で乗り込んできた? しかもそんな手負の状態で。俺にはな、それがどうも不可解でしょうがないんだ」
質問の返答はない。兵士は黙りこくっている。
「ダンマリ……か。別に構わんがな。拷問の仕方なら心得ている」
そう言うとソシテは先ほどの不思議な錆びたナイフを取り出した。刀身は完全に錆のみになっており、物を断つことなど到底出来そうにない。
「どうせ、どうせお前たちはもう終わりなんだ。俺に何したって無駄だぞ」
「それって、どういう……」
「お前たちを捕らえる。そのためだけの部隊がこの町を囲って進軍している……! 蟻一匹逃げられない人牢だ!」
こちらが命を握っていると言うのに、すごい剣幕だ。
「おい、それは本当か?」ソシテは席を立って兵士の首筋に錆びたナイフを当てる。この確認に兵士は答えなかったが、ソシテを睨み続けるその瞳が、明確な言葉を介すまでもなく真実を語っていた。
そのとき兵士は一矢報いようとソシテに頭突きを試みたが、拘束で体がうまく動かなかったのか、失敗に終わっていた。
「なるほどな……この辺りは大して勾配もない平坦な森だからな。輪になって囲めば逃げるのは不可能といったわけだ」
「どうするんですか? まさか、詰みってわけじゃないでしょうね?」
「焦るなナド……俺はな、人混みが苦手なんだ。群衆をすり抜けるのは得意だ」
そう言うと、ソシテはおそらくは自分の荷物を漁り始め、三冊の手帳を一冊ずつめくり始めた。何か打開策でも書いてあるのだろうか。
ふとその手帳を覗いてみた。のだがしかし、全ての字が小さくびっしりと書き連ねられており、しかもその上何と書いてあるかわからないほど汚く、手帳の内容を判別することは叶わなかった。
兵士は複雑そうな表情を浮かべている。一人ずつ部屋にいる人物の顔を確かめ、悔しそうに口元を歪ませている。
「あの、僕からも、一つ聞きたいことが」僕は兵士へ質問することにした。内容はもちろん自分についてだ。
「僕のこと、何か知ってますか? 何でもいいんですけど……あ、でも手配書の内容以外で何か」
兵士は不思議そうな表情に変化した。もしかすると、捕虜のような扱いの自分に敬語で接されていることに違和感を抱いているのかもしれない。
兵士は少し考えて「……貴様など、知らん」とだけ言った。
どうやら僕は世界的有名人だったと言うわけではないらしい。
「だったら他に、たとえば上の人間から僕について――――」
次の質問に移ろうとした、その時だった。
背後で木材の砕け散る爆音がした。それに反応して振り返る。どうやら空から何かが落ちてきたらしい。天井に大穴が空いて、陽が落ち切って夜になっているのがわかった。
立ちあがった埃が落ち着いて、落ちてきたものの正体が月光に照らされる。一体、何がこの物置にやってきたのだろう――――
「みんな! まずいよ、なんか兵士の人いっぱいが町の周りを取り囲んでる!」
そこにいたのは焦った様子のトコロデだった。髪にゴミがついている。
「……そうか。それは、なんというか、有益な情報だな。お手柄だ」
「ふん、そうでしょ」
「あー、天井破っちゃって、どうするんですか。部屋主の人怖いのに」
絶対にそんな呑気な状況じゃないだろう。と思ったが、もしかするとあまりに突飛な登場のトコロデを見て、逆に冷静になった結果というだけかもしれない。
「とはいえ……どうするか」
次にソシテは、地図を広げ、何かを考えているようだ。僕も同じ地図を覗き込む。この周辺の地形を知らないが故に定かではないが、おそらくはこの地域の地図だろう。
時間はもうない。今頃町の外側にある建物から順番に捜索始まっているだろう。
この包囲網を、どうやって抜け出すのか。
「……西だ」
ふと、僕はそう呟いていた。
「西?」
ナドが当然の疑問を僕に訪ねる。他の二人も、同じく疑問の眼差しを向けていた。
「いや、その、なんていうか、何となく……西に行けばいいって思って」
こんな緊急事態に何を言い放っているのだろう。僕は。余計場を乱しただけじゃないか。
「待て、確かここの西には……そうだ。思い出した」
ソシテが真剣な眼差しになって、地図を凝視しながらそう言った。
「十数年前、ちょうどここの地域で大地震があったんだ。その際、巨大な渓谷ができたと聞いている。その現場は、恐らくこの村の真西だ」
「はぁ……この地図にはそんな記載はないようですけれど」
「なんせ古い地図だからな。しかし、西にならば逃げ道がある。そういうことだ」
「あなた、記憶がないんじゃなかったんですか?」
渓谷のことなど知らなかった。ただ、何となく西が目立って見えたのだ。
「ともかく先決すべきは包囲網を抜け出すことだ。急ぐぞ。裏手を回ってなるべく見つからんように動くぞ」
ソシテはそう言ってから荷物をまとめ出した。皆もそれを見て、各々逃走の準備を始めている。
僕は……何もない。手持ち無沙汰で待ちぼうけ。ただ眺めるだけだ。
「お前は、何者なんだ」
すると、そばで倒れていた兵士が僕に話しかけてきた。
「それは、僕も知りたいところなんですが」そのことについては兵士もよくわかっているはずだ。だというのにどうしてそんなことを聞いてくるのだろう。
「お前一人捕まえるために、多くの人間が動いた。あろうことか、中央王国の騎士団が本気でお前を捕り物にしたがっている」
この兵士は何が言いたいのだろう。僕の素性がそこまで気になるのだろうか。確かに、少年一人捕まえるためにしてはやや人材を割き過ぎているような匂いもする。
誰かが必死になっている。僕一人に?
それは何だか、悪い冗談のようでもあり、ただの思い上がりかもしれなかった。
「お前……何者なんだ?」
僕を睨む兵士の目は、人を見る際に向けられるような、軽蔑や恐怖といった感情入り混じったものではなく――――
怪物と相対した時のような困惑と疑念に満ちていた。
「おい、出るぞ」
ソシテのその一声で振り返る。見ると、物置の中にはもう兵士と僕、唯一ある扉のところにソシテがいるだけになっていた。
最後に僕は兵士を一瞥した。その時、僕はちゃんと、人が人に向けるべき純粋な眼差しで、彼を見ることができた――――はずだ。
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