#9 完璧な魔獣
前回のあらすじ
血の跡を見つけそれを追うと、便所につながっていた。そこで前回来訪した人間の残した手帳と地図を見つける。それから探索を続けていると、突然ナドの声の魔獣が現れ、僕の足を掴み暴れだしたのだった。
眠りたい。だけれど、目を閉じるだけでは眠れない。
人型の魔獣と、それに足首を掴まれた僕が到達したのは、風呂場であり大浴場だった。
湯気が立ち上っており、さらに換気もされていないのか、逃げ込んだはずのソシテと、ここへ呼び込んだはずのナドの姿は何処にも見えない。
一体どうするつもりなのだろう。
…………
動きがない。二人はもちろん、魔獣すら微動だにしない。
次の瞬間、魔獣の前方、僕の掴まれている手の方からナド、対の手のほうからナイフが伸びてきた。
「はぁぁぁぁぁ!」
ナドが魔獣に突進する。魔獣はそれを防ぐために、僕は魔獣の手から離れぶん投げられる。
「ちょっ……!」
運よく僕はお湯の中に放り込まれたが、おそらくはナドが風呂場の壁に叩きつけられる音が水中にいても聞こえてきた。
「ぷはっ!」
「逃げるぞ!」
お湯から上がった瞬間、ソシテがいきなり現れて僕を掴んで再度お湯の中へと引きずり込んでいった。
排水溝へと潜り込み、下へ下へと沈み込んでいく。
「う……ごぽっ……」
息を整える暇のなかった僕は、どんどん意識が遠のいていくのだった。
――――――――
「ごはっ! ゲホッゲホッ! はぁ……はぁ……」
目を覚ます。眼に映る景色が何重にも重なっていたものが、だんだん直っていく。
「お、目を覚ましましたね。いやー危ないところでしたね」
声をかけてきたのはナドだった。
「な、ナドさん? 本物?」
「えぇ、本物ですよ。本物以上に本物のナドです」
目の前に居るのは、いつもの鎧に身を包んだ、ナドそのもののように見えた。
そして、ナドの右手の鎧は失われており、素肌があらわになっている。
「ここは?」
「倉庫みたいですね。おや、奇遇にもまた倉庫で目覚めましたね」
見渡すと、真っ暗な室内に、樽や木箱が積まれているのが見えた。
「無事で良かったな。しかし、これでようやく全員揃ったわけだ」ソシテが樽に座ってそんなことを言った。
「全員?」そういえばトコロデがいない。
「あぁ、トコロデさんなら、そこに」
ナドが指す方向を見ると、そこには木箱に逆さまで突っ込まれているトコロデがいた。
「えっと……何であんな……」
「いやー本っ当! 大変だったんですよ! 私、トコロデさんと一緒に落ちてきたんですけれど、あの人ずぅーっと気絶してるんですよ。途中であの人形の魔獣に襲われますし、ここまで運んで来るの大変で大変で!」
その苦労は、まったく想像に難くなかった。
というか、まだ起きてないなら死んでるんじゃないか?
「さて、話をしよう」
ソシテは樽から降りて僕たちの前までやって来て床に座り込んだ。
「まずはあの魔獣についてだ」
「あ、この旧世界とやらについての諸々のはもう聞き及んでいますから。お構いなく」
「あの魔獣、人型だったな。その上で、発語機能もあった。どうしてだと思う」
うん、あの魔獣、喋っていた。しかしつまり、ソシテの言いぶりから察するに魔獣というのは本来喋らないものらしい。
「言葉自体はナドが喋ったものを学習したんだとして……しかし、人の形と機能はどこで覚えたんだろう、と思ってな」
はぁ……それは、どうしてなんだろう。
「ところでナド、お前、手記とか手紙とか、まぁなんでもいいが、そうだな、人の遺した跡みたいなものなんだが……」
「ほう、人の跡ですか、そうですか……それは生憎――――ありましたよ。ほら、この場所のルールみたいなのが書かれてるメモ帳です。厨房みたいなとこに捨てられてました。きっちりゴミ箱に」
「ふむ、やはりそうか。こっちは地図が捨てられていた。そうだろ?」ソシテは僕に聞いてくる。
「はい。手記と一緒に挟まってました。これがその……」
僕は手記を取り出そうとしたが、手記がずぶ濡れになっていることに気がついた。
これじゃもう読めないな……
「ルールが捨てられていたということは、やはりこの場所に法則性や規則性を求めるのは無意味ということみたいだな」
だから、この地図も紙切れ同然というわけだ。と言って、ソシテは地図を破り、足元へその紙片を散らした。
となると、手帳が全て塗りつぶされていたのも、地図が捨てられていたのも、その行為が『むいみ』だということを察したから、とでもいうのだろうか。
「で、人の形を持ったあの魔獣についてなんだが……液体の魔獣、俺の見た犬の魔獣とは獰猛性も身体能力も一線を画していた」
「そうですねぇ……私自身、あの人型の魔獣に出会った時は肝が冷えましたよ。右腕の鎧も引きちぎられたんですよ?」
それをあの魔獣が身につけていたのは、奇妙であり滑稽極まりないけれど。
「あの人型の魔獣、表面が液体のようだった。俺の見た犬の魔獣はあの人型の魔獣とは比肩しようにもできないが、しかし犬の魔獣はもっと形がしっかりしていた」
「しっかりした形?」具体に欠ける言い方だ、と僕は思った。
「表面がなだらかというか、つるりとしているというか……少なくとも、垂れて落ちるような不安定さは無かった」
「ほうほう、じゃあ魔獣には個体差があるということなんですかね?」ナドが得心いったようにそう言った。
まぁ要するに、体が人に近ければ近いほど、表面が安定して整っていればいるほど、魔獣というのは凶暴に強壮に狂悪になっていくということなのだろうか。
なら、もしそんな完璧な魔獣が僕の前に現れたとき、僕は一体……僕たちは一体、どうなってしまうのだろう?
ふと、そんな不安が心中に影を落とした。
「ところでナド、お前道中で死体を一つでも見たか」
「いえ、見てませんが」
「ふむ、ふむ、ふむ……」
そう言われると、人のいた跡はたしかにあった。それなのに死体はもちろん、骨一本すらなかった。
となると……
「みんな脱出できたってことじゃないんですか?」
「もしそうなら、この旧世界はとっくの昔に荒らされ尽くされてる。上のダンジョンのようにな」
「じゃあ、死体がないのはどういう意味があるっていうんですか?」僕はソシテに疑問を唱える。
「いや……これは俺でも信じ難い事実なんだが……」
ソシテにしては珍しく――――この短い付き合いでも変だと思うくらいには遠慮がちに、次に発する言葉の真偽をソシテ自身でも迷っているようだった。
「なんですかなんですか? 何をそんなに言い淀む必要があるんですか?」急かすナド。
「もしかすると、魔獣というのは人を……喰うのかもしれないと思ってな」
「人を、喰う?」「人を、喰う?!」
ピンとこない僕と、戦慄しているナド。相反する反応が同居した。
「そ、そんなのあり得ますか?! だって、人を喰う生き物なんか、そんなの、自然の摂理に反してますよ!」
な、え? どういうこと? 人間って食べられることないの?
「えっと、どういう意味ですか?」
「もしかして、知らないんですか?」
何が? 僕はこの場合、何を知らないんだ?
「あぁ記憶喪失、そうですね、簡単に説明しますと、この世界のすべての動物は人を食べられないんです。まぁ厳密に言えば食べられないってことないんですが、食べると爆発してしまうんですよ」
「ば、爆発する?」
その理屈は全くもって理解できない。意味不明だし荒唐無稽にも程があるとさえ思うけれど、ナドがあまりに力説するので、妙な説得力を感じてしまった。
「まったく、自分で言っていて信じられん仮説だ」
「しかしそうですか、人を喰う生物ですか。厄介も厄介。超厄介ですね」
人を喰う生物……二人はそれを怪物のように語るけれど、しかし僕はどうも共感できなかった。
いや、ん? 人を喰う、怪物?
何か、とっかかりのような、喉につっかえるような、頭の隅にある一つの思い付きが、正体を明かすことなくひっきりなしに転がっているというか……
「それで、これからどうしますか?」
僕の小さな謎の追求は、ナドのその一言によって足を止めた。しかしまぁ、あのまま考え続けていてもきっと何も思いつかなかっただろうけれど
「そうだな……ナド、お前怪我は大丈夫か。どうも鎧が随分歪んでいるように見えるが」
ナドの鎧には紙を丸めてもう一度広げたみたいなシワができている。
外傷から身を守る鎧としては、百点の成果だろう。
「あれ、そうですか? 身だしなみが整っていないとは、紳士の風上にも置けませんな」
「元気そうだな。だったら、先へ進むことにしよう」
ソシテはそう言って立ち上がった。気丈に振る舞っているが、声色に疲れが現れ始めている。
思えば、ソシテはあの人型の魔獣に怪我を負わされていたはずだ。こうして立ち上がってみている以上思いのほか傷は浅かったのかも知れないが、それでも出血はしていた。
どうしてソシテは先へ進めるのだろう。あんな怪物を目にして、さらには襲い掛かられて、どうして恐怖で心が支配されないのだろう。
わからないことだらけで、僕は頭が痺れそうになってきた。
トコロデはナドが担ぎ、僕とソシテはナドを挟むように一列となり倉庫を出た。
次の場所は廊下だった。しかし、以前までの廊下とは大きく異なり、扉は僕たちが出て来たもの以外無かった。
突き当たりがすぐそばにあり、その反対の方向へ進むことにした。
ん、なんか、匂うな。どこかで嗅いだような、この匂いは……
血だ。どこからか濃い血の匂いがする。
「あの、血の匂いがしませんか?」
「血? 血の匂いなんて、しませんが……あれ、でも血が落ちてますね。ほら、点々と」
ソシテが下を向きながらそう言った。そこには血の滴が落ちていた。血痕は廊下の奥へと続いている。
「これ、前に見た血の線と同じ人のものかも知れませんね」
血痕と同じ道を辿りながら廊下を進む。その間、別の部屋へ行けそうな扉や排水溝などは見当たらなかった。
「これは……ロビーみたいな場所ですね」
ナドの言うロビーというのはよくわからなかったが、廊下は天井の高い広間のような場所に出た。僕たちは少し高い場所で見下ろしている。階段でそこを上り下りできるようだ。
左右対称で、全てが新品臭い、磨かれきった場所だ。
「隠れろ」
ソシテのその一声でナドはもちろん、僕もその場で物陰に隠れた。一体ソシテが何を見つけたのか知らないが、緊迫せざるを得ない何かしらを、ソシテは捉えたらしい。
こっそり、ひっそりと気配を殺しながら僕は様子を伺う。
人が立っていた。
背丈は僕ぐらいだろうか。体格はどちらかといえば細身で、丸くピンと張ったつばのついた帽子と、この旧世界の特徴とテーマをあてがった洗練されている衣服を身に纏っていた。
「あれ、僕たちみたいに迷ってる人じゃないですか?」僕は希望を持ってそう言った。
「お前にはそう見えるか。だとすれば、次は目医者にかからなければな」
どういう意味だろう。
「が……がぁぁぁあ!」
次の瞬間、どこかで聞いたことあるような声と共に、どこかでみたことあるような人物が、今まで見たことのない動きで広間の中央に直立する誰かに襲いかかった。
しかし、襲いかかった者はまるで時間が戻ったかのように吹き飛ばされる。
激しくバウンドするように、壁に叩きつけられる。
「あの人、ソレユエさんじゃないですか? ほら、今ふっ飛んでったの」
ナドが思いついたように呟いて、僕も思い出す。やけに既視感があったのは、騎士団の格好をしていたからだったのか。
ソレユエも僕たち同様にこの旧世界にやって来ていたのだ。まぁ、同じ穴に落ちているのだから、当然といえば当然なのだが。
「じゃあ、あの中央に立ってる人は――――」「ふぁあぁぁぁあ……」
こそこそ声で話している僕らの間に、まさしく場違いな爆音のあくびが広間に響いた。
誰が一体、なんて間抜けなことを言うつもりはない。何をどう見繕ってもその正体はトコロデだった。
「ふん……まずいな。気付かれた」
中央の人物がこちらを向く。
その顔も、妙に明るい室内の照明によく照らされて鮮明に映る。
だが、顔の詳細は語ることはできない。
それはどこまでも真っ黒で、表情はなく、顔面のパーツも一つたりとも存在しない。
しかしそれは流動体だからというわけでは決してない――――
「あれは……」
つるりとした、金属のような光沢のある、それでいて形は遥かに人に近い――――
「魔獣……だ」
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