第82話 白が黒を嫌う理由
厨房を出た後もクラウスは私の手を繋いだまま、立ち止まる事無く歩いていく。
「何処に行くの?」
「母様が使ってた部屋」
こちらを振り返らずにクラウスが答えたところで足が止まり、すぐ横にある真っ白なドアを開ける。
そして部屋の照明が付けられた瞬間、眼が眩んでしまう程の眩しさに襲われた。
白。白。白――見渡す限り全て白に覆われた窓の無い部屋は、ベッドのシーツやテーブルクロス、クローゼットの取っ手に至るまで、全てが全く同じ白――純白に統一されている。
長時間いたら確実に目がおかしくなりそうなくらい純白に包まれた、異様な空間だった。
昨日のアンナの部屋も見渡す限り赤ではあったけど、赤のバリエーションは豊富だったし、差し色もあって全てが赤という訳じゃなかった。
だけどこの部屋は微細な色の違いすら無く、ただただ一面の純白が広がる。
窓がない事が更に異様さを際立たせていた。
まるでここだけ世界から切り離されたような、閉塞的な純白の空間――そんな明らかに異常な部屋のクローゼットをクラウスが開け放つと、これまたズラリと純白のワンピースやドレスが並んでいる。
「部屋もドレスも、見事に白ばっかりね……公爵家は他の色を使っちゃいけない決まりとかあるの?」
もしそうだったら探すだけ無駄かもしれない――そう思った私の問いはクラウスに優しく否定される。
「いや、皆好みで統一してるだけで決まりがある訳じゃないよ。白はどんな色にも合うし、アクセントに淡い色を入れた方が綺麗だと思うし……ここまで純白一色だと僕もちょっと怖いよ」
確かに。クラウスの部屋も白は多い印象はあるけど、違和感も抱かない程度に他の色も使われていた。
白の家系であるはずのクラウスにすら「怖い」と言わせるこの部屋は、一体何なんだろう?
そしてこれだけ純白一色なら埃とか落ちてたらすぐ分かるはずなのに、視界には汚れらしき物は何一つ入ってこない。
「クラウスのお母さんが亡くなられたのって……いつ?」
昨日のクラウスの言い方だと亡くなってからだいぶ年月が経ってるのかなと思ったけど、この様子だと最近亡くなったのかもしれない。
「僕が8歳の誕生日の時だから……もう十年以上前だよ」
クラウスはクローゼットに置かれていた白の箱を取り出して開き、中身を確認して床においていく。
私もそれに習って一つ一つ取り出して開けてみるけど、中に入っている小物や靴も全て純白――ここまでくると異常なこだわりを感じざるを得ない。
クラウスの部屋に飾られてる家族写真は幸せそのものだったけれど、あの女性はこの部屋で過ごしていたのだと思うと、得体のしれない闇を感じる。
いや、闇という言葉で表すには、あまりに眩しくて、白い。
言い換えるなら――狂気、だろうか?
狂気を感じる部屋から1秒でも早く出たい衝動に駆られていると、クラウスは乾いた笑みを浮かべてこちらを見上げる。
「……ダグラスが来た直後に、自殺したんだって」
「え……?」
異様すぎる部屋で突然すぎた重すぎる告白に、自分でも顔が引きつったのが分かった。
「こんな話、するつもりなかったけど……でも、向こうが自分に都合良い様に説明するかもしれない。その前に言っておかなきゃと思って……」
純白の空間でサラリと暗く淀んだ重苦しい事を聞かされ、脳が混乱する。
「ダグラスは母様に何言ったんだろうね……? 機会があったら聞いておいてくれる? アスカがダグラスと話したくないなら、無理に聞かなくて良いけど……」
いつの間にかクラウスは立ち上がり、乾いた笑みを浮かべたまま真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
そんな重すぎる話題、仮に機会が訪れたとしても聞ける気がしない。
そんな事聞いたら、絶対あの人の何かのスイッチが入るのは間違いない。
ああ――皮肉にも頭に思い浮かんだあの人の姿が、この純白の空間に相反する黒のイメージが、心の中にある恐怖を少しだけ落ち着かせてくれる。
「……違う」
「な、何が?」
「違うんだ……本当に言いたい事は、こんな事じゃない……!」
私はまだクラウスの重い呟きに何も返していない。
なのに、クラウスは眉をひそめて首を横に振る。
必死な形相で縋るように言葉を吐き出したかと思うと、痛い位に力を込もった手で両肩を掴まれた。
「ねぇ、アスカ……ダグラスに何言われても死なないでね? 死にたくなった時とか、困った時とか、傷ついた時があったら、ちゃんと僕に話してね? 何も言わずに死ぬのだけはやめてね……!?」
手により一層力を込めて、今にも泣きだしそうな顔で詰め寄ってくる――明らかに今のクラウスは、おかしい。
「ちょっとクラウス、落ち着いて……!」
両肩を掴む腕が背中に回されて、強く抱きしめられる。
クラウスの震える腕が、私に振りほどく術を与えてくれない。
この状態でも体の中に心地よい魔力が落ちてくる事に、少しだけ――恐怖を感じる。
「母様を奪われて、この上君まで奪われたら、僕は、どうすればいい……!?」
「あ、安心して、大丈夫だから……! 私、1ヶ月、何とか持ちこたえてみせるから。もし万が一抱かれたとしても、死ぬって発想にはならないから……!!」
痛々しいクラウスの悲鳴に耐え切れず、抱きしめ返す。
腕に力を籠めてそう宥めると、クラウスの声が止まった。
もしマナアレルギーで精神崩壊起こしてしまったら、って不安はある。
状況によっては、クラウスが危惧するような状況に陥るかもしれない。
だけど、あの人もその問題を解消した上で事に至ろうとしてる。
その問題が解決していれば多分普通に抱かれるだけな訳で、恐らくその後に<死>という選択肢は出てこない。
もちろん死にたくなるような辱めを受けたらどうなるか分からないけど、普通に条件に従って抱かれる分には――いや、セックスした事ないから、いざ実際それがどんなものかは分からないけど――もし死にたくなったとしても、私が死んだらクラウスがどうなってしまうのかが怖くて、多分躊躇する。
そう思うとクラウスに感謝するべきなんだろうか?
いや、今はそういう事を考える場合じゃない。
抱きしめ続けながら考えてるうちに、軽い吐息が耳元に当たる。
「……そうだね、アスカは1ヶ月で帰るんだ……1ヶ月、1ヶ月さえ、持ちこたえればいいんだ……」
クラウスの、自分に言い聞かせるような安堵した呟きが響く。
良かった、ちょっと落ち着いてくれたみたいだ。
クラウスの少し力が緩んだので、こちらも恐る恐る手を放してハグを解く。
突然の事にビックリしたけど――クラウスが会った事もない異父兄を異常に嫌悪してる理由が、これで理解できた。
「ああ……そろそろ時間だね。厨房に戻ろう」
クラウスには悪いと思ったけど、これ以上のこの部屋にいたら私も何か恐ろしい物に精神を浸食されそうな気がして――クラウスの呟きを聞くや否や、私は部屋のドアの方に歩き出していた。




