第81話 手作りのお菓子
「アスカ……嬉しいのは分かるけど、そう喜んでもいられないんだ。一ヶ月後の緑の節の5日までにル・ターシュを探し出して、異世界転送の儀式を行える皇族にル・ターシュまで飛ばしてもらわないといけないって事だから……急がないといけない」
浮かれる私を諭す様に、クラウスが冷静に状況を語る。
確かに、帰れるタイミングが分かったのはいいけどまだいくつも問題が残ってる。
そう考えると、明日とか一週間後とかじゃなくて良かったと思う。
「皇族って……神官長って皇族なの?」
「神官長は現皇帝の弟だよ。代々ラブラドライト家から皇帝と神官長が選出されるんだって。40年前にル・ターシュへ転送したのも彼だと考えると、説得する余地があるかもしれない」
「あ、ありがとうクラウス……今の情報ですごく希望が持てた。これならどんな赤っ恥にも耐えられそうだわ」
そう。希望に満ちみちた今なら何にだって耐えられる気がする。
今ならあの人に贈り物して媚びて泣き真似して縋りつく事すら厭わない。
(あの人がそれで満足して油断してる間に帰ればいい……!!)
いや、待って――それやってあの人調子に乗らせたら、また一気に踏み込まれるかもしれない。
クラウスとの喧嘩だけで1ヶ月も引き延ばせる気もしない。
魔力が満ちればキスもハグもすっ飛ばして致される可能性だってある。
希望が見えたからこそ、確実に、慎重になるべきじゃないだろうか?
眩しい希望を前に感情と理性が交錯し、握る拳に力がこもる。
「アスカ……また何かあったの……?」
「大丈夫、ちょっとあの人が面倒臭い事になっただけ」
「あの人?」
クラウスが心配そうな表情で首を傾ける。
あの人、なんてぼかした言い方をしたせいか、クラウスは誰の事を言ってるのか分からないみたいだ。
「……黒の公爵様」
あの人の名前を口に出す事にも抵抗が出始めて窓の向こうを眺めながら呟くと、クラウスが頭を少し俯かせて、肩を震わせてふふ、と笑う。
「何?」
「何でもない……その白のリボン、とてもよく似合ってる。やっぱりアスカは黒より白が似合うよ」
顔を上げたクラウスは本当に嬉しそうな表情で微笑んでいた。
(そんなにあの黒の婚約リボンが嫌だったのかな……?)
確かに変な圧を発してたし、対極の色を持つクラウスには殊更禍々しい物に見えたのかもしれない。
その後、クラウスからどんな面倒臭い事になったのか聞かれたので昨日のアンナとの叫び合いや盗聴されたらしき事を話すと、声をあげてお腹抱えて笑われた。
正直、笑い事じゃないんだけど――でも涙を堪えて笑うクラウスの姿を見て、怒る気にはなれなかった。
ダンビュライトの館につくとすぐ、昨日の訓練場の隅で弓の訓練が始まった。
「じゃあまず、お手本を見せるね」
そう言って真剣に弓を引くクラウスの姿はとても様になっていた。
狙いを定める鋭い薄灰の眼に惹きつけられる。
魔物狩りでは白の弓を引く姿しか見なかったけど、実際の弓も難なく扱い、遠くの的に矢を当てた。
クラウスは儚い印象の割に、結構力が強い。
そして弓を引く姿勢について助言をもらい、時折手を添えられて教えられているうちに私も的の近くまで矢が届くようになってきた。
何より、頬や後頭部に弦が当たって痛い思いをしなくなったのがありがたい。
「そろそろ、朝食の時間かな……部屋に行こうか」
クラウスの言葉に頷いて部屋に向かうと、メイドが部屋の前で待っていた。
部屋に入るとメイドがテーブルの上に速やかに食事の乗ったトレーを置いていく。
ラインヴァイスはまた机の上に乗ると、眼を閉じて寝始めた。どうやらそこが定位置らしい。
何の敷物のない場所で眠るラインヴァイスをやっぱり気の毒に思いつつ、改めてテーブルを振り返ると、昨日見たのと同じメニューが乗ったトレーが一つ、それにプラスして美味しそうなハムエッグと紅茶らしきものが乗ったトレーが一つ。
クラウスは昨日と同じメニューが乗ったトレーの前に座る。という事は――
「これ……私の?」
「昨日の食事じゃ足りないみたいだったから」
「あ……ありがとう」
クラウスより量が多い食事にちょっと恥ずかしさもあるけど、足りないのは事実だから仕方ない。
クラウスが小食なだけで、こっちが普通の量だ。間違いない。
ソファーに座ってローテーブルで食べる朝食はちょっと食べづらかったけど、部屋にはクラウスとラインヴァイスしかいない事もあって気楽に食べる事が出来た。
「ごちそうさま! すごく美味しかった! こんな美味しい朝食作ってくれる人がいるんだから、クラウスももっと食べたらいいのに」
私が食べ終えると同時にクラウスも食べ終わったようだ。
自分と私の分のトレーをサービスワゴンに乗せる。
「僕はあんまり食べる物に興味無いから……ところでアスカって、甘い物は好き?」
「大好きよ」
「じゃあ、これもどうぞ」
即答するとクラウスは微笑んで立ち上がり、サービスワゴンに置かれていた金属製の蓋が被せられたお皿をテーブルに置いた。
何だろうと思い蓋を取ると、フルーツとカスタードクリームが贅沢に使われたタルトが乗っていた。キラキラと艶めくフルーツ達に目を奪われる。
(うわ、これ、絶対美味しい奴……!)
確信を確かめる為に一口分切り分けて口に含むと、フルーツの甘酸っぱさとカスタードの滑らかさな甘さが良い感じに口いっぱいに広がる。
「美味しい……!!」
「良かった、喜んでもらえて」
ほっぺが落ちそうになる、と言っても過言じゃない美味しさが頬を刺激する。
そんな私を見てクラウスは微笑んでいる。何だか今日のクラウスは機嫌が良いみたいだ。
「これ、クラウスが作ったの?」
「違うよ。料理長に女の子が好きそうなデザート作るようにお願いしただけ」
「へぇ―……」
美味しくて可愛いフルーツタルトに舌鼓を打っていると、昨日見た家族写真が視界に入る。
写真の中のクラウスを温かく見守るように微笑む女性が目を引いた。
(そう言えばクラウスのお母さんって、あの人のお母さんでもあるのよね……)
クラウスには馬車の中で盗聴の事を話したついでに、寵愛ドレスの事も話してある。
不躾な話なのは分かってるけど、ドレスの事をセリアに任せきりにするのも忍びない――クラウスにも聞くだけ聞いてみよう。
「あの、クラウス……図々しいお願いなんだけど、クラウスのお母さんのドレスの中に黒い物があったら、貸してくれない?」
「ああ……貸すのは良いんだけど、この館に黒のドレスなんてあるかな……? まあ一応探しておくよ」
私の質問の意図をクラウスはすぐに理解して了承してくれた。
機嫌が良い返答ではないけど、あまり気を悪くした風でもない事にホッとする。
「それと、もう一つお願いがあるんだけど……」
頼んでばかりも心苦しいけど、クラウスの機嫌が良いうちに頼める事はなんでも頼んでしまおう。
1ヶ月で帰る為にはそのくらいの図々しさは持ってないといけない。
私の2つ目の依頼は、2つ返事で了承された。
「クラウス様……いかがなさいましたか?」
真っ白なコックコートを着たやや年配の男性が、厨房に足を踏み入れた私達を出迎える。
「アスカ、この人がうちの料理長のトム。さっきのデザート作った人」
クラウスの紹介にトムさんは深く頭を下げる。
「あの、フルーツタルトとても美味しかったです。それで、もしできたら簡単なお菓子の作り方を教えてもらえたらいいなと思って……」
料理でも良かったけど、『食べられる贈り物』となると、やはりお菓子が一番だろう。
お菓子作りに挑戦した事ないから、上手く作れると良いんだけど。
「お菓子ですか? ご希望があれば私がお作りしますよ」
確かに私が作るよりこの人が作った方がよほど美味しい物が出来そうだけど、それだと意味がない。
「いえ、この世界にきて色々お世話になってる人に贈り物をしたくて……でも私お金持ってる訳じゃないし、手作りのお菓子で喜んでもらえたらなと……」
「そういう事でしたか……分かりました。私でよろしければ、お手伝いしましょう。きっと喜んでもらえますよ」
柔らかい物腰で話すトムさんからは僅かな敵意も感じない。
良かった。この館の人達皆がツヴェルフ嫌い、という訳じゃないみたいだ。
「クラウス様も一緒にいかがですか?」
「僕はいいよ……汚れそうだし」
トムさんの提案に遠慮したクラウスだけど、この場を離れるつもりもないようだ。
「贈り物なら、クッキーにしましょうか。材料を混ぜ合わせて少し休ませた後、伸ばして型を抜いて焼くだけのシンプルな物なら初めての方でも気軽に作れますよ。持ち運びも楽ですし。ただお時間が、そうですね……2時間程かかりますが……」
厨房の上を見あげるトムさんにつられて見上げると、時計が8時を示していた。
授業には遅れてしまうけど、仕方ないか――優里とメアリーのマンツーマン授業、メアリーが質問責めされる姿が思い浮かぶ。
「大丈夫です。よろしくお願いします」
トムさんから渡された白のシンプルなエプロンを身につけている間に、トムさんが調理台の上に材料と秤、ボウルを置いていく。
小麦粉、卵、バターに砂糖――説明を聞いてるとお菓子を作る食材は殆ど地球の物と同じだ。
トムさんが口頭で材料の重さを伝えてくるので一つ一つ、慎重に計る。
「随分慎重に計るんだね」
「お菓子は分量が狂うと美味しくできないって聞いた事あるから」
「その通りです。分量が少し変わるだけで味も触感も変わってしまいます」
「へぇ……」
感心したように声を上げるクラウスを横に、言われた通りに材料を混ぜ合わていき、冷蔵庫に入れる。
「このまま1時間ほど冷やします。お二人はその間いかがなさいますか?」
「1時間か……いったん僕の部屋に戻ろうかな。僕がここにいると皆緊張して仕事が手に付かないみたいだし」
クラウスの言葉に周囲を見渡すと、少し遠巻きに他の料理人達やメイドがチラチラとこちらを見ている事に気づく。
「そんな事ありませんよ。皆、楽しそうなクラウス様を見て喜んでるだけです」
「そう、なのかな……?」
トムさんの言う通り、見られてはいるものの皆温かな眼差しなので悪い感じはしない。
使ったボウルとヘラを洗いながら、トムさんとクラウスの会話を微笑ましく思う。
「……良かった。愛されてるのね、クラウス。昨日あんな事言うからここで一人ぼっちなのかなって心配してたのよ」
ボウルを水切り籠に入れてそう言うと、クラウスは少し困った顔をしてこちらを振り返った。
「皆が皆こうじゃない。騎士団やメイドの中には公務をまともにこなせず騎士団長に任せきりの僕を良く思ってない人間も多い」
確かに、昨日はこんな朗らかな雰囲気じゃ無かった。
訓練場の騎士達や敬意を感じない淡々とした態度の従者達を思い返す。
「……そう言えばクラウス様、昨日の」
「そうだアスカ、今のうちにドレスを探そう。もし見つかってもアスカがいないと体形に合うかどうか分からないし、一緒に探した方が良い」
「え? ちょっ、クラウス――」
思い出したように声を上げたクラウスに半ば強引に手を引かれ、有無を言えないまま厨房を後にした。




