#3 一つ目の夜
前回のあらすじ
ピーに襲われた僕は、物置で目覚める。そこでナドという男と、トコロデというエルフの女と出会った。ナドに連れられならず者の町を歩き、辿り着いた場所にいたのは先生と呼ばれる男のいる正方形の石でできた建物だった。
今日見た夢を、思い出したような、そんな気がした。
先生、というのはこの二人のどちらかなのだろうか。
「…………っ………」
黒髪の男が乾いた雑巾を絞るように声を発する。
「『お前たち、誰をどれだけ待たせたと思っている。私の時間はお前たちが思っている以上に遥かに崇高で万金にも代え難い物だ。どう申し開きするつもりだ?』とおっしゃっています」
丈の長いナース服を着た高身の女性が代弁しているようだ。
「いやー、それが色々ありましてねぇ。ええ、色々ありましたもんね?」
ナドは僕たちに同意を求めているらしい。そんな大変なことなかったが……ほぼストレートでここに来た。
「えっと、この人は?」
相変わらず寝っ転がったままの僕はナドに向かってそう聞いた。
「お医者さんです。この町唯一の」
医者にはとても見えないが……。だって着ている服はボロ切れ同然だし、伸び切った髪の毛は不潔の象徴だ。というか、そもそもこの石の部屋自体医者の居座る空間じゃないだろう?
まぁ、だが、しかし、誰かがこの人を医者だというならそういうことになるのだろう。
役職とは誰かが与えるものでもあり、他人の認識にその大部分が占められている。だからナドがお医者さんだと言った時点で彼はもう医者なのだ。
「…ぉ……………ぇ…ヵ…」
「『いつまでそこに伏しているつもりだ。無駄に私のことを待たせて尚無為に時間を浪費させるつもりか』とおっしゃっています」
「起き上がったほうがいいですよ。あと、先生の前へ」
頭はガンガン鳴り響いていたが、僕はどうにか立ち上がる。やはり片腕しか使えないというのは不便なものだ。おぼつかない足取りでかの医者の元へ向かい彼の前に置かれている丸椅子に腰掛ける。
「…ぉ…せ………………な」
「『右腕をさっさと見せろ』とおっしゃっています」
そう言われて包帯で厳重に巻かれた右腕を医者の前へ出す。
あ、包帯、とったほうがいいよな。ん? でもこれ、包帯の始点がどこにも無いぞ。どうやって取るんだ?
右腕相手に僕が困惑していると、医者は高身の女に何かを告げ、無数の凹凸が彫られた一本の金属棒を取り出した。
「なんですか? それ」好奇心から僕は訪ねると、医者はノータイムでそれを僕の右腕に突き刺した。
「なっ」痛覚に対するリアクションをその瞬間僕は用意したが、その金属棒による痛みは一切無かった。むしろなんの感覚も無い。金属棒は右腕の上で溶けていくように姿を消していく。
およそ九割、その全長が溶けたところで、医者はその金属棒を九十度ほど勢いよく捻る。そうして金属棒を引き抜いた。
いや、何が起こった? あの金属棒は僕の腕を貫通していたのか? まさかそんなことはないんだろうけど、でもあの金属棒は完全に溶けたとしか……だって腕を貫通することなくそのまま垂直に進んでいったんだぞ? 原型を保ったまま? そんなことが可能なのか?
困惑していると、医者は無表情かつ無頓着に僕の右腕を持つと、二本指で右手の甲をはたいた。
しっぺだ。
困惑がさらに重なった瞬間、右腕を包んでいた包帯が一斉に緩まり、内側から優しく弾けるようにその抱擁を解いた。
「やっぱりさ、何度見てもひどいよね〜あの傷」
トコロデが他人事のように呟く。そして僕は、自分の右腕の素肌を、今この瞬間直視することになった。
色は赤黒く、指は全て無邪気に曲がり、筋肉は露出し、血管か神経か分別つかない管が垂れ、骨に入ったヒビが縞模様をの作り、血やそれ以外の名前の知らない液体が腕を這っていた。
しかし何より、そんな重篤な腕以上に目立っていたのは、割れた腕の奥に燻っている、薄青い光だった。それはこちらを眺めているようであり、生きているようだった。ただの一筋の光なのに。
「あの、これは……」具体的な言葉は出なかった。だが、聞きたいことは山ほどあるような気がして、僕はそう言葉を捻り出す。
「『封印がなければ死んでいるほどの重症。生きていのは奇跡だぞ、貴様』とおっしゃっています」
痛覚が断絶されている、のか。それにしたって、相当痛いのだけれど……
一体、何があったらこんなことに……
「いやー何度見てもすごいですよね。最初に救命処置して右腕に封印を施してくれたのもそちらの先生なんですよ」
「『ふん、魔力の扱いが雑すぎるぞ、愚鈍。わざわざ暴発させる奴があるか』とおっしゃっています」
魔力が暴発? じゃあ、この腕に流れる薄青い液体が僕の魔力?
「魔力って、こんな、その、眼に見えるものでしたっけ? たしか、もっと弱々しいものでこんな、液体みたいに実体があるものなんですか?」
「『知るか痴呆が』とおっしゃっています」
右腕が、ピリピリと痛む。相変わらず痛覚以外なんの感覚も右腕はもたらさない。
「『しかし貴様には特殊な点が多い。まず貴様には右腕以外になんの魔力もない』」
魔力がない? 右腕以外に?
「しかもその右腕に存在している魔力量は、世界一の大魔法使いの十倍は優に超えている……らしいですよ」ナドが傍から補完する。
「『貴様のその矮小な腕にどうしてそうも収まっているのか不思議で仕方ない』」
僕は右腕を再度眺める。眺めたところで傷が癒えるわけでもないし、何か新発見があるわけでもない。グロテスクを極めたような僕の腕は、相変わらず醜悪でしかないのだけれど、しかし、腕を流れる魔力はそんなことなぞつゆ知らず、僕の肉を少しずつ裂きながら循環していた。
「ところで……これって治るんですか?」
完治するまでどれくらいかかるんだろう。何気なく医者に僕は訪ねると、医者は指を三本立てて見せてきた。
三ヶ月……なわけないか。三年かな。
「『人生三回分』くらいだそうです」
「百五十年くらい!? 一生治らないってこと!?」
「『完治するのがそれくらいだという話だ。腕自体を使えるようにすることなど容易い。そのために来たのだろう?』とおっしゃっています」
そう聞こえた時、僕の右腕にメスが突き立てられた。
**********
「酷い目に遭った……」
石の建物から出た時、陽はすでに傾き始めていた。橙色が町を染めている。
再度包帯で包まれた右腕には、未だあの気持ち悪い感触が右腕を駆け巡ってる……。
「ずっと思ってたんですけど、あのお医者さん助手さんが喋ってるほどの文章量喋ってないですよね」
右手を開いたり閉じたりを繰り返す。時折痛みが走るが、我慢できないほどじゃない。どうやら生活で用いることができる程度には右腕は回復したようだ。
もっとも、包帯を取ったあの惨状を見た上でこれほど右腕が使えるようになったのは奇跡としか思えない。
腕が良すぎる、あの医者。
「しかしトコロデさんはほんとに我慢が効かないですね。たしかに待ってる間退屈でしたけど、出て行くまでが早すぎるんですよ」
トコロデは施術が始まってすぐに部屋を出ていった。またゴミを漁ってるようなことがないと良いが。
「そういえば、あなたはどうしてソシテについてきたんですか? 私が彼から聞いていた話では、あなたは重罪人というわけでもなさそうですし」
どうして。なぜ。理由。今の僕にはこれらについて納得のいく説明文を述べることができない。
なんとも言えないのだ。今の僕には記憶がない。人間が行動指針を決めるとき、必ず頼りにするものである、経験則や失敗、トラウマなんかが僕にはない。まっさらでブランク、白紙で蒙昧。
だから僕は、こう答える。
「例えばなんですけど……目の前に分かれ道があるとして、片方は『行けば必ず大怪我を負う道』で、もう片方は『何が起こるか分からないが、死ぬ可能性が高い道』だったら、どちらを選びますか?」
「ふむ……私でしたら前者ですね。私超頑丈なものでして」
「僕は後者を選びました。どうせどちらを選んでも不幸になりそうなら、もしかすると不幸にならないかもしれない方を選ぶ。ついてきたことに理由があるなら、精々その程度のことですよ」
「ふぅん、かっこいいですねぇ」
あれ、何か間違えたかな。いやまぁ確かに、良い感じのこと言おうとしてみたけれど、伝わらなかったか?
「ま、なんにせよ、あなたは我々と同じく世界随所から身を追われる立場ですからねぇ。今後ともどうもよろしくお願いしますよ」
そう言ってナドは左手を差し出す。握手がしたいらしい。もちろんその手を取らない僕ではないが……って、え?
「今なんて言いました? 世界から……どうとか」
「え? いや、だから、世界随所のから追われる身、つまりは世界指名手配犯だ……と」
え。
思わず足が止まる。
ど、どうして僕がそんな立場に?
「おや、なんですかそんな顔して。まぁ確かに昨日今日ですぐ指名手配犯というのはいささか急すぎるとは思いますが……ほら、ここにはっきり書いているでしょう?」
ナドは差し出した左手をしまい、鎧の中から物を取り出すために使い始めた。そうしてすぐに取り出された四枚の羊皮紙のうち、真っ先に僕の顔が書かれた一枚が目に入る。でかでかと精密に模写された僕の似顔絵の下には、いかなる情も憐憫もなくこう綴られていた。
『特定指名手配。名前:不明。罪名:国家反逆、殺人、強姦、機密漏洩、強盗。懸賞金:貢献人の望む額。備考:生捕りのみを報酬の対象とする。尚、生きてさえいれば状態は問わないものとする』
無茶苦茶なことが書かれている。これ僕? 本当に?
「な、なんだこれ」
「あれ、よくみたらあなたすごいことやってますねぇ。可愛い顔して相当のゲスでしたか。いやぁ、人は見た目じゃ判別できませんねぇ」
「いやいやいや! 一つもやってない! 覚えがないにも程がありますよ!」
否、覚えがないのも当然だ。なぜなら僕には記憶がない。自分の潔白を自身ですら証明できないのだ。
もしかすると、ここに書いてあるのは事実なのかも。
「まぁまぁ、気負いすることはありませんよ。私はもちろん、ソシテやトコロデも同じですから」
そんな会話を交わしながら、僕たち二人は最初の物置まで戻ってきた。夕焼けに照らされて、はじめに見た時より一層みすぼらしく見えた。
「きっとソシテも帰ってきた頃でしょう。トコロデさんは……どうでしょうかね」
ナドがそう呟いて物置の扉に手をかけ、ゆっくりと押した。扉は小さな悲鳴のような音を立てながら、定められた流れに添い、回旋する。
倉庫内に入る前、夕陽が沈んでいくのを見た。病院は閉塞した場所で夕陽を拝む機会を得られなかった。なので、今こうして空に滲んだ光を放っているこの夕陽が、僕の記憶で最も最初の夕陽なのである。
とまぁ、そんな理由で夕陽から目を離すことが叶わなかったわけで――――よそ見をしつつ倉庫に入ろうとしたら、不意に金属の柱みたいなものとぶつかった。
「つっ……」ぶつかったのは意思持たぬ柱ではなく、ナドだった。どうしてかわからないが、扉を開けたまま、入り口で突っ立っている。
「ごめんなさい、ちょっとよそ見してて」返事は返ってこない。振り向きもしない。ただ、倉庫の中に対面して、一切動じない。
中で何かあったのだろうか。もしや、またもトコロデさんが腐った物を持ち込み食いあさっているのでは? そんな予想を立てながら、立ちすくむナドの後ろから倉庫の中を覗き見た。
そこには、兵士と思われる男が、見知らぬ男の首筋に剣を突き立てている、いかにも剣呑な景色が広がっていた。
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