第89話 異世界での修学旅行・1
青く澄み切った空の下、汚れ一つ無い白馬車が皇城から街へ向かって動き出す。
『ねぇ、アスカ……これ一体どういう事?』
クラウスの笑顔と共に最強に機嫌が悪そうなテレパシーを送られて、私はどう言葉を返せばいいのか分からなかった。
白馬車の中ではクラウスと私が隣り合うように、そして向かい合うようにソフィアとリチャードが座っている。
「えっと……何処から話せばいいのかしら……今朝急に決まった事だから、音石送る時間もなくて……」
とりあえずソフィアが一昨日襲撃された事や、昨日の夜帰還した事から説明を始め、本当は今日も事情聴取だったんだけど<事情聴取もうウンザリ&気分転換したい&アスカが街に出て良いのに私は駄目とかおかしい&クラウスに治療してもらいたい&メイドが同行するのは嫌だけどリチャードなら良い>というソフィアの強い主張が通った結果、こうなってしまった事を説明する。
事情聴取の為に部屋を訪れた人達を圧倒するソフィアの勇ましい姿と、白馬車が着くなり私より先に馬車に上がり込むソフィアに相対したクラウスのビックリした顔はしっかり私の目に焼き付いている。
「……色々、大変だったようですね。ああ、既にアスカから聞いているかもしれませんが、改めて自己紹介致します。私は……」
私の説明を聞いたクラウスがソフィアに労りの言葉をかけて自己紹介を始める中、チラりと窓の向こうの街並を見やる。
いくらクラウスがいるとはいえ、メアリーがあれほど頑なに許さなかった街への外出があっさり許されるとは思わなかった。
しかも一昨日襲撃されたばかりのソフィアの街に行きたいという希望まで受け入れている。
今、ツヴェルフが狙われてるかもしれない、危ない状況なんじゃないのだろうか?
皇家が何を考えているのか、さっぱり分からない。
(どうせなら、街に行く事を熱望してた優里とアンナも一緒に来れたら良かったのに……)
私は明日、皇城を出ないといけない。
こんなあっさり街に出られるなら、最後に皆で街を散策したかった。
1ヶ月で帰れる、と思ったら、もっとちゃんとこの世界を堪能してみるのもありかもしれない、なんて思ったり――
「それで……この傷、貴方に治せるかしら? アスカが、貴方なら傷痕すら消せるかもって言っていたんだけど……」
物思いに耽っている所をソフィアの言葉で引き戻される。
ソフィアは馬車に乗ってからずっと左頬を摩りながら、真っ直ぐにクラウスを見つめている。
「大丈夫、治せますよ」
微笑みを絶やさずにそう呟いたクラウスが、淡く輝く右手をソフィアの左頬に添える。
そして小声で何か呟くと白い光に包まれたソフィアの頬の傷が、見る見るうちに消えていった。
傷が消えていく様子を驚いたように見つめていたリチャードから小さな鏡を渡されたソフィアは、それで自分の顔を確認する。
そして自分の頬を震える手でなぞるように触りながら――心からの喜びの言葉をあげた。
「あ……ありがとう……!」
「どういたしまして。貴方のような美しい方の笑顔を取り戻す手助けが出来て光栄です」
クラウスのその声は、今まで聞いた事がないくらい穏やかで気品に満ちている。
「クラウス……私と話す時と態度違わない?」
『別に……この娘には愛想良くしておいた方が、後々都合良いでしょ?』
クラウスは笑顔でソフィアを見据えながら、素っ気ないテレパシーを送ってくる。
(なるほど……ソフィアの怪我を癒した時に恋をした、って流れにするつもりね……?)
確かに婚約の流れとしてはそっちの方が自然だ。
しかもそれで私に素っ気なくする事で喧嘩する要因にもなりえる。
それでも、テレパシーではいつもみたいに話してくれてもいいはず。
優しく微笑んでてもクラウス自身の機嫌が悪いのは間違いなさそうだ。
「本来であれば皆様を私の館に招待したいのですが、今日は生憎都合が悪く……このまま街の露店通りに向かいましょう」
昨日は館に行った後、街に行く予定だったのに――何かあったんだろうか?
ツヴェルフ嫌いのエレンがいる館にソフィアを連れて行くのは心配ではあったから、丁度良かったけど。
「露店通り……?」
「様々な商品を携えた露店が並ぶ、大通りの事です。露店なら今の時間でも開いてる店が多いですし、彼らの為に開いてるカフェもあるそうです。露店でアスカが気に入る物が見つからなければカフェで朝食を済ませて、近くの宝石店や装飾品のお店が開くのを待ちましょう。ソフィアさんも何か気に入った物があったら言ってくださいね。プレゼントしますから」
ソフィアの呟きに対して、クラウスが丁寧に説明する。
まあ、と感嘆の声を上げるソフィアの横で、リチャードは少し寂しそうに俯いた。
クラウスの完璧な営業スマイルを見ながら(ああ、この笑顔見た令嬢からはそりゃ貴公子って言われるわ……)と感心する。
同時に満面の笑顔でクラウスを見つめるソフィアの隣で気が気でない様子のリチャードを気の毒に思う。
私も今ちょっとクラウスから塩対応を受けてるけど、昨日からずっとソフィアの傍にいるリチャードの方がよっぽどしょっぱい対応を受けている。
しかも寝不足なんだろう、私達に気づかれないよう必死に欠伸を噛み殺して頑張るリチャードの健気な姿に、何故か私がキュンとしてしまう。
露店通りらしき通りが見え、馬車や荷車を止まっている広いスペースに近づくとまだ7時にもなってないにも関わらず、大きな人だかりができていた。
(あれは……魔物狩りに行く時にもすれ違った、リアルガー家の……?)
人だかりの向こうに見えるのは一度見たらなかなか忘れられない、真紅の赤馬車。
人だかりを避けるようにその赤馬車から少し離れたところに白馬車が止まる。
「ねぇクラウス……あれ、リアルガー家の馬車よね? 一体どういう事……?」
呼びかけた先のクラウスは営業スマイルを解除して真顔で、口元を引きつらせた状態で窓の向こうの赤馬車を見据えている。
「よう、アスカ!」
窓の下から名前を呼ばれ、窓を開けるとアシュレーとアンナが笑顔でこちらを見上げている。
「アンナと、アシュレー……!? 何でここにいるの!?」
馬車の窓を開けて問いかけると、アシュレーを私の視界から押し出すように白髪交じりの赤髪の男性が現れた。
「それについては愚息に代わってワシが話そう!」
(あ、アシュレーのお父さんまでいるの……!?)
歓迎パーティーで私に謝った、白髪交じりの赤髭をたくわえた年配の男性――大きな体格にピッタリ着こなされた真紅を基調にした軍服の胸元には、チェーンやらバッジやらが仰々しい位に飾り立てられ、煌めいている。
パーティーの時は気づかなかったけど、アシュレーのお父さんという事はつまり、6大公爵家の1つであるリアルガー家の当主――赤の公爵だ。
「アスカ殿……先日は息子が無礼を働き、今度は嫁が本当に失礼な事を言って……重ね重ね申し訳ない!」
嫁――そう言えば、嫁って本来は『息子の妻』って意味だっけ――って、既にアンナを嫁扱いしてる事も気になるけど――先日の叫び合い、公爵の耳にももう届いちゃってるんだろうか?
「あ、あの、どっちももう全然気にしてないので……! それで、公爵家の方々が何故こんな所に来てるんですか?」
公爵家って暇なんですか? という言葉が喉まで出かかったのを飲み込んで赤の公爵を見据えると、ニッカリと真っ白い歯を見せたいい笑顔を浮かべられる。
「愚息のせいで嫁と貴殿らがまともに別れの言葉を交わす時間もなく離れ離れになってしまった事を心苦しく思っている時に『ツヴェルフ達が街での散策を希望していた』という話を耳に挟んでな。これはワシが力になれるのでは? と思ったのだ」
有力貴族にしては意外な言葉が出たな――と思ったその時、後ろからどよめきが上がる。
大通りから新たに皇城の馬車から走ってきて近くに止まり、馬車から笑顔のユーリと無表情のネーヴェ、複雑な表情のメアリーとユンが降りてきた。
いつの間にかソフィアとリチャードも馬車から降りていたので、私も降りて改めて赤の公爵と向かい合う。
「生憎この状況下で他の公爵の反発もあり、午前中、この露店通りのみの散策、という制約付きではあるのだが……その間ワシが色神と共にツヴェルフ達を守るゆえ、デートでも女子会でも、好きなように楽しまれると良い!」
赤の公爵が手で指し示す先で、優里、ソフィア、アンナが笑顔で再会を喜んでいる――皆がこうやって笑顔で集まったのは、これが初めてかもしれない。
「あ……ありがとう、ございます……!」
優しい配慮に感動した気持ちを素直に述べると、赤の公爵はアシュレーと同じような、屈託のない表情で笑った。




