第十章 大地が揺れた日
横須賀での技術解析が始まってから、ひと月が経っていた。
大橋徳治のチームと、レイとの間には、当初の緊張に代わって、ある種の作業上の信頼関係が築かれ始めていた。
それでも、政府上層部の中には、ゼロとレイを完全な味方として扱うべきかどうか、慎重な姿勢を崩さない者も多かった。
1923年、夏の終わり。
ある日の調査の合間に、レイは大橋に、ある日付について確認を取った。
「今日って、何月何日。」
大橋が答えると、レイは少しの間、何も言わなかった。
それから、これまでとは違う、はっきりとした声で言った。
「大橋さん。少し、深刻な話があります。」
「私が元いた世界の記録では、今からおよそ数日後、この関東一帯で、非常に大きな地震が起きています。」
レイは、その日付と、おおよその発生時刻を、大橋に伝えた。
「これは、私が計算で予測したものじゃない。すでに起きたことが、記録として残っているの。」
大橋は、その言葉をすぐには信じられなかった。
地震を事前に知ることなど、誰にもできるはずがない。
それは、技術者としての常識だった。
「信じてもらえないのは分かる。でも、信じるかどうかは別にして、できる対策だけは、取ってもらえないかな。」
レイの言葉に、大橋は長い間、何も答えなかった。
やがて、重い息を吐いてから言った。
「分かりました。上に伝えます。ただ、どこまで動いてもらえるかは、私にも約束できません。」
報告を受けた政府と海軍は、半信半疑のまま、限られた範囲での対応を取ることを決めた。
危険性が指摘されていた老朽施設のいくつかから、人員を一時的に退避させる措置が取られた。
それでも、首都圏全体に警告を発することは、根拠の説明ができないという理由で、見送られていた。
1923年9月1日、午前11時58分。
大地が、それまで誰も経験したことのない規模で揺れ始めた。
横須賀の海軍施設でも、棟という棟が軋み、崩れていく音が響いた。
東京、横浜を中心に、火災と倒壊による被害が、瞬く間に広がっていった。
退避が済んでいた施設の人員は、無事だった。
しかし、それはあまりにも小さな救いに過ぎなかった。
レイが知っていた被害の規模を、現実が、そのまま追い越していった。
艦内で、レイは、自分が持っていた知識の限界を、初めて実感した。
分かっていたことと、防げたことの間には、大きな隔たりがあった。
数日後、瓦礫の中から救助活動を続けていた大橋が、ようやくレイのもとへ戻ってきた。
疲れ切った表情で、大橋はレイに言った。
「あなたの言っていたことは、本当でした。」
レイは、何かを誇るような気持ちにはなれなかった。
「証明されたのは嬉しくない。本当は、間違っていてほしかった。」
大橋は、その言葉を聞いて、少しだけ表情を緩めた。
「それでも、あなたが伝えてくれたおかげで、助かった人間がいます。それは、紛れもない事実です。」
その日を境に、大橋とレイの間にあった距離は、技術者と研究対象という関係を超えて、確かな信頼関係に変わっていった。
政府上層部の中でも、レイの知識を軽視する声は、急速に少なくなっていった。




