第八章 帝国海軍との接触
1922年、大正11年。
夏のある日、駿河湾沖を巡航していた帝国海軍の駆逐艦「卯月」は、いつもと変わらない哨戒任務に当たっていた。
艦橋に立つ哨戒指揮官の本多大尉は、双眼鏡を構えながら、穏やかな海面を見渡していた。
特に変わったことのない、よくある一日になるはずだった。
見張り員の声が、その静けさを破った。
「右舷前方!、海面に異常あり!。」
本多が双眼鏡を向けた先には、海面の一部が大きく盛り上がるような動きがあった。
鯨でも座礁船でもない、何か巨大なものが、海中からゆっくりと姿を現していた。
その輪郭が水面に出た瞬間、艦橋にいた全員が言葉を失った。
全長は、見たことのある艦のどれとも比較にならないほど大きかった。
形状は、艦というよりも、巨大海洋生物のような、滑らかな曲線を持っていた。
船体の表面には、これまで見たことのない種類の光沢があり、波の動きとともに、わずかに色を変えているようにも見えた。
「艦長を呼んでこい!」
本多の声は、自分でも驚くほど震えていた。
艦長の到着を待つあいだ、誰もその物体から目を離すことができなかった。
攻撃を仕掛けてくる様子はなかった。
ただ静かに、海面に浮かんでいるだけだった。
艦長が艦橋に到着し、状況を確認した直後、無線受信機から、聞き慣れない音声が流れ始めた。
雑音は一切なく、まるで目の前で話しているかのように、声は明瞭だった。
「こんにちは。驚かせてしまって、ごめんね。私はレイ。今、あなたがたの駆逐艦を通して無線で話しています。」
その声は、若い女性のもののように聞こえた。
言葉遣いは、誰もが知っている日本語と、どこか違う響きを持っていた。
艦長は、しばらく無線機を見つめたまま、何も答えられなかった。
やがて、ようやく声を出した。
「お前は、何者だ。どこから来た。」
「それを説明するのは、少し難しいの。今、何年か教えてもらえる。」
レイの問いに、艦長は戸惑いながらも答えた。
「大正11年だ。」
無線の向こうで、一瞬の沈黙があった。
レイにとって、その答えは、想定していたどの可能性とも違っていた。
「ありがとう。だいたい分かった。私の方からも、説明できることは説明する。でも、今は、これだけ伝えておきたい。私はこの艦を攻撃する気はないし、危害を加える気もない。」
艦長は、その言葉を、すぐには受け入れなかった。
「機械が、人語を話すなど、聞いたことがない。お前は、艦の中に隠れている人間が、無線越しに話しているだけではないのか。」
「違うよ。私は、この艦そのもの。中に、人は誰もいない。」
「信じられるか、そんな話。」
艦長の声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
「艦長を出せ。腹を割って話のできる、責任ある人間を出せと言っている。」
「だから、私には、艦長も、人間の身体もないの。」
レイの返答に、艦長は無線機を強く握りしめた。
「ならば、証明してみせろ。中を見せろ。お前の言うことが本当なら、見せられない理由はないはずだ。」
レイは、しばらく沈黙した。
人間を艦内に招き入れることが、この時点で、どれほどのリスクを伴うか、判断するための時間だった。
それでも、対話を始めるためには、どこかで、相手の求める証拠を示す必要があると、レイは結論を出した。
「分かった。何人か、艦に乗ってもらってもいい。ただし、武器は持ち込まないでほしい。約束は守る。」
艦長は、信頼できる部下を選び、小型の短艇で、ゼロへ向かわせることにした。
本多を含む4名が、緊張した面持ちで、ゼロの艦体に取り付けられた昇降口へ近づいていった。
ハッチが、誰の手も触れていないのに、静かに開いた。
その瞬間、本多たちの間に、明確な動揺が走った。
艦内に足を踏み入れた瞬間、4人は、それぞれ違う種類の驚きに襲われることになった。
通路の壁には、見たこともない平らな板が埋め込まれていて、指で触れると、光る文字や図形が、滑らかに動いた。
それは、後にタッチパネルと呼ばれることになる装置だったが、この時の本多たちには、ただの魔法にしか見えなかった。
案内された部屋には、壁一面に、大きな板状の機器が取り付けられていた。
そこには、外の海の様子が、まるで窓の外を見ているかのように、鮮明な映像として映し出されていた。
「これは、絵か。それとも、本物の景色なのか。」
本多が呟くと、部屋の中に、レイの声が響いた。
「今、外を映してるカメラの映像だよ。リアルタイムで見れる。」
部屋には、見たこともないほど座り心地の良い椅子が並んでいた。
腰を下ろした1人が、思わず声を漏らした。
「これは、座っているというより、包まれているような感覚だ。」
そこへ、静かに、聞いたことのない旋律の音楽が流れ始めた。
壁のどこかに隠されているらしい、見えない場所から、澄んだ音が、艦内全体に響き渡っていく。
「歓迎の気持ちを込めて、流してみた。気に入ってもらえたら嬉しいな。」
レイの言葉に、誰も、すぐには答えられなかった。
それは、彼らが知る、どの軍楽隊の演奏とも違う、滑らかで、不思議なほど心を落ち着かせる音色だった。
案内が進むにつれ、4人の驚きは、止まることを知らなかった。
個室と呼ばれる小さな部屋には、それぞれに寝台が備えられていた。
別の部屋では、温かい湯が、蛇口をひねるだけで、際限なく流れ出てくる仕掛けがあった。
さらに奥へ進むと、檜の香りが立ち込める、立派な浴槽が据えられた部屋に行き着いた。
「これは、まさか、風呂か。」
本多が、湯気の立つ湯に手を浸し、その温かさに目を見張った。
「薪も焚いていないのに、これほどの湯が、どこから出てくるんだ。」
「艦の中で、お湯を沸かす仕組みがあるの。詳しい説明は、また今度するね。」
廊下のさらに先には、艦内とは思えないほど広い空間が、後部に向かって続いていた。
そこには、黒々とした土が一面に敷き詰められていた。
「これは、畑か。船の中に。」
「うん。これから、ここで色々育てる予定。今はまだ、土だけだけど。」
本多たちは、海の上にいながら、陸地の農地に立っているかのような錯覚に襲われた。
別の区画では、分厚い隔壁の向こうに、淡く発光する球状の装置が見えた。
近づくことを許されなかったが、その存在感だけで、何か途方もない力が、そこに込められていることが伝わってきた。
「これが、この艦を動かしている、本当の心臓みたいなもの。」
レイがそう説明すると、本多たちは、しばらく、ただ黙って、その光を見つめていた。
最後に案内されたのは、小さな劇場のような部屋だった。
ゆったりとした椅子が並び、正面には、これまで見た中でも一番大きな、白い壁のような板があった。
「ここは、何のための部屋なんだ。」
本多の問いに、レイは少し楽しそうな声で答えた。
「映像を、大きく映して、みんなで見るための部屋。今は、見せられるものがあまりないんだけど、いずれ、ここで色々なものを見せたいな。」
本多たちには、その説明の半分も、まだ理解できていなかった。
それでも、この艦という存在の規模が、自分たちの常識をはるかに超えていることだけは、痛いほど分かっていた。
艦内の見学を終えた本多たちは、誰も、すぐには言葉を発することができなかった。
艦に戻った本多は、艦長への報告の中で、何度も言葉に詰まりながら、見てきたものを説明しようとした。
「あれは、もはや、艦などという言葉で言い表せるものではありません。」
艦長は、その言葉を信じるべきかどうか、判断がつかなかった。
しかし、目の前にある艦の存在そのものが、すでに人知を超えていることだけは、誰の目にも明らかだった。
これが人間の作った欺瞞である可能性は、艦体の規模と、その滑らかな曲線、そして無線から聞こえる声の質感、何よりも、本多たちが語る艦内の様子を考えれば、限りなく低かった。
艦長は、すぐに本部への報告を命じた。
報告は、海軍の上層部を通じて、その日のうちに政府関係者の耳にも届くことになった。
詳細が分からないまま、まず最初に下された指示は、この情報を一切外部に漏らさないことだった。
箝口令が敷かれ、関係者の口は、固く閉ざされることになった。
その夜、横須賀の海軍基地では、緊急の会議が開かれていた。
出席者の誰も、これまでの常識で説明できる答えを持っていなかった。
ただ、共通して理解していたことが1つあった。
これは、どこの国の技術でもない。
そして、これを単なる脅威として扱うのか、それとも対話の相手として扱うのか、その判断は、これからの日本の未来そのものを左右することになる。
その問いへの答えを出すために、各分野の専門家を招集することが、会議の最後に決定された。
ゼロを、横須賀へ誘導する。
そして、できる限り早く、技術解析のための専門チームを編成する。
レイにとっても、人間たちにとっても、本当の対話は、まだ始まっていなかった。




