#2 イシコロサイクツ
夢だ。これは夢だ。そう知覚した時、僕は夢から覚めていた。
目覚めた場所は病院のベッド、ではなかった。破壊された椅子が乱雑に積み重ねられていたり、錆びた剣や斧が飾られていたり、唯一使えそうな椅子に鎧が座らされていたりと、所有者の人格が垣間見える、まさに倉庫と呼ぶに相応しい場所だった。霞んだ窓から陽光が差してきている。
なんだここは。どこだ。何がどうなったんだ?
昨日の記憶を遡る、と覚醒を自覚した脳が僕の全身を走る痛みを感じ始める。
「うっ、くっ」
体のどこをとっても痛むが、何より右腕がより鮮烈に痛む。指先を動かそうとするだけで、自分自身を拷問に掛けているような苦痛を感じる。
「僕は、助けられたのか?」
昨晩のことも完全に思い出した。ピーとかいう男に殺されかけて、えっと、あれからどうなったんだ? というか、ここまで運んできてくれたのは誰なんだ?
「ともかく、お礼を言わなきゃな」
「おぉ、でしたら早速お願いします」
声が、聞こえたような。
「いやぁ、元気に起き上がってくれてよかったですよ。ええ。一時は呼吸が止まってたらしいですからね」
「だ、誰?」
椅子に座っていた鎧が喋っている。それもかなり流暢に。そこで鎧の中に人が入っているのだ、と単純明快な結論を僕は弾き出した。
「あぁ、自己紹介が遅れましたね。私はナドといいます。職業は戦士で、北西地域出身です。あとは、えっと、彼はあなたに自己紹介をしたんでしょうかね? 何か聞いてますか?」
男は鎧をガチャガチャと鳴らしながらそう名乗った。ナド、確かに北西地域の特徴が表れている名付け方だ。彼の自己紹介に虚偽はない。
「立ち上がれますか? せっかくですし、この集落を見物に行きませんか。仲間たちも今は出払っていることですし」
仲間たち。その言葉をきっかけに、僕は昨晩のことを思い出す。窓を突き破って現れたあの男が、僕を病院の外へと誘ったあの時のことを。
僕はノコノコとついてきてしまったわけだ。
『ここで傀儡となり死ぬか、俺に利用されて死ぬか、二つに一つだ』
この選択は、正しかったのだろうか。
ともあれ僕は、比較的元気な左手を用いて立ち上がる。骨肉が時折小さな悲鳴をあげるが、無視できる程度だ。
「おぉ! 元気ですねぇ。流石に長いこと眠りこけてただけありますよ」
褒められてるのかな。
「行きますか」
そう言って僕はくすんだ木材で作られた、形の整っていない扉に手をかける。少し扉を開ければ、外の空気が倉庫内に、僕の肺に入り込んでくる。その香りはやけに澱んでいて、僕の呼吸を妨げる。
やがて完全に扉を開けば、そこに広がっていたのは散々な光景だった。どうやらそこは一本の通りのようだが、脇道にはゴミが掃き溜められ、布を巻かれて捨てられた人のようなもの、吐瀉物、引きずられた跡がある赤い液体……家屋もあるが、どれもあばら屋で急ごしらえで作られたものなんじゃないだろうか。
少なくとも、まともな町としては成り立っていない。社会としての仕組みがあるかもどうか定かではない。そんな様相だった。
「これは……」
「驚きましたか」
鎧の擦れる金属音を伴い、ナドが僕にそう話しかける。
「ここはならず者たちが身を隠すための町です。世界全ての地図を探してもここは載っていないんですよ」
「このひどい様子はそれを正す人間がいないから、ってことですか」
「そゆこと、ですね」
あまり街の様子は直視せず、僕は通りを歩き始める。都度、街の様子を横目で観察していたが、まともで健全なシーンは一度も出てこなかった。むしろ、最初に見た景色が一番マシだったんじゃないかと思うほどだ。
「いやーしかし大変だったんですよ? 彼に言われてあなたを探しに森を歩き回っていたら、いきなり爆発音がして。慌てて見に行ったら、右腕が黒焦げになったあなたと、同じく全身黒焦げの人がいたんですから」
全身黒焦げになった人……もしや、大鎌を携えて現れたピーではないだろうか。ということはまさか、僕にとどめを刺そうとしたその瞬間に自爆を? たしか、逆を張ると彼は繰り返し主張していた覚えがある。ならば普通にとどめを刺すところの逆を張り、自分諸共獲物を狩る……。
なんて馬鹿なのだろう。
「ところで、あなた本当に彼が言っていた人なんですか? その、我々人相については聞いていないのでまだ肌色が残っている方を運んできたんですけれど」
「その、彼、っていうのは?」
おそらく、昨晩窓を突き破って嘔吐し、僕に脱走を促したあの男のことだろう、と僕はそうあたりをつけてナドに訊いた。
「会いませんでしたか? 自分には感情がありませ〜ん、みたいな仏頂面してるくせに無駄に湿っぽくてどんより重い感情が行動原理になってそうな男ですよ」
「え、いや、それは」
普通こういうとき、もっと外見的な例えを出すものじゃないか?
それほど内面が外見に表れている男なのだろうか。
「えっと、窓を突き破って入ってきた、あの人ですよね?」
「そうそう、それですそれです。彼はソシテと言います。我々のリーダー格ですね」
あの男がソシテ、それでいてリーダーか。確かに、そんな雰囲気を醸し出していた。
「実はもう一人仲間がいるんですけれど……あの子は一体どこで何をしているんですかね。いかんせん自由奔放なんですよ」
ナドは歩きながら辺りを見回す。先ほどからやけに周辺を気に掛けるなぁと思っていたが、もう一人の仲間を探していたのか。
「あの、そのもう一人の仲間はどんな人なんですか?」
「あぁ、そうですね……その、エルフって言ってわかりますか?」
ナドはやけに声を潜め、遠慮気味でそう聞いてくる。
「エルフ? エルフってあのトンガリ耳の?」
「あれ、驚かないんですね。ならこちらも遠慮しませんが、もう一人はサテ=トコロデという名前のエルフです。一言で言えば脳みそのシワが一本だけの美人ですね」
つまり、バカってことか?
「彼女は本当どこにでもいますからね。探すとなったら一苦労ですよ。街中にいたらラッキー程度と思っておきましょう」
「そうですか……」
僕も一応、トコロデを探しながら街を練り歩く。その間、ナドが町に並んだ店を一つずつ紹介してくれたが、正直最悪な業務内容の店が多すぎて、後半は聞き流していた。
そんな中、何か話題を移せる物はないかと僕は辺りを見回す。その時、僕は一本の暗い路地に目を奪われた。
それはローブを纏った人間が、何かに食らいついている様子だった。食べているものがまともな食料でないことは明らかだ。おそらくはゴミか何かを漁り貪っているのだろう。
このならず者たちが集う掃き溜めの町では、このような景色は日常茶飯事なのだろう。しかし、どうしてか僕はその光景を前に立ち尽くしてしまった。
「あれ、どうしました?」
ナドが足を止めた僕を気遣う。
「いや、別になんでも――――」
「って、あー!」
同じように路地を覗いたナドが驚きの声をあげてローブの人物の元へと駆け寄る。その声を聞いて、ローブの人物もこちら側に振り返った。
ナドの背中で顔はよく見えなかったが、わずかにとんがった右耳が、フードの隙間から覗いて見えた。
「トコロデさん! また拾い食いですか! この町で捨てられた食べ物は絶対食べるなって昨日言ったばっかりじゃないですか!」
トコロデ? じゃあこの人が……
「えぇ〜だってぇ、お腹空いたんだもん。病気にならなければそれでいいじゃない?」
「駄目ですって! 感染症とかに罹っても、あなたなら平気なんでしょうけどね? それが我々に移るって言ってるんですよ! それに美人が腐った生ゴミ美味しそうに食うなんてビジュアルが最っ悪ですよ! 最っ悪!」
ナドの横についた僕は隣から覗き込み、トコロデの様子を伺う。まずはフードによって影を落とした彼女の顔を見ることになるのだが、端正で整った顔立ちで、細い目が顔全体の均衡を保っている、事前に聞いた通りの美女だとお感心する一方、口周りをべったりと、何か茶色い物体で汚しているのを見て、やや面食らう。
そんな醜態をじっくり眺めるのも失礼だと思い、そのまま目線を下げる。するとすぐに彼女の胸の前で、彼女の両手によって食べられるのを待機している一つのパンが目に入る。
カビが生え揃っていた。
なんというか、すごいモサモサしていた。パンといえば美味しそうな小麦色が思い浮かぶものだが、彼女の両手によって大事そうに抱えられたパンはむしろ青みがかっており、色味も失われていた。
半分はもう食われていた。まさかこのパンも、現役を退いてなお誰かの胃袋に駆り出さられるとは思いもしなかったことだろう。
「とりあえずそのきったないパンを捨ててください! あ、しかも半分くらい食べてませんかこれ?!」
「うん、おいしかったよ。すっごい口の中の水分が持ってかれちゃうんだけど、生野菜みたいな味もしていい感じだった」
「世界最悪の食レポですね」
とりあえず、カビパンを眺めているわけにもいかないので、僕は目線をトコロデの周囲に配る。
すると今度も見つけたのは食べ物だった。どうやらあのカビパンを食べた後の控え料理だったようで、いくつか種類が並んでいる。
黒く変色し果肉が爛れている果物、ぐちゃぐちゃに潰された材料不明の何か、羽虫の浮いた――――
「うぅ……」
目のやり場に困る。どこを見ても気分の悪くなる光景しか広がっていない。
「大丈夫なんですか? この人…… 」
僕は目を逸らしながらナドに耳打ちする。
「大丈夫の定義が異常か正常かという意味ならはっきり異常ですね。大異常ですよ。というか、彼女にまともな部分なんて――――あ! こら! 絶対そんなの食べちゃ駄目でしょ!」
「あ〜!」
それから、トコロデがキープしていた全ての食物(?)を廃棄した後、僕たちはまた通りに出た。
「ひどいよ〜。全部美味しそうだったのに」
「貧民街の子供でも食べませんよあんなの」
トコロデは項垂れている。露骨に不機嫌そうだ。
「そういえば、きみ、起きたんだね。わたしサテ=トコロデ。エルフの魔法使いよ。よろしくね」
「あぁ、うん。ありがとう。よろしく」
僕はトコロデに左手を差し出す。しかし、すぐにはその手を取らず、トコロデはキョトンとした顔で僕を見つめていた。
なんだ。まさか握手を知らないのか?
「君の名前は?」
「あ、確かに、私も聞いてませんでしたよ」
「名前……ですか」
僕には記憶がない。おそらく今の僕に残存しているのは一般常識と一定の知識のみだ。ゆえに、僕自身のことについてはからっきしわからない。
「その、実は、記憶がなくて、僕。名前もないんですよね」
そう伝えると、彼女の中で合点がいったようで、僕の左手を握り返してくれた。
「じゃ、ナナシ君だね〜。よろしく」
「ソシテと合流したら、後々呼び名でも決めましょうか」
どうやら、特段不都合はないらしい。
「とりあえず自己紹介は終えましたし、そろそろこの外出の目的をお教えしましょうか」
「目的なんかあったんですか?」
ただの街歩きだとばかり思っていた。
「そんなバカな。意味もなく重症人を連れ出すものですか」
ナドは相変わらず僕たちを先導する。この鎧姿もいい加減見慣れてきた。
「あなたを連れてきたかったのは、ここです!」
ナドが指差したのは、周辺のあばら屋よりも一層巨大で、この町の雰囲気とはまるで合わない石造りの正方形だった。一見しても入口らしいものは見当たらない。
「じゃ、入りましょう」
「入るって、え? どこから?」
「それはね〜こうやってコンコンするんだよ」
そういってトコロデは正方形の石壁をノックしてみせた。薄皮一枚隔て、骨と石がぶつかり合い聞き心地の良い打音が鳴る。ということは、なるほど、外側から中へ入る方法はなく、内側にいる誰かしらから開けてもらう形なのか。軽いノックとはいえ、振動というものはよく伝わるモノだし、理に適っている。
「これはですね、えーっと確かこの辺に……」
感心する僕を脇目に、ナドが石の壁を探っている。そして、何か石が擦れる音がすると、石の壁の一部分が人がギリギリ通れるくらいの空間を作り上げた。
「ここは隠しボタンがあるんですよ。なんでもロマンだとか」
僕はトコロデさんにもう一度視線を向ける。
「わーい」
嬉々とした表情で我先にと石の中に入って行った。
「ほら、入りますよ」
まぁ、いいか。
細かいことも、大雑把なことも大して気にせず、僕はナドに促されて石の中へと入っていく。石の中は薄暗く、一本の狭い通路しかなかった。木の棒に括り付けられた鉱石のようなものが淡い光を放って通路を照らしている。通路や壁を構成している石は、まるで切り出したように平らで、一切の突起や窪みが排除されていた。
天井を眺めると、そこには深淵が佇んでいる。外見以上に天井が高いイメージを僕は持った。
この先に一体何があるのだろう。
「あ、そこ――――」
顎を持ち上げ上を眺めていた時、いきなり地面が無くなった。
「う」
しかし決して地面がなくなったわけではないことにほんの数コンマの後、僕は気づく。すぐさま僕は前に倒れ、この部屋を構成している石の一部分に顎を強打したのだ。
「には、あぁ、階段……が」
そのままやけに勾配のきつい階段を頭から滑り降りていく。一段一段下がるごとに高い段差の石段が僕の体を打つ。そうしてそのまま滑り落ちて行き、勢いが止まるまで流されて行った。
「いっ……ったぁ」
目にじんわりと涙が浮かぶ。脳みそがバランスを失ったように揺れている。おかげで体の痛みは大して感じない。
右腕は……なんとか庇えたらしい。相変わらず痛い。痛みが多少麻痺していても痛い。
「あれ、何してるの? ナナシくん」
僕より後にトコロデが降りてくる。あれ? 追い越した?
「頭から階段を滑り落ちるなんて、なかなかわかってるね」
「あなたがジャンプで避けなかったらいいところで止まってたんですけどね」
二人が階段から降りてくる。僕を跨いでこの部屋の中へ入っていく。
「ほら、連れてきましたよ。先生」
どうやら誰かしらいるらしい。痛みが所々顔を出し始めたが、なんとかこの部屋の様子を伺う。ここは先ほどの通路と同じく切り出されたように平な石でできた室内。
対面する方には、恐ろしく高身の女性と、L字の机と木製の椅子に腰掛けこちらを見ている、黒髪で片目を覆っている男がいた。
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