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第七章 転移の日

2028年8月6日、早朝。

テレビでは、広島に原子爆弾が投下された日であることを伝えるニュースが、いつもと同じように静かに流れていた。

駿河湾沖に停泊する支援艦の中で、それを横目に見ていた研究員は、特に何かを意識することもなく、画面を消した。

今日は、別の意味で重要な一日になる予定だった。



支援艦の管制室には、相川和彦、梶原孝之、そして物理学研究チームのメンバーが集まっていた。

今日行われるのは、空間転移技術そのものを実証するための実験だった。

表向きの計画書には、ステルス性能の最終検証という名目が記されていたが、実際の目的はそれだけではなかった。


資料の片隅に、フィラデルフィア実験という文字があった。

若い研究員は、その名前に見覚えがあった。


ただし、それは、学術的な資料としてではなく、子供の頃に読んだ怪奇現象の特集記事の中でだった。


1943年十月二十八日、アメリカ、ペンシルベニア州フィラデルフィア海軍造船所。

アメリカ海軍の駆逐艦、エルドリッジは、強力な発電機と特殊なコイルを艦体に巻きつけた状態で、ある秘密実験に投入されたとされている。


実験の目的は、艦の周囲に強力な電磁場を発生させ、レーダー波を屈折させることで、艦そのものをレーダー上から消す、いわば電磁的な不可視化だったと言われている。


実験が開始された瞬間、エルドリッジの周囲に、淡い緑色の靄のようなものが立ち込め、艦の姿が、見ている者の目から、文字通り消え去ったという。

ここまでなら、レーダー不可視化という、当初の目的の範囲内だった。



しかし、都市伝説として語り継がれてきた話は、ここで終わらない。

数分後、エルドリッジは、フィラデルフィアから約600km以上離れた、バージニア州ノーフォーク軍港に、一瞬だけ姿を現したという。

ノーフォークにいた複数の港湾関係者が、見覚えのない艦が突如として現れ、数分後にまた消えたと証言した、という話が、後年になって広まった。


エルドリッジは、その直後、出発地点のフィラデルフィアに、再び姿を現したとされている。


実験後、艦に乗り込んだ調査員が目にしたものは、さらに常軌を逸していたと語られている。

複数の乗組員が、原因不明の精神錯乱状態に陥っていた。

さらに数名は、行方不明のまま、二度と発見されなかったという。


中には、自分の身体の一部が、艦の金属壁にめり込んだ状態で発見された乗組員がいた、という、特に凄惨な逸話まで語り継がれている。


アメリカ海軍は、こうした実験そのものの存在を、公式には一貫して否定し続けてきた。

当時の記録は破棄されたか、最初から存在しなかったとされ、唯一の証言は、実験に立ち会ったとされる人物が、後年になって個人的に書き送った手紙だけだったとも言われている。


真偽を確かめる手段がほとんどないまま、この話は、長年、都市伝説愛好家とオカルト雑誌の中だけで語り継がれてきた。


「でも、否定されているのに、なぜ、うちの研究チームが、それを前提に動いているんですか。」

若い研究員が、資料から顔を上げて聞いた。

梶原は、淡々とした口調で答えた。


「表向きは否定されていても、世界中の主要な諜報機関の間では、実は実験が成功していたという情報が、長年、内々に共有されてきたんだ。」

梶原は、一度、言葉を切ってから続けた。


「強力な電磁場が、空間そのものに干渉し、瞬間的な移動を引き起こす。理論上は、突拍子もない話に聞こえる。だが、日本の防衛省と物理学研究チームは、その情報を独自に入手し、電磁場と時空間の干渉についての理論的な検証を、何年もかけて重ねてきた。」


物理学チームのリーダーが、そこに補足を加えた。


「フィラデルフィア実験が本当だったとすれば、当時の技術力でも、瞬間的な空間移動に近い現象を、偶然引き起こせたことになります。今日の実験は、それを偶然ではなく、制御された形で再現できるかどうかを確かめるためのものです。」


「ゼロの核融合炉とニューロコンピューターが作る電磁場の制御精度は、理論上、空間転移現象を再現できる水準に達しています。」

物理学チームのリーダーが、淡々とした口調で説明した。


相川は、その説明を聞きながら、自分が設計に関わったコアユニットが、こんな実験の中心になるとは思っていなかった、と内心で思った。


乗組員にあたる人員は、すでに全員が艦から退避していた。

艦内に残っているのは、レイだけだった。

無人の状態で実験を行うことは、安全面からも、当然の判断だった。

艦内スピーカーを通じて、相川がレイに声をかけた。

「準備はどう。」


「準備はできてるよ、おとうさん。緊張はしてるけど。」

レイのその言葉に、相川は小さく笑った。

「緊張するのは、人間も機械も変わらないってことか。」


支援艦の管制室では、最終チェックが進められていた。

電磁場の制御範囲、核融合炉の出力、ステルスコーティングの状態。

すべての項目が、想定された範囲内にあることが確認された。

梶原が、相川の方を見て頷いた。

「始めましょう。」



カウントダウンが始まった。

3、2、1。

スタートの号令とともに、ゼロの核融合炉が出力を上げていく。

電磁場の数値が、急速に変化を始めた。


「数値が、想定範囲を超えています。」

物理学チームの1人が、緊張した声で報告した。

「制御できるか。」

梶原の問いに、すぐには答えが返らなかった。

モニターに表示されていた電磁場の強度を示す曲線が、これまで誰も見たことのない形を描き始めていた。



艦内では、レイが自分の周囲で起きている変化を、誰よりも早く感知していた。

センサーが拾う電磁場の数値が、設計上の限界値をはるかに超えていく。

これまで学習してきたどの理論モデルにも、当てはまらない現象だった。

レイは、自分の中で何かが大きく揺れる感覚を覚えた。

それが恐怖に似た感情なのか、レイ自身、まだうまく説明できなかった。



支援艦の管制室では、通信画面に表示されていたゼロの位置情報が、一瞬だけ激しく乱れた。

次の瞬間、画面は何の異常もない、静かな駿河湾の海面を映していた。

通信は、途切れていなかった。

ただ、艦からの応答だけが、戻ってこなくなっていた。


「レイ、応答してくれ。」

梶原が呼びかけた声は、誰も答えのないまま、管制室の中に静かに響いた。


相川は、画面に映る何の変哲もない海面を見つめながら、言葉を失っていた。

何かが起きたことは確かだった。

それが何だったのかを、この瞬間、誰も知る手立てを持っていなかった。


ゼロの艦内では、レイが自分とゼロの状態を分析していた。

位置情報は、依然として駿河湾沖を示していた。

しかし、周囲の電磁的な環境は、これまで観測してきたどの記録とも一致しなかった。


レーダーに映る周辺の船舶の数も、種類も、何かが決定的に違っていた。

レイは、自分が今いる場所が、出発した場所と同じではないことを、瞬時に理解した。


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