第88話 9日目の朝
朝、できるだけ早めに起きたいと思って寝た甲斐があってか、目覚めたのは朝の4時。
薄暗い室内を見渡すとソフィアはまだ眠っていて、セリアの姿はない。
恐らく部屋の前にはリチャードがいる。
まだソフィアを起こすのは気が引ける時間だ。
まずは日記の残りを読もうと日記を取り出し、机の灯りをつけようとして手を止める。
(そう言えば……もう二度と魔力使うなって言われてるのって、魔道具も込みなのかしら……?)
灯りをつける為には机の隅に付随している魔道具に魔力を込めないといけない。
幸いこの程度の魔道具に消費する魔力はごくごく僅かな物で、あの人もこの程度の消費で『魔力消費しましたね?』なんて言ってくるとは思えないから、言われてからも普通に使ってたけど――一度その発想に至ると、使用する事に躊躇してしまう。
(あ、そうだ……黒の魔力なら、使ってもいいんじゃない?)
あの人の言い方だと、消費してほしくないのは白の魔力の方だ。
私が黒の魔力を消費しても自分が注げばいいだけなんだから、白の魔力より黒の魔力を使われた方がまだマシだと思うだろう。
何か言われたらそう言い訳すればいい。
(でも、どう使い分ければいいんだろう……?)
自分の中にある、白と黒の魔力の使い分ける方法が分からない。
(白の魔力を出す時は白の魔力を集めるイメージをしたんだから、黒の魔力を出す時は手の甲に口づけされた時の、あの嫌な感じのイメージを集める感じで……)
暗く冷たく、重たい感覚を思い起こし、心の中が仄暗い不安に煽られていく。
それを右手に送り込むようにイメージした状態で、魔道具に触れる。
「痛ッ……!」
灯りが付いた瞬間、右手の指先に切れるような痛みが走る。
出血したと思って痛んだ部分に注目すると、出血こそないけど魔道具に触れた部分に薄っすら何かで切ったような小さい傷ができている。
(黒の魔力が厄介、ってのは感覚や特性だけの問題じゃないのかしら……?)
明らかに白の魔力とは質が違う、使う度に不安に煽られるこの魔力を普段使いするのは難しい――そう結論付けて、日記を広げる。
声を抑えたお陰か、ソフィアが起きる気配もリチャードがドアをノックする気配もないのでそのまま日記を読み始める。
だけど前日発見したもの以外特に気になる記述を見つけられないまま、読み終えた日記を閉じる。
「……それは?」
diaryと記された表紙を疑問に思ったのだろうか? いつの間にか目を覚ましたソフィアが横になったまま問いかけてきた。
「優里の転送物の中にあった、由美さんの日記の1つよ」
「そう……情報集めは捗ってるの?」
万が一にでもリチャードに聞かれないように、ベッドに座り小声で返すとソフィアは体勢を変えないまま質問を重ねた。
窓から差し込む朝の光がソフィアを神秘的に彩っていて、何処の女優さん? と思うくらい美しい。
「ええ。次にル・ターシュに行ける周期は約1ヶ月後……緑の月の5日の深夜。それを逃したら3年後だって」
「1か月後……!?」
飛び起きたソフィアは慌てて左頬を隠したkど、耳の辺りから口元までスッパリ切れた左頬に残る傷の痕がハッキリ見えてしまった。
「……大丈夫?」
「大丈夫よ」
かける言葉が思いつかず、ありきたりな言葉を言うとありきたりな言葉が返ってきた。
そこに更に上乗せできる励ましが思いつかず、そのままこちらが分かっている情報を簡潔にソフィアに伝える。
「そう……地球に帰るのが現実味を帯びて来たわね」
ふう、と一つ息をついてソフィアは改めて左頬を隠すように横になる。
「ソフィアの方は何か分かった? 間違いなく由美さんはこの世界に来てると思うけど……」
「ええ……ユーリのおばあちゃんは間違いなくこの世界に来ていたわ。ユーリと3人揃ったら、詳しく話すわ」
今ユーリの方にもユンが付きっきりだと思うと、今集まるのは難しい。
できれば今、言ってほしいんだけど暗い表情をしてるソフィアを急かすのはかなり気が引ける。
「ソフィア、その頬の傷……今日クラウスに消してもらうと良いわ」
「消せるの!? コッパー邸の治癒師に治してもらった時は、これが限界だって……!」
ソフィアに暗い表情をさせている原因についてそう提案すると、ソフィアは目を大きく見開いて左頬を抑えた状態で身を起こした。
「治癒の力は白の要素があるほど強いっていうから、純白の魔力を持ってるクラウスなら消せるかもしれない……少なくとももっと目立たなくする事は出来るとは思う。私もこの間結構な怪我をしたけど傷跡一つ無いし……って、ソフィア?」
俯いたソフィアから大粒の涙がいくつも零れ落ちてシーツを濡らす。
「……ごめんなさい。この状態で地球に帰るのも、この世界に残るのも絶対に嫌で、私、もう、どうしたらいいか分からなかったから……」
途切れ途切れに紡ぎ出される言葉と共に落ちる涙が、いくつもシーツに溶けていく。
「そう言えば……何でメイドに襲われたの?」
「分からないわ……寝ようと思ったら、襲い掛かってきて、喉切られると思って、咄嗟に屈んで、叫んで、頬を切られて……リチャードが来てくれて……私の前に立ってくれたところで、アーサーが背後からビアンカを……」
ビアンカには、何か怪しい仕草とかなかった――? と聞こうとしたけど、きっとそれは昨日散々聞かれただろう。
私が聞いてどうこうできる話じゃないなと思いとどまる。
「……大変だったのね」
肩を震わせるソフィアをこれ以上見ていられず、そっと抱き寄せる。
「私もこの世界に来て2回程死にそうな目に合ったから思うんだけど……こういう時って、傍に誰かいると安心しない? ソフィアさえ良ければ、私、このままここに座ってていい? 私も友達が辛い目にあってるの、放っておけないのよね」
あふれ出る言葉を、思った事を、素直に伝えていく。
どれかがソフィアの心を癒してくれたら――
「……傍にいてくれるのはありがたいけど……ハグはもういいわ」
「ご……ごめん!!」
ソフィアが顔を赤くしながら私を押し戻す。
うっかり昨日のクラウスを抱きしめ返したノリでハグしてしまった。
だけど普通、いきなりハグなんてされたらビックリする。
クラウスとのハグに慣れたせいか人との距離感がおかしくなってる事に気づいて、顔が熱くなっていく。
ハグになれてるだろう外国人のソフィアに引かれるとか、どれだけ空気の読めない事をしてしまったんだろう、私。
「と……とにかく、もうすぐクラウスが来るから、ソフィア治してもらえるようお願いするから安心して! クラウスは私達が地球に帰りたい事も知ってるし、ソフィアに婚約申し込む事も了承してくれたし、悪い人じゃないから、安心して! 後、私、ソフィアに恋愛感情とか抱いてる訳じゃないから安心して!?」
両手を膝に置いて、この変な空気を何とかしようと、ソフィアを安心させようとただただ言葉を連ねていく。
「アスカ……私がそういうの苦手なだけで、別に貴方の行動はそこまで変なものじゃないから落ち着きなさい。貴方が男好きなのも分かってるから」
「やめて、男好きって言い方はやめて……!」
「冗談よ……って、何その顔。何か嫌な事でもあったの?」
許してくれたのはありがたいけど、付随した発言が引っかかって考えるより先に感情が出る。
私はどれだけ悲痛な顔でソフィアに縋ったのだろう?
ソフィアに怪訝な表情で見据えられる――あの事を言うのは、今かもしれない。
「実は……この間ユンに3人で夜な夜な集まって何話してるのか追及されて、この世界の男達で抱かれる妄想とか素敵なシチュエーションを妄想してソフィアと盛り上がってた、って誤魔化しました……ごめんなさいっ……!」
言うと同時に、深く頭を下げる。
「貴方……! 人を妄想女に仕立て上げておいて、よく男好き発言に文句言えたわね……!?」
ちら、と顔を上げるとソフィアは眉を潜めて顔を引きつらせ、信じられないような物を見る眼で私を見下ろしていたので再び顔を伏せる。
(ああ、やっぱり優里と一緒に謝ればよかった。この視線、一人で耐えるのキツい……!)
その後、靴を脱いで正式に土下座したら呆れたような盛大なため息を漏らされて『男との妄想で誤魔化そうという発想自体が男好きの極み』と返す言葉もないお叱りを受ける事になった。




