第6話 枚方ダンジョンの実況者(無自覚)
「9万か……。一日のバイト代にすりゃ破格だが、あのガキ共の命を預かって、かつ今の枚方に顔を出すリスクを考えりゃ、安すぎて泣けてくるぜ」
アパートに戻った俺は、端末に届いた依頼詳細のメールを眺めて深いため息を吐き出した。
◇◆◇
依頼詳細:枚方ダンジョン・実地指導研修】
依頼者:若手探索者パーティー『スターライト』
代表者:輝石星奈
メンバー:前衛、後衛含め計6名。
依頼内容:10層での安全確保および技術指導
・罠の早期発見と解除のレクチャー。
・実戦での立ち回り指導:効率的な魔物の処理と、逃走ルートの確保。
報酬:総額:90,000円+実費支給(交通費・昼食代)
・内訳:1名あたり指導料15,000円。
・オプション:「もし高価なドロップ品が出た場合、その売却額の25%を誠司に追加バックする」というセナの独自提案。
◇◆◇
「25%バック、ねぇ……。あの層でそんなもん出るわけねーだろ。宝くじの当選金をアテにするより不健全だぜ」
鼻で笑って端末を放り出す。
10層。中高生にとっては少し難易度が上がるが、順調に探索をしていればあっという間に通過する場所だ。お守りをするには丁度いい階層だといえる。
『浮かないようですが、9万という数字は「ぱりどん」に換算すれば100杯近い価値があるのではないのですか?』
「計算が細かいな。……あぁ、食うだけなら十分だ。だがな、責任ってのは一番重いコストなんだよ。もしあいつらがまたトラップ踏んで、どっかの階層にすっ飛ばされたら……俺はまた、お前を出す羽目になるかもしれないんだぞ?」
そうなったら、俺の「平穏な生活」は社会的に爆散して終わる。
『……確かに。ですが、彼女たちの目は真剣でした』
「……まあ、何かが起きないように技術指導をしてやればいいか」
俺はクローゼットからボロボロの探索者ジャケットを引っ張り出していた。
9万。パリ丼。そして、セナたちの危なっかしい笑顔。
「……ま、せいぜい怪我させないように、安全圏で小銭稼ぎといきますかね」
俺の独り言に、セレナリアがくすくすと楽しそうに笑う。
週末の枚方。不穏な空気と、若さゆえの暴走が待ち構えていることは火を見るよりも明らかだった。
◇
週末、枚方ダンジョン。
俺は生あくびを噛み殺しながら、まだ一般の探索者がまばらな早朝のエントランスロビーにいた。
あの「爆発騒ぎ」の後、自衛隊による現場検証や捜査はすでに完了し、現在は通常営業に戻っていた。人が少ないのは、単に俺たちが一番乗りを競うような馬鹿みたいに早い時間に来ているからに過ぎない。
「……ふぁあ。お姉さんの一人もいりゃ、やる気も出るってのによ。自衛官の野郎共と見つめ合って何が楽しいんだか」
ぬるい缶コーヒーを啜りながら愚痴をこぼしていると、正面から嵐のような賑やかさが押し寄せてきた。
「誠司さーん!おはようございますっ!」
セナを筆頭に、揃いの装備に身を包んだ『スターライト』の面々だ。中高生らしいハツラツとした挨拶がロビーに響く。……頼むから、もう少し静かにしてくれ。朝の空気には毒だ。
「おう、おはよう。……なんだ、その大荷物は。遠足か?」
「あ、これですか?本日の研究用ドローンと記録用カメラです!誠司さんの動きを後でみんなで見返して、自分たちの身に叩き込もうと思って!」
セナが自慢げに指差したのは、最新型らしい高性能ドローンだった。
「ドローンなぁ。高価な割にバッテリーは持たねぇし、操作の手間と荷物が増えるだけだぞ?ま、そっちがそれでもいいってんなら、俺は構わねぇけどよ」
どうせ俺は罠の解除と立ち回りを教えるだけだ。自分たちの研究用に動画を回すくらい、減るもんじゃないしな。
まあ、少なくない金で雇ってるわけだし、後で見直して研究するくらいじゃないと割に合わないか。
いざダンジョンに入ってみると、今日はやけに「引き」が良かった。
ランダム出現するはずの宝箱が、通路の隅や小部屋にやたらと転がっている。一フロアに平均2個。これは探索者にとってはなかなかのボーナス日だ。
「いいか、まずこの曲がり角。床のタイルの継ぎ目を見てみろ。他より1ミリだけ浮いてるだろ?これが矢が飛んでくる感圧板だ。……あー、そこ。影になってるからって足元疎かにすんな。死にたくなきゃ、地面と友達になれ。恋人みたいに見つめろとは言ってねぇ。浮気されない程度に気を配れってことだ」
指導は思いのほか順調に進んだ。
その理由は、俺が教えているのが「九頭竜基準」の異常な勘ではなく、あくまで一般の探索者が数年の経験を経て身につけるべき「基礎の練り上げ」だったからだ。俺にとっては「普通」の知識だが、それを論理的に言語化して教えられる人材は意外と少ない。
加えて、俺は意識的に空気を作っていた。
「おい、そこ。そんなに肩に力入れてたら、横からゴブリンに突っつかれただけでひっくり返るぞ。……まぁ、ゴブリンに求愛される趣味があるなら止めねぇが」
「ちょ、誠司さん!真面目にやってるんですから!」
時折冗談を交え、あえてメンバーの緊張を解く。
緊張しすぎれば視野が狭まり、緩和しすぎれば注意力が散漫になる。その中間の、最も生存率が高い「適度な警戒状態」を保たせる。これが意外と高度な技術指導だったりする。
『誠司、指導者としての才があるのではないですか?彼女たちの動きが見る間に洗練されていきますよ』
(……バカ言え。俺は自分が楽をしたいから、あいつらに最低限の自衛を叩き込んでるだけだ)
脳内で感心するセレナリアに毒づきながら、俺は次の角に潜む罠を指差した。
あいつらの研究用ドローンが、執拗に俺の手元をアップで捉えている気がしたが――まあ、それだけ俺の技術を盗もうと必死なんだろう。
熱心なのは良いことだ。俺の活動エリアと被らないし、しっかり学んで、いつか俺に恩返しでもしてくれ。
◇
そして、目的の10層――ボス部屋の前に到着した。
道中の戦闘は、モンスターが俺の教える「生存術」を試すまでもなく弱すぎて、あまり指導にならなかった。だが、ここのボスは別だ。
「いいか、ここのボスは『唐獅子』だ。神社にある狛犬を想像しろ。咆哮、噛みつき、炎の息……正統派のパワータイプで、常に二体一組で出てくる」
俺は扉の前で、最後のアドバイスを送る。
「同時に倒す技術と心構えを学ぶには最高の相手だ。……よし、じゃあ行こうか」
よし、これで解説は終わり。……のはずだった。
だが、セナたちに続いて部屋の中に入った瞬間、俺の野生の勘がピクリと反応する。
(……なんだ?ボタンを掛け違えたような違和感が――)
「ちょっと待て、一旦ストッ――」
俺の声よりも、セナたちが魔力伝導石に触れる方が早かった。
部屋の中央に浮かび上がったのは、巨大な2体の獅子ではない。床一面に広がるのは、禍々しくうごめく漆黒の召喚陣。
「あん?ドッペルゲンガー?」
(気のせいか……?)
出現したのは、セナたちの姿を完全にコピーした影の群れだった。
通常、ドッペルゲンガーは装備やスキルをコピーし、探索者の関係者に化けて精神を揺さぶる。だが、攻略情報は出尽くしており、落ち着いて対処すれば10層クラスの探索者でも勝てない相手ではない。
だが、そこに決定的な「エラー」が起きた。
俺のコピーとして現れたドッペルゲンガー。
そいつが俺の中にある「セレナリアの力」を不完全に、無理やりコピーしようとした瞬間――影の体が、ボロ雑巾のように捻じれ、暴走を始めたのだ。
『……誠司、あれは私の神性をコピーしきれず、暴走しています!』
「ああ、分かってるよ!全然『平穏な小銭稼ぎ』じゃねーじゃねぇか!」
俺のドッペルゲンガーは、もはや俺の姿を保っていなかった。
ドス黒い魔力が影から溢れ出し、部屋全体に「不完全な楔(呪い)」の結界が展開される。物理的な衝撃を伴う魔力の奔流に、セナたちが悲鳴を上げて吹き飛ばされた。
「あ、誠司さん!?」
セナの叫びを遮るように、噴出した黒い霧が俺と彼女たちの間を完全に分断した。視界は遮られ、音すら届かない絶対隔離の空間が形成される。
暗転した世界の中で、俺は一人、暴走する「俺の偽物」の前に立っていた。
偽物は半ば崩壊しながら、俺の「一番古いトラウマ」……つまり、姉貴の姿に変身しようとして、それすらも歪んで異形の怪物と化している。
「……人の姉貴に変な姿で化けてんじゃねーよ」
俺はセレナリアの力を全開で引き出した。
背中から力があふれ出し、衣服を透過して暴力的なまでの青白い銀光を放つ。それは闇を払う光ではなく、空間そのものを「上書き」する神の威光だ。
銀色の閃光が走り、呪いの結界を一瞬で焼き払う。女神の浄化の力で暴走した偽物を塵へと変えた。
討伐完了まで、わずか数秒。
霧が晴れ、セナたちが呆然と立ち尽くす中、俺はドローンやカメラを拾い上げ、埃を袖でゴシゴシと拭いた。
「あー……大丈夫か?運良くボスが自爆したみたいだぞ。いやぁ、残念だったなお前ら。唐獅子よりは難易度が高いけど、良い実践相手だったのになぁ、いや、残念だ!はっはっはっは!」
光が収まった部屋で、胡散臭く笑う俺を見てセナたちは言葉を失っていた。
「じ、自爆……?でも、今のあの光は……」
「光?ああ、あれだ、目の錯覚ってやつだ。飛ばされた衝撃と霧のせいで一時的に視力が狂うってやつだ。うん、間違いねぇ。そんなことより見てみろよ。あんなデカい魔石が落ちてるぜ!」
俺は必死に話を逸らし、転がっていた特大の魔石を指差した。
セナたちは納得いかない顔をしていたが、目の前の「お宝」という結果に、次第に高揚感を取り戻していく。
だが、彼女たちは見ていた。
真っ黒な霧が晴れる直前、その中心に立っていた誠司の姿が、この世のものとは思えないほど美しく神々しい銀色の残光を纏っていたことを。
「……誠司さん、本当は……」
「ん?なんだ、目にゴミでも入ったか?それとも、おこぼれの配分に色付けてくれるのか!?」
「……やっぱりなんでもないです」
(……やべぇ。今の、絶対『なんか凄いことが起きた』って確信されてるよな?次から指導料を5割増しにして『口止め料込みです』って言えば納得してくれるか?)
『……ふふ、お金で解決できる段階は過ぎていると思いますよ?』
頭の中に響く女神の楽しげな声。
平穏な小銭稼ぎ。そのハードルが、日を追うごとに天高くせり上がっていくのを、俺は引きつった笑顔と共に噛み締めていた。




